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…と書いてから、ほぼ半月。ほんとに、安倍首相はイランに行っちゃった。
そして…
鈴木一人氏が論じる
鈴木 一人(すずき かずと、1970年10月13日[1] - )は、日本の政治学者。筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授等を経て、北海道大学公共政策大学院教授、北海道大学大学院法学研究科・法学部兼務、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員。(ウィキペディアより)
鈴木一人 - Wikipedia
安倍首相とロウハニ大統領の共同記者会見のライブはこちら。https://t.co/EYkGXfNohF
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
安倍首相とロウハニ大統領の記者会見、特徴的なのは両者とも一言も「トランプ」「アメリカ」と言わなかったこと。「偶発的な戦争」や「地域の緊張/安定」という表現はあったが、核合意の遵守をするイラン、という話でとどまっていた。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
ロウハニ大統領はシリアの復興やイエメン情勢について言及したのに対し、安倍首相はその問題については触れなかった。逆に日本がこれまでやってきた洪水対策や難民支援を強調。安倍首相は「イランの人たちには耳心地の良い話ばかりではない」と言ったが、記者会見では批判めいたことは特にない。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
敢えて言えば、イランが建設的な対応をすべきだと言ったところか。これからも忍耐のいる努力が必要とも言っていたが、それはイランの人たちはみんな知っていること。安倍首相は「いつでも会う、これからも会う」と言っているので、今回で何かが進むわけではないが、シャトル外交はやると宣言。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
私は日本側の放送はTBSのCS局で見ていたが、イランのPress TVは引きの画面が多く、両首脳の横に並ぶ列席者の姿を写していた。谷内さんも参加したという点が重要。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
書き忘れたけど、ロウハニ大統領は「日本がイラン産原油を買うことを求めている」と言ったのが重要なポイント。買うとは言っていないが、アメリカの制裁解除を希望し、それを働きかけるというニュアンスで話した。ただ、この点は安倍首相ははっきりと示した訳ではない。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
記者会見の時にちょっと気になったので録画を聞き直したが、ロウハニ大統領はJCPOAを遵守し、JCPOAの36条の枠内で行動する、と言っていて、最初は誤訳かと思ったけど、Press TVの英語訳(5:40あたり)、日本語訳(5:50あたり)も36条と言っている。https://t.co/B7GPLR8Ma8
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
しかし36条はスナップバックを定めたものであり、P5+1が違反をした場合、イランは合同委員会に訴えることができると書いてあるだけで、イランにはメリットのない条項。これまでザリフ外相は26条と37条(イランへの制裁が再開されたらイランはJCPOAの履行を一部ないし全部止める)と言ってたのだが…。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
まあ、これはロウハニ大統領の誤解だろうなぁ…。それとも36条に何か意味があるんだろうか…。
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
【訂正】記者会見の録画を聞き直して、一箇所だけ「アメリカ」が出てきたところを見つけた。ロウハニ大統領が「アメリカとの経済戦争」と言ったところ。 https://t.co/kc09dL5PFs
— Kazuto Suzuki (@KS_1013) 2019年6月12日
ここ、リピート。
『両首脳の横に並ぶ列席者の姿を写していた。谷内さんも参加したという点が重要』
谷内正太郎…彼の仕切る「谷内外交」については
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という過去記事で、毎日新聞での御厨貴氏の評を引用している。再引用しよう
御厨貴の政界人物評論:第8回 谷内正太郎 ブレない「外交の職人」−毎日新聞 http://mainichi.jp/shimen/news/20131114ddm004070011000c.html
(略)…谷内を見る時、まずは「官僚」「外務官僚」といったくくり方から自由でなければならない。そう言うと、「異色の」「型破りな」「らしくない」と言った対照的なくくり方で、人はすぐ理解しようとする。それも違う。谷内をあえて評すれば「外交の職人」である。最初に外務省という組織ありき、その先に累進出世して大使というポストありき、というタイプとは無縁なのである。いわゆる外務省の「文法」や外務省的ジャーゴン(職業用語)の世界に、谷内は入省当時からなじめずに違和感を持ち、むしろそれらを相対化する視点を養った。それができたのは、彼が既に入省時に「外交の職人」たるべき精神的支柱を得ていたからに他ならない。
土曜会と若泉敬、端的に言ってこの二つだ。圧倒的に左翼全盛の昭和30年代に、学生として反時代的な思想を求めて、土曜会という大学横断的な読書会に参加したこと、その点で既に少数派であったこと、土曜会を通じて最も政治的にアクティブだった若泉敬と知り合ったこと、である。
ただし谷内はこの二つに対しても、相対化する視点を当初から持っていた。だからこそ、土曜会にあっても決してウルトラ右翼にはならぬし、若泉に学んだのは政策論ではなく、人間としての生き方であったと言い切るのだ。
(略)谷内によれば、右翼のフィールドは三つに分けられる。第一が天皇制。第二が歴史認識。第三が安全保障。大事なのは三点そろい踏みというわけではないということだ。
谷内は第一と第二にはシンパシーがなく、むしろ靖国問題には批判的だと語る。外交の職人としての谷内は、右と言われてもそれはあくまでも安全保障のフィールドに限定してのことだと語る。