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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

堺屋太一追悼(1)…彼は「シミュレーション小説」の元祖なのだろうか?

先ごろ亡くなった堺屋太一さん。、自分はあの人の著書を数冊程度しか読んでいない。
「現代を見る歴史」というのは、タイトル通りに現代社会(と言っても当時、80年代の世相)と歴史をなぞらえた内容のもので、良くも悪くも「通俗的」だったけれど、宋の歴史や文化重視の思想、アテネとスパルタの対立など、それなりに役に立つ知識を得ることができた(当時はまだ世界史も学校で勉強していなかったから、全部の知識が新鮮で当たり前なんだが)。

現代を見る歴史 (新潮文庫)

現代を見る歴史 (新潮文庫)

ただそれより何より、自分の堺屋太一へのイメージは「 SF 小説としての『油断!』を執筆したという人」となっている。
これは豊田有恒がその作品を、そのように評したからであるんだが……そこから遡って、もうとっくに古い時代の古い本、であった「油断!」を古本屋で購入して読んでみて、まっ、これもそういう本を読んだことがなかったから、ということではあるんだけど 、やっぱり凄く面白かったんだな。

油断!/団塊の世代 (堺屋太一著作集 第1巻)

油断!/団塊の世代 (堺屋太一著作集 第1巻)

今思い返せば、当時は小学校の学習雑誌みたいなものでも「日本は資源のない国です。輸入が途絶えたら大変なことになります。石油の備蓄や食料自給は特に大切ですね!」みたいな読み物は山ほどあった。あれは70年代の破滅論ブームが読み物の「型」を作りそれを繰り返していたという理由もあったんじゃないかと思う。
だからその後、そういうジャンルの元祖としての「油断!」も違和感なく読めたんだろう。

ただ問題はあれが本当に「元祖」かということなんだが……どうなんだろうね、小説で「現実にあるかもしれない情勢の『シミュレーション』を、データを交えて描く作品」というのの歴史は。
これはけっこう定義が難しくて…というのは「日本沈没」だって、それをもっともらしくするためのデータというのは山ほど用意して配置している。
日本沈没の刊行が1973年、油断!が1975年なので、出版しましょうという話になったタイミング、動機も含めて大きな影響があると思う。ただ「日本沈没」は怪獣出現や宇宙人の侵略と同程度に『壮大な SF』 であり、油断!は実際におけるシチュエーションを描いた、『リアル寄りのポリティカルサスペンス』であるという区分もできるよね。後者としてはジャンルの元祖なんだろうか…水野重徳の「次の一戦」にまでさかのぼるなよ(笑)

そんな興味を持ちながら、追悼の意味を込めて堺屋太一の自伝を読んでみた。

ここに予測小説「油断!」執筆への道のり

という小見出しの箇所がある。 全部写すのは面倒なので要約しよう。

・1969年、私は鉱山石炭局に配置換えとなった。
 
・当時は石油のない日本は有利、と考えられていた。当時石油は非常に安く、なまじ国内に資源がある国はその産業を保護するために輸入を制限せざるを得ないが日本はフリーハンドでどこからでも安い物を買えるから。
 
・しかしある外国の石油情報誌の記事を読んだら「石油の新資源発見量が年間の消費を下回ってきた」とある。そしてホルムズ海峡を通る船に積まれた石油が日本輸入の8割を占めていることにも気付いた。
 
・私は官僚として 「石油備蓄用タンクの建設には特別償却制度を認める」という制度を打ち出したが公害防止論者、主婦団体から、事故の時の環境破壊が強いという反対運動があり、騒動になった。
 
・何をのんきなと思った私は、同じ心配をしている人達と集まって、石油輸入が止まった時の危険を勉強し始めた。石油化学の専門家や農林省の技官、大阪市の職員など…
 
・そしてある女性の大学研究員が「みんなの意見をまとめて産業連関表を作り、マルコフ過程逆行列式を解けば正確な予測ができます。大型コンピューターがあればやれます」

・日本万博協会の秘書役に頼んで関西電力の大型コンピューターを借りて、このシミュレーションを行った。
 
・1971年、この結果を知らされた。当時の計算では「ホルムズ海峡が1年間封鎖されれば、国富の7割が失われ約300万人が死亡する」との結論に至った。
 
・「それでこれどうする」
「あんたに任せるよ。小説にすればいいんじゃないか、予測調査では刺激が強すぎる」
「誰が書くんだ」
「あんたが」
 
・こんなやり取りで、調査に関する著作権を全て譲り渡されて 、官僚としての自分は沖縄振興や海洋博覧会の仕事の傍ら、小説の執筆を開始した 。石油の価格は勉強し始めた頃の2倍以上になっていた。
 
・最初に小説を書いて送ったところ出版社から「興味深いテーマですが、男女の濡れ場の描写を色濃く加えていただきたい。あるいは殺人事件をからますのもいい」との返事が来た(爆笑)。
 
・しかし本当に石油ショックが1973年に発生した ら、手のひらを返して出版が決定。 しかし直後はあまりにも時期が悪いとして私は反対し 、出版は見送った。
 
それを出すことにしたのは1975年、石油ショックが去った直後に「石油危機は石油価を釣り上げるための国際石油資本メジャーの陰謀だった」という説が流れたことだった。
 
日経新聞も小説分野に乗り出しこの本を出版したいと申し込みがあったので、ついに出版に踏み切った 。最初堺屋太一覆面作家として世に出た。
 
・初版1万部だったがすぐに評判を呼び2年間で百万部に迫る勢いで売れた。
 
・これが評判になり、第2作を執筆した。それが今も使われている言葉が生まれた「団塊の世代」。
 
・これによって作家にして評論家の「堺屋太一」の、のちのポジションに至る。



どうでしょう、戦後日本の出版界で、(少なくとも表面的には)リアルに起きそうな社会現象を小説の形で描いた「シミュレーション小説」「未来予測小説」は、堺屋太一「油断!」を以て嚆矢とする、という史観でよろしかろうか?

ひょっとして…と思った小林久三「皇帝のいない八月」は、1978年の作品だった。

皇帝のいない八月

皇帝のいない八月

皇帝のいない八月 (講談社文庫)

皇帝のいない八月 (講談社文庫)