怒りを大切にするなら他者の怒りにも向き合わなくてはいけない、弱者を大切にするには別の基準での弱者にも向き合わなくてはいけないということだと思うんですよね。「私たちの怒りは革命だ」と叫ぶ集団が別の属性の弱者に怒られたら「加害されました、あいつらは弱者じゃない」と言うのは危険すぎる。
— cdb (@C4Dbeginner) 2019年4月11日
これ何が危険かと言うと最終的に「私たちかあいつらか」という集団の問題に集約されてしまうわけです。しかもマジョリティというのは平然とこのアイデンティティポリティクスを力ではね返せるんで、どこに向かうのかと言うと別のマイノリティに向かうわけですよ。もうそれは危惧ではなく現実に起きてる
— cdb (@C4Dbeginner) 2019年4月11日
僕は自分が大学に行ったことがないので大学教育、大学教員というものに最大限の敬意を払ってきたつもりですが、この事態について何人かの社会学者の責任は重いと思っています。彼らがバラまいたロジックは勝手に安全装置を解除され、乱用され始めている。たぶんもう彼ら自身も止めることができない。
— cdb (@C4Dbeginner) 2019年4月11日
なにに関連して(何がきっかけで)この話をしたのかはだいたいわかるが、それはメモせず、普遍的な問題への解としておいておこう。