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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

今年は「聖ナザロ教会大爆発」から250年(※じゃないかも)。迷信が科学に負けた記念碑の事件(8月18日)

※どうも別資料を見ると発生年が違うかもしれないのだが、まあ「おおよそ」と考えておくれ。


数年前、こんなやりとりをした。




これを最近、あるお坊さんが発掘してリツイートしてくださった。

それで気づく。



このエピソードは、このブログだけでも折に触れて数回ほど紹介したことがあります。
もとはアイザック・アシモフの科学エッセイ

なのだが、科学が迷信を屈服させる英雄的光景なので、アシモフの筆致も踊るような元気さがあり、あのシリーズでも屈指の名文、名場面といってもいいでしょう。
その文章を紹介しているサイトもあったので、いちいち写す手間をサボり、(おおおよそ)250年に際してこれを孫引きします。

http://ameblo.jp/gallina50/entry-11469186127.html

“主要な抵抗は、消極的な形で現われた。
教会に避雷針を立てることには気まずい消極性が示されたのである。
それは信仰の不足、あるいはもっと悪いことに、無神論を後援するように見える科学への全幅の信頼を示すように思えたのだ。
だが、避雷針を立てるのを拒否した結果は、忍びがたいことになった。教会の尖塔は依然として町じゅうの最高の建物であり、その後も落雷が続いた
避雷針で保護されない町の教会には落雷があるのに、町の女郎屋は避雷針で保護されていれば落雷がないということは、誰の目にもあまりにもあきらかだった。
〜(中略)〜
私の読んだ話によれば、なかでも飛切りの出来事がイタリアのブレシャという都市でおこった。
この都市の聖ナザロ教会は避雷針で保護されていなかったが、その神聖さに包まれた住民は非常な確信を持っていたために、そのドームが考えうる最も安全な場所と思い込んで、そこに100トンもの火薬を貯蔵したのである。
ところが、1767年、教会に雷が落ち、火薬は大爆発をおこして、都市の六分の一を吹きとばし、3000人を殺した。
これでたくさんだった。避雷針が勝ち、迷信は降伏した。

科学の徒(アメリカではごくごく超少数派の「積極的無神論者」)である、アシモフはどんな思いを胸に、最後の「避雷針が勝ち、迷信は降伏した」の一文をタイプしたのだろうか。

その他、アシモフは麻酔による無痛分娩や、進化論などを例に挙げ
「科学軍はどんどん進撃している。迷信軍の抵抗は頑強だが、『避雷針会戦』のあと、主要な戦で勝利したことは一度もなく、その領土は削られ続けている」と楽観的なトーンに終始している。小松左京楽天性とちょっと似てる気も。



にしても、街の六分の一がふっとび、3000人の犠牲か・・・・・・・・・その死者数を考えると、大はしゃぎでお祝いはさすがにできないが
それでもこの年を、迷信ではなく、科学が大切であることを教訓に刻む、250年の節目としたい。⇒・・・・・・・・・と思ったら、1769年という資料が多いんだが、それはどっかに置いとく!(了)


この事件の日付はアシモフ本には載ってなかったけど、8月18日だそうです


http://sekaikennbunnroku.blog.fc2.com/blog-entry-19.html

・・・・・・とはいえ、この事故は神の怒りではなくれっきとした人災である。人災であるからには対策も立てれるというもので、ローマカトリック教会ではこの事件以降、各教会の尖塔に避雷針を立てるようになったという。