極真空手全日本選手権初出場初優勝(84年)、全世界選手権3位(91年)など、“格闘マシーン”の異名で知られる聖心館館長・黒澤浩樹氏が3月25日、急性心不全のため他界した。享年54。謹んで哀悼の意を表します。 pic.twitter.com/wakaz99aQD
— ゴング格闘技 (@GONG_KAKUTOGI) 2017年3月29日
ぼくは極真に
詳しゅうないので、PRIDE-1のときに「運営側兼選手として」登場し、PRIDE−1ではほんとに試合した、というところで印象に残る。
そして映像がある。
Youtube PRIDE-1 黒澤浩樹対イゴール・メインダート http://t.co/seAJbxnWKy
— uwf-inter (@uwfinter7) 2014年2月8日
右膝前十字靭帯断裂したその右足で蹴り続けた男、黒澤浩樹。/Pride 1 HIroki Kurosawa vs Igor Meindert https://t.co/TGLQVPDvKe
— めえめえ (@hitsujidayon) 2017年3月29日
で、ねえ、ぶっちゃけ、この試合は…追悼の場でもあり「フルコンタクトKARATEで批判的に論評された」という婉曲表現にとどめておく。
あとは映像を各自、見て、評価してくれ。思わぬアクシデントで大けがして、それでも蹴りをおそらくは痛烈な痛みに耐えて繰り出した凄さはまた別よ?
PRIDE-1に出場したのがちょうど20年前ですか。フルコンタンクトKARATEにはいらいろ書かれてたけど、真相はどうだったんでしょ。
— mk130511 (@mk130511) 2017年3月29日
空手家の黒澤浩樹さん死去 - Y!ニュース https://t.co/hsbkuN6cNc #Yahooニュースアプリ
そもそも!!
PRIDE−1というのは、海のものとも山のものともつかなかった。というか、むしろ闇のものというか(笑)
共にPRIDEを立ち上げ、PRIDE.1には選手として出場された黒澤浩樹さんが逝去されました。
— NOBUYUKI SAKAKIBARA (@nobu_sakakibara) 2017年3月29日
黒澤さんからは、絶対に退かない姿勢、諦めない魂を学ばせていただきました。
心からご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/ciCYU4K4hm
それはしんみりするけど、「よく考えたら、なぜPRIDEに関わったの?それも最初期に?というか作り上げる側だったの?」というと、ほんまわからんことも多いね。
実はPRIDE−6でも戦ったけど、その後K-1でもグローブ戦で戦った角田信朗、もいる。
【K−1】BURNING2000 角田VS黒澤
— まや (@maya_46_cas) 2017年3月29日
黒澤浩樹さん急性心不全で亡くなったのか…
角田信朗とのファイト印象的だったなぁ。 https://t.co/5tQmkwnlAi
その時代時代の人脈や、複雑怪奇さではウィーン会議の欧州外交にも匹敵する(笑)空手界の人間関係の変遷を見たほうが興味深いのかもしれない。
しかし、そういうのをひっくるめて、たたずまいのある空手家でした。
RIP。
追記
とにかく昨夜の黒澤浩樹の訃報がショックで・・・79年から83年まで全日本&世界大会を独占していた三瓶&中村の三誠時代に風穴を開けたのが83年全日本の大西靖人優勝、そして84年の黒澤浩樹優勝であった・・・(その時の準優勝が「魂のキックボクサー」竹山晴友であったのも忘れ難い。(続)
— ふるきち(新) (@fullkichi2) 2017年3月29日
続)動画は85年の第17回全日本大会決勝、黒澤の対戦相手は現・極真会館館長松井章圭!!https://t.co/qC5OBC2zw4 そして91年第8回ウエイト制大会で実現した対正道会館・柳澤聡行戦!!https://t.co/fAmk8FBsvd フルコン華やかなりし頃・・・。
— ふるきち(新) (@fullkichi2) 2017年3月29日