元プロレスラーで天龍源一郎とのタッグで活躍した阿修羅原さん(本名・原進)が28日午前5時15分、肺炎のため長崎県雲仙市内の病院で死去したことが分かった。68歳だった。
(略)
国際プロ崩壊後は全日本に新天地を求め、87年には天龍と天龍同盟を結成。一時代を築いた。94年10月にWARの故郷・長崎大会で引退した。得意技はヒットマンラリアート、雪崩式ブレーンバスターなど。
この曲は一度聴いたら忘れがたい。
さかなこうじ「俺のプロレスネタ、だれも食いつかないんだが。」の第三話から。
http://www.kurage-bunch.com/manga/prowres/03/
多くのコメントが寄せられている。邪道外道が原と親しく交わっていたのか。
http://kakutolog.cocolog-nifty.com/kakuto/2015/04/post-ada2.html
邪道(新日本プロレス)の話
「プロレス界で一番お世話になった人。レスラーの酒の飲み方を教えてもらった。引退試合で一番最後の対戦相手になれたのは俺の誇り。頑丈な人だったし、引退試合でも一切手加減なしでいった。そうしないとあの人も怒った」
外道(新日本プロレス)の話
「プロレスラーの代表みたいな人だったよ。豪快で宵越しのカネは持たない。毎日のようにメシに連れて行ってもらった。物への執着が全然なくて、いつもゴム草履にヨレヨレのTシャツでさ」
自分が見ていた小さいころでも、龍原砲の結成までの迷走感は子供心に伝わってきた。「国際血盟軍」に参加しても浮いた感じだったし、「ジャパン軍にも全日正規軍にも牙をむく孤高のヒットマン」は、うまくやれば面白かったのだろうけど、一人だとあんまり使い道が無い感が漂っていたし(笑)
で龍原砲結成のときも、最初は正直、「そうか、ジャパン軍が離脱して、鶴田と天龍をを敵味方にする必要があるもんなー。でも、とってつけたように進級させたっぽいよな。天龍はともかく、原はかつてのドル箱だった鶴龍vs長州谷津並みにやれるかなー」と思ってた。
実は天龍が、本気で全日本の枠組みを丸ごと変えようとしていたことを知るのはずっとあとの話だ。
そこから、彼らがかけぬけた日々は何度も紹介しているこの本に記されている通りだ。
- 作者: 原田久仁信
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- 発売日: 2013/08/07
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テレビ中継のない地方興行でも20分オーバーの熱戦は当たり前。容赦なく顔面を蹴り上げるそのファイトスタイルに、UWFを率いていた若大将の前田日明も「こんなことをされたんじゃ、俺達の存在意義がなくなる!」と強い危機感を覚えたほどでした。
彼らの遊びもまた豪快で、試合後には同盟メンバーとプロレス記者たちを引き連れて連日連夜の豪遊! アイスペールに焼酎やブランデーやウイスキーなど様々な酒をぶち込んだ「天龍カクテル」を記者に呑ませて酔い潰させる、金が足りなくなって社長(当時)ジャイアント馬場のもとに冬木をパシらせ、「お米ごっちゃん」(業界用語で借金のこと)させる、などのエピソードが今も伝わっています。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/comment/20130227
自分は訃報記事に、こうブックマークした。
天龍引退式のときに花束を渡すのはあんたの仕事だったろ……。
だが、その天龍のコメントは以下のようなものだった。
鶴見五郎とのシングルマッチなど、語りたいことはまだあるのだが、ここで天龍の言葉をきくと、いったん筆をとめ、しずかに故人をしのぶのもまたいいか、という気持ちになる。
https://twitter.com/tenryuproject/status/593067340557717504
天龍project《4/30新木場》
@tenryuproject
この度の訃報に大変驚いております。天龍は誠に勝手ではありますが一切のコメントを差し控えさせていただきます。生前のご活躍に改めて心よりご冥福をお祈り申し上げます。
天龍プロジェクト代表嶋田紋奈