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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

フレッド・ブラッシーは「相手が痛くない技をかける」名人。その一方でどんなガチ格闘家より『命懸け』…という逆説

本日は、こんなプロレス夜話を(書いてるの朝だけどな!)。
おなじみ柳澤健「1964年のジャイアント馬場」より。

1964年のジャイアント馬場

1964年のジャイアント馬場


柳澤氏は以前から、フレッドブラッシーが観客や相手選手をあおって会場に客を詰め掛けさせるトラッシュ・トークに大きな敬意を払っており「世界を煽った」モハメド・アリの源流とも見立てている。この両者に深い交流があったのは、氏の以前の作品

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

の第三章「アリはプロレスに誘惑される」を参照のこと。


そのブラッシー、大流血の凶悪ファイト、噛み付き攻撃で鳴らした大悪党なのだが…一方で仲間たちから深い尊敬を受けていた。
というのは…ある対戦相手の証言。

(略)…プラッシーヘッドロックは まったく痛くなかったと証言している
「リング上のフレディはみんなの憧れだった。鋭い目でにらみ、今にも対戦相手を殺しそうな雰囲気をただよわせていたのだが、技のかけ方は非常に甘かった。フレディのヘッドロックはとても緩いので簡単に抜けることができた。
それでも彼の表情や体の動きが非常に激しいので 見ている人はもうすぐ頭が割れるのではないかと心配してしまうんだ」
言葉と態度だけで 殺意に近い興奮を作り出すことのできるプロレスラーなど滅多にいない。

90年代、いわゆる四天王プロレスは、もちろん受身も、相手に配慮した信頼や心遣いもあったのだが、タイトルマッチ前には親に「もし何かあっても、三沢さんを恨まないでくれ」と言い残したような、本当にやばい技を仕掛けあっていた。ダイナマイト・キッドやそれをリスペクトしたクリス・ベノワも「ガンガンやってこい、俺もガンガンいくから」という態度であり、そういう選手ももちろん業界内では尊敬される。
  
だが「ものすごく痛そうなのにまったくダメージの無い技を仕掛ける」選手も、すごく尊敬されるのがまたプロレスでもある。この種のうまさで高い評価を受けたのがヒロ斎藤なのだという……。

対戦相手の馬場が、控え室でグレート東郷に殴られていたのをとがめ「馬場を育てるため?育てるならなぜジムに行ったり、マットで練習しないのか」と怒ったり、初対決で張り切りすぎたデストロイヤーが過激な受身をすると「そこまでやらなくていい!死んでしまうぞ」と気遣ったそうだ。
口癖は「相手をグッドに見せろ。相手がグッドなら自分もグッドに見える」。


だが。
話はそこで終わらない。
決して痛くない技を仕掛ける、相手に優しいプロレスをして対戦相手から内心尊敬を受けているブラッシーだが、その一方で表面上…マイクアピールやプロモーションでは相手のみならず
「女性ファンよ、私という贈り物を神からもらったことを感謝しろ!」
「ここの女たちはジャガイモの袋をかぶった様な格好だ」
などとさんざんののしった。
自分も、「力道山死去XXX年」を特集する昭和後期の特番で、ブラッシーが「俺は力道山に負けただと!あれは合成のインチキフィルムだ!!」と吼えるのをみて、コドモゴコロにマジで怒り、「じゃあ、警察に鑑定してもらおうよ!!」とか口走り、一緒にみていた父親や祖母に失笑されたのを覚えているよ(笑)。

そういうマイクアピールの結果・・・

(P149)…プラッシーは覚悟を決めなくてはならない。
試合が終わればすぐにリングを降り、憎悪に燃えさかる観客のあいだを通って控え室までたどりつかなくてはならない。
「控え室から出て再び戻ってくるまでは人生をかけた戦いだったと言えるだろう」

観客は「振り回せるものなら棒であろうとなんであろうと手にしていた」というから路上の現実すぎる!!
彼が棒以外に経験したのは
・硫酸
・ふくらはぎにナイフを刺される
・夜道を車で尾行される
・気が付けば車のバックミラーに穴が開いて、後部座席に銃弾が転がっていた


「インチキなプロレスは、時に本物の殺意を呼び起こす」と柳澤氏は語る。

氏は適宜、この本からも引用している。

フレッド・ブラッシー自伝

フレッド・ブラッシー自伝


もともと性質が違うから、ガチ格闘技と比較したこの記事のタイトルも正直煽りなんだけどさ、それでも「毎晩の試合で、控え室とリングを行き来するたびに『命懸け』となる」というと、死を覚悟する経験値が貯まりすぎだろ(笑)。
もっともフェイクなことをやっている、ショーマンプロレスラーが、ボクサーや柔道家総合格闘家と比べても一番「死に直面して覚悟を決める」経験を積んでいた、という。


…異議は認める。
でも、たしかにそういう時代はあった。



そういえば前田日明は、山本小鉄を懐かしむ回想インタビューの中で、
「新日本のストロングスタイルの源流は、コーチの山本小鉄さんが反日意識のもっとも強いテネシーなどで星野勘太郎さんと「卑怯な日本人タッグ(ヤマハブラザーズ)」を組んで大暴れしたこと。猪木さんもそういう経験がある。当時のアメリカでそれをやるなら、マジの腕っ節と度胸が必要だから、結果的にガチの腕も磨くストロングスタイルが必要になった」
という見立てをしている。

最近の前田のプロレスに関する「見立て」や「イデオロギー」のなかでは、非常に秀逸な新視点でありました。
たしかこの号。

KAMINOGE vol.33

KAMINOGE vol.33