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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「ゾンビ取りドラマ」問題、その後をご存知ですか…作者が四コマで激白。/そして「アイデアと模倣」をまた考える。

漫画「ゾンビ取りガール」の”アイデア”部分を使い「オリジナル」ドラマを製作?するのかどうか。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140812/p3
 
福満しげゆき」先生の漫画「ゾンビ取りガール」が無断でドラマ化された可能性について - Togetterまとめ http://togetter.com/li/704965

こんな話題がネットで注目を集めたのは、まだ猛暑と豪雨の8月のころだったか。
いま、ドラマもやってるんでしょうかね。見てる人は見てるのでしょう。


で。
その福満しげゆき氏の「ゾンビ取りガール」は2巻目がこの騒動のあと、出版されたりしたんですけど、同時に自分と家族に言及するエッセイ漫画も得意とする福満氏は……『この騒動の話だと直接は描いてないけど、どこから見てもこれに対する見解だ!!!』と分かりすぎるエピソードを「漫画アクション」連載の「うちの妻ってどうでしょう?」の中で2回にわたって描いているのです。
あんまり「妻」は関係ないのに(笑)

これはひとつの創作論やアイデア論、SF論にもなっていて、スキャンダラスな意味を除いても大変興味深かったのですが…上の騒動を受けた「解決編」的なものでもあるのに、最初の盛り上がりほど盛り上がっていない…というかこの話題を少なくとも「はてな」ではあんまり見なかった。

そこで、ここで紹介し、総括の一助に出来ればと思います。



えーと、「漫画アクション」の前号?前前号??ぐらいだったかな。だからたぶん同誌の20号と21号のはず。
うちの妻ってどうでしょう?」のある意味、内容的には特別編「僕とゾンビ」(上)(下)と考えてください…。

「僕とゾンビ」(上)の内容要約

・自分とゾンビの出会いはテレビでやっていた「ナイトオブリビングデッド 死霊創世記」。
 
・それにハマってゾンビ物はむさぼるように見たけど、映画では結局ロメロのものしか満足できなかった。ある意味でゾンビ中毒。

  
・そんな自分がすごい!と思ったのが漫画のゾンビ。花くまゆうさく氏の「東京ゾンビ」だった。「日本が舞台でもいい」「自分好みのゾンビものは自分で作れ(描け)!」ということを教えてくれた。
 
・そんな中、バイトを始めると町の中にはホームレスの人や、「変わった言動」の人がいて、そしてそれを人々は「見てなかったことにして日常を営んでいる」ことが印象に残った。
 
・そこから花くま先生の設定もリスペクトしつつ、自分のゾンビ漫画を描き始めた。一番のキモは「ゾンビが”野犬”程度の危険性&日常性で街に溶け込んでいる」こと。
この設定のいいところは…(画像参照)

・だけど、この設定の作品を描く前に別のものを中心に描くようになった(それが「妻」もの、日常「小規模」もの)ので、あまり発展させられなかった。読みきりは描いたけど…



「僕とゾンビ」(下)の内容要約

・そうこうしているうちに、日本の漫画家による「ゾンビ漫画」がどんどん出版されるようになってきた。
 
古泉智浩氏の「ライフ・イズ・デッド」を読んだ時は…花沢健吾氏の「アイアムザヒーロー」を読んだ時は…相原コージ氏の「Z」を読んだ時は…
 
・これらのライバル作品↑について、福満エッセイ漫画の真骨頂である「ふつう格好をつけたり、人間関係が悪化することを心配して公表を憚るような内面の劣等感や優越感、嫉妬や羨望をそのまま描いちゃう」が炸裂しています。だけど、ただの感情論ではなく、「ゾンビもの」の枠内の中での設定、工夫…に関して、さまざまに比較して、特にオリジナルな工夫はなんだろうか、ということをけっこう的確に指摘。
「ゾンビを一種の病気として扱う? それは僕も考えたもんねー」「けっゾンビは『ガロガロしい』とこの専売特許と思ったらメジャーのやつが来やがった!」「あーくそっ、むしろオーソドックスのほうが一回転して新しいんだ!!」
とかとか。

  
・しかしこんな工夫や先陣あらそいについて「そもそもゾンビという設定がロメロの創作であり…」という声を聞くが…(画像参照)

 
・そんなふうにして、がんばって作ったのが氏の「ゾンビ取りガール」であったのです。

 
・しかし、この「僕とゾンビ」の最後を飾るのは、なんとも寂しく、涙の出るような会話。上の作品は次々と映像化されていく中、「僕の漫画も映像化されないかなー」とつぶやく(少し前の)福満氏の元に、「ちょっと未来からやってみたもう一人の福満氏」がやってくる。
そして言うのだ。
「それは もう ない…」
「似た感じのものなら…(後略)」 
そして、それがそーなって、あーなった以上、ゾンビ取りガールが映像化されるわけはない、というゆえんを語ります(画像参照)。

もう引用を憚るが、
最後は「いちゃもんをつけてしまったようになりすいません(大意)」と、福満氏のほうから詫びているんだよ……。


氏が実際に当事者となって、出した結論、実際の感想なんだから、外野的にはそれを諒とするほかはないが。


著作権的な問題とは別の場所で、作者はオリジナリティにどうこだわっているか?という話をいしかわじゅん氏が「漫画の時間」で書いてたのだが。

漫画の時間 (新潮OH!文庫)

漫画の時間 (新潮OH!文庫)

この前画像もふくめて引用したばっかりのあの本が、いま見つからない(またか!)。
見つかったら引用しますが、「やはり作者というのはプライドがある。オリジナリティまったくなしに、誰かのマネをして描く、というのは(著作権の問題とは別に)プライドが許さないものなのだ」といった内容のことを書いていた…はずだ。
うーん、それを引用しようと思っていたのに、その部分がないと締まらないなぁ。


しかし「刑事コロンボ」と「古畑任三郎」の関係は?

これは先週か先々週…たぶん11月5日だったかなあ、のTBSラジオ「たまむすび」では「刑事コロンボ」の特集をしてましてね。

http://www.tbsradio.jp/tama954/peak/
11月5日(水)ピークを探せ
さまざまな物事の「数字」にこだわり
その頂点・ピークを探し出して発表するこのコーナー。
今日は、「刑事コロンボ」のピークを探しました。

※音声は一週間で削除されます

そこでは
・犯人の犯行、そしてそれを隠蔽するトリックがまず描写され、視聴者は「犯人がどう刑事に追い詰められるか」を楽しむ倒叙型推理物。
・犯人は、大スターの役者がつとめることが多い。
・刑事役は回りくどい質問を浴びせていくことで、徐々に推理の包囲網を狭めていく…


という特徴を紹介。そしてこっちにも話を進める。
【要約】『これを聞いて日本のドラマ「古畑任三郎」を思い出す人もいるでしょう。そうです。脚本の三谷幸喜氏は「大のコロンボファン」だと公言し、古畑はコロンボへのオマージュ、和製コロンボを作ってやるぜ!!というつもりで脚本を書いたと以前から語っています(※だから問題ないのです)』

と。
……うむ、自分もそれには基本的に同意しますねん。
お笑い芸人のモノマネでオリジナルの歌手の人気が復活、というのはよくある話だし、「古畑からコロンボを見始めた」という人はそれなりにいる。漫画でも結局、広い意味での「XXXXXもの」という系譜がずーっと続いていてくれてるほうが、オリジナルに当たる作品の寿命も延びる、ということはすっごくあるっすね。


今回の「ゾンビ取り」がモヤモヤするのは、やっぱり同時代的な作品であることがひとつと、そんなふうなあれなら原作とはいかないまでも原案とか、設定協力とか…そんな形で金銭的にも報われてればなぁ、というのが外野からの思い、だからなのかもですね。


あと、今思い出した。
アイザック・アシモフも何かのエッセイ集で断言している。
要約すると

プロの作家から見れば「これは設定は似てるけどパクリじゃないな」「これはパクッたな」は分かるもんなんだ。その境は何かというと、これは口でいうのは難しい。だけど、断言するがはっきりわかるんだ!!!

と、アシモフが言ったにしては、明確な根拠を示さず、またこれほど強い断言口調(翻訳だけどさ)なのも珍しい気がしたので印象に残っている。
たしか自分の作品と、先行作の何かが似ていることを丁寧に問いあわせた若い読者の手紙に答える形だったかな…。
【追記】はてブより

id:ka-ka_xyz 件のアシモフのエッセイはおそらく http://www.amazon.co.jp/dp/4150113432 収録の「オリジナリティとは」(文庫版p462)

ゴールド―黄金 (ハヤカワ文庫SF)

ゴールド―黄金 (ハヤカワ文庫SF)

※自分はこの本を読んだ記憶が無いのですが、アシモフは同じ文章が複数の書籍に収録・翻訳されていることがあるので、そのひとつかもしれませんね。自分が読んだのは「アシモフ傑作アンソロジー」的なものだったかも。




ともあれ、8月ぐらいにネットの一部で話題となった「、あるゾンビ漫画とゾンビドラマの関係」については、作者が上のようなことを自身の作品の中で語った……ということを紹介しておきます。

うちの妻ってどうでしょう? 1 (1) (アクションコミックス)

うちの妻ってどうでしょう? 1 (1) (アクションコミックス)