「キリスト教の暦を強制、西暦表記の卒業証は違憲」 滋賀で父子が提訴
2014.9.19 15:48
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140919/trl14091915480002-n1.htm滋賀県立大(彦根市)を卒業した女性と父親が「西暦表記の卒業証書はキリスト教の暦を強制するもので、信教の自由を保障した憲法に違反する」として、大学などを相手取り、元号で再交付するよう求める訴訟を19日、東京地裁に起こした。
訴状によると親子は仏教と神道を信仰。3月に卒業した際、発行日と生年月日を西暦で書いた卒業証書を渡され、父親が元号表記で再交付するよう大学に頼んだが、断られた。
滋賀県立大は「訴状が届いておらずコメントできない」としている。
記事自体より、むしろブクマがおもしろい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/140919/trl14091915480002-n1.htm
そしてこれを受けて、
これまで年号表記をめぐって争ってきたのはキリスト者の側だった - Danas je lep dan. http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140919/1411138689
という記事もあり、これも反響が大きかった。
UFC大会やすみで、携帯からしか反応できなかった当方もブクマはつけたものの、長文で感想をかきたくてやきもきしていたのだが、やっと今かけるというわけ。
ちなみに当方のニュースへのブクマ。
gryphon がはは。この訴訟、実は期せずして王手飛車取りなんよ。勝てば元号、負ければ…「宗教由来でも、浸透した一般習俗はええねん」というロジックになるはず。すなわち神道には援軍(笑)。さアどうなる。
これはいうまでもなく、他のブクマでも言及されているけど「津地地鎮祭訴訟」を念頭においている。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/25-3.html
……諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件起工式は、宗教とかかわり合いをもつものであることを否定しえないが、その目的は建築着工に際し土地の平安堅固、工事の無事安全を願い、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法20条3項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である。
この判断を強化することになるだろー、というのが当方の予想。
刑務所のムスリムにハラルが提供される理由、とつなげて考えよう。
この議論、絶対出ると予想していたがまだ出てないね。この前、「歩く赤い爆弾」みたいな閣僚の過去の発言として出ていたでしょ。
あ、あったあった。
松島みどり新法務大臣「刑務所でイスラム教徒に配慮し、豚肉を出さない等のひいきをするな」→ 炎上 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/715544 @togetter_jpさんから
元発言は荻上チキ氏で、元発言からもいろいろツリーが伸びている。
https://twitter.com/torakare/status/507747083512594432
さて、ところが。
なぜ、ムスリムには、刑務所の食事として、豚肉やうろこの無い魚、ラクダ肉などを世俗国家・日本が出してはいけないのか…ラクダ肉は元から出ないか…と、いうことを松島法相とはちがい(笑)、もう一段原理的に考えるとちょいとややこしい。
というかもう少し一般化させて、幅広く考えた問いにしてみよう。
「宗教的なタブーや義務を世俗国家はその制度の中で認めるべきなのか?認めるべきならば、それはどの範囲までか?」
これはたぶん、元ツイートの荻上チキ氏もそんなに明確には答えられないかと思う。というか明確に答えられる人とかいるのか。
ま、それをこのエントリーでは考えていきます。
そしてこの問題を説明する時は、これにまさるものはねえ。いしいひさいち漫画の再紹介。
不滅の名作
「信教の自由に関する一考察」
(いしいひさいち「がんばれ!!タブチくん!!」アクションコミックス版1巻より)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070627/p2
金貸し「うちも道楽でサラ金やってるわけじゃないんだよ」
借りた人「はあ、それがどーしても返せないワケがあるのでございます」
金貸し「なんだそりゃ」
借りた人「信仰上の理由なのでございます」
金貸し「ふーん・・・で、なんだそりゃ。アーメンか?ナンマイダか?」
借りた人「『借金かえしちゃいけない教』と申しまして」
この教会に連れて行かれた金貸し、異端だ邪教だとぼこられて逃げ帰る(笑)。
自分がもし刑務所に入ることになったら、その判決が出る直前に「毎週1回は焼き肉(特に牛タン必須)、おやつはケーキ、3日に1回はビール飲んで、毎週小学館、集英社、講談社の漫画雑誌は読まなきゃいけない教」に入信するわ(笑)。信者おれ。開祖おれ。
・・・・・・などといっても「ふざけんな」で終わるだろう、実際的には。
いや、実は例えば
「ファイルコピーは神聖教」
http://gigazine.net/news/20120105-church-of-kopimism-official-religion/
も
「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」
http://matome.naver.jp/odai/2135582329012914601
もこういう「宗教なら認めるっていうんなら、こういうものもOKなのかい?そうじゃないだろ?」というパロディ活動であったはずだ。
そこが宗教のいーいところで、俺の上記「いけない教」と、預言者ムハンマド(彼の魂に平安あれ!)が啓示を受けたイスラーム、あるいは預言者だか神の子だか大工の子だかはいろんな見方があるイエスの教えと、どこに差をつけるかというと………少なくとも、刑務所を運営する世俗国家の基準では……。
「その宗教に伝統があるか」
「習俗となっているか」
「信者が一定数いるか」
「宗教法人などが存在しているか」
「その宗教規定を認めないと国際問題になるか」
「その宗教規定を認めないとテロなどの発生のおそれがあるか」
というよーな、普遍的な「人権」の判断基準とはあまり関係のない、とっても散文的な基準によって線をひくしかないんとちゃう?ということです。少数派の宗教も多数派の宗教も、ひとしく価値は同じです、なんてリベラルなこと言ってらんね。
上のhttp://togetter.com/li/715544をもう一度見てほしいが、まとめた@Xenobladep 氏もこう書いている。
イスラム国に目つけられたらどうする気だよ
そう、「武装集団の実力行使」が懸念の理由になる実情。逆に言えばテロが怖くない「いけない教」やスパゲッティ教団は無視無視。
数や影響力、歴史を基準に線を引き「大学証書の年号はキリスト教でいい」「刑務所でムスリムにはハラルを提供していい」「公共施設で地鎮祭をしてもいい」、でいいんじゃないだろうか。これ「世俗国家が『特権』を付与している」と考えれば分かりやすい。
こうやってみると、津地地鎮祭訴訟はいい判決だったのだろうね。
「特権」は、別に悪い意味ではない。
国王などの専制に対抗しえるパワーとして、宗教団体(教会や寺社)や貴族の「特権」は理論的にありえたし、実際にアジールとしての難民保護なども寺は行ったし、貴族の特権の中から王を抑えるマグナカルタ…そしてそこから、民主主義のお手本たる英国議会も生まれたのだ。
過去の文章を再紹介しよう
「ファイルのコピーは神聖な宗教行為」と主張してたら、本当に宗教として公認された国(笑) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120106/p2
何度も紹介したクイズだけど
「『王権』の対立概念ってなーんだ?」
「うーん、国民みんなの平等な人権?」
「違います、正解は貴族や寺社の『特権』です」
と。それがアジールにもなるし、
「まず貴族階級がエゴイズムむき出しで王のやることにタガをはめます」
「それを200年ほど熟成させますと、こちらに議会のできあがりでございます」
なんてなことも無くはない。
上のブクマに書いたけど給食、「僕は豚肉きらいなんです」だと居残りもの(今はもうこの風習ないのかな?)だが「僕はムスリムなんで」なら、無理じいしたら校長教頭担任のクビが飛ぶ(役職を失う、という比喩表現ですよ、為念)。ドーキンスばりに「神は妄想」…といわなくても、どの神を信じるかは内心の問題、畢竟趣味の問題にすぎない…とりべらーるに考えるなら「豚肉きらいだから食べない」「豚肉イスラム教徒だから食べない」に、極論をいえば差は見い出しがたい。それは少数派迫害というなら、厳格な神道一家の子供が「ケガレ」概念を学校で押し通せるか、ヒンズー教徒が「カースト」概念に基づいて学校で…
なんてのも想像してほしい。
しかし、実際の問題として学校給食でイスラム教徒に対して一律に豚肉食を強要もできないだろう。よく考えればこれは一にも二にも力関係、といって悪ければ柔軟な状況判断なのだろう。これも前にも書いたが、新年度に始まる武道必修化。
とあるカルト宗教?でも新興宗教?でも、定義はそれぞれでいいんだがが、自分たちの恣意的な聖書解釈(※もちろん、これこそが真の聖書解釈である!他が異端邪教!−−という可能性も排除はできません)によって、「マーシャルアーツフォビア」というか「マーシャルアーツヘイト」な狂信を凝り固まらせて(聖書の恣意的解釈(※もちろん以下略)で同性愛を嫌悪するホモフォビアと全く同じ構図!)、それを根拠にして学校の公教育を拒否、あまつさえそれを認めろと司法に訴えたことがあった。
しかし、司法(最高裁)はそれを認めた(笑)。このことは一度、ならず数度にわたりネタにしている。「マーシャルアーツフォビア」という概念のでっちあげと造語もこの時したんだっけ。みんなで、はやらせてください。
最後に質問。今現在の日本の刑務所で「ジャイナ教」の戒律やユダヤ教の安息日、ヒンズーのカースト、神道の穢れ概念、は認めてくれているかな?
在家信者によるアヒンサーの実践
ジャイナ教は厳格な菜食主義を要求するおそらく世界でも唯一の宗教である[9]。根菜、鱗茎、たくさんの種子を持つ野菜その他のような生物を傷つけることにかかわるようなベジタリアン・フードですら厳格なジャイナ教徒は避ける。アヒンサーの重要性は他にもジャイナ教徒の多くの生活様式に現れている。そのためしばしば在家信者は、生物に対して暴力をふるうことが最も少ない職業である商業に携わることになる。毛皮、羽毛、絹などでできた服は着ない。革の使用は最小限に抑えられ、何らかの出来事で自然死した動物のものだけが使われなければいけない。食事は可能な限り日中に食べられる、というのは夜間に調理を行うと虫を殺してしまう可能性が高いからである。迷い込んだ虫が死んでしまうことのないように、ジャイナ教徒たちは燈火を囲っておき、水を入れた器に覆いをかける。同種の用心として、水は使う前に必ず濾しておく[9]。長い年月の間、ジャイナ教徒は暴力を必然的に伴う職業に就くことを避け続けてきており、このために不釣り合いな割合のジャイナ教徒が銀行業、商業、その他商取引関係の職に就いている[9]。
追記 「スカーフ(へジャブ)」と「輸血」
思い出したので本だけ紹介ね
ムスリム女生徒のスカーフ着用が、ヨーロッパ各国で問題となっている。西欧とイスラームはなぜ対立するのか。それぞれの社会の基本原理とは?その現実とは?そして共生の条件は?衝突か、和解か。憲法学と社会学の共同作業による、比類なき一冊。最終章、樋口陽一氏を招いての鼎談は圧巻。神の法vs.人の法 スカーフ論争からみる西欧とイスラームの断層
- 作者: 内藤正典,阪口正二郎
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2007/07/30
- メディア: 単行本
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自らの信仰に忠実に従うあまり、両親は愛児への輸血を拒否。交通事故に遭った小学生は苦しい息の下で「生きたい」と訴えながら、出血多量で死んだ。なぜ、両親は子供に対する輸血を拒否したのか。なぜ、医師は輸血を施し子供を救えなかったのか。衝撃の事件の真相に迫る講談社ノンフィクション賞受賞作品。
- 作者: 大泉実成
- 出版社/メーカー: 講談社
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