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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「大東京ポッド許可局」24日に開催。「ポッドキャスト」という新兵器で、芸人が成り上がった”歴史”を振り返る。

http://www.tbs.co.jp/radio/event/music/M10964/M10964.html
2014年8月24日(日)
開場時間 15:00
開演時間 16:00
場所 日比谷公会堂
出演 東京ポッド許可局(マキタスポーツプチ鹿島サンキュータツオ
内容 真夏の祭りがやってくる。
4年ぶりの東京ポッド許可局のお祭りが!!!
チケット チケット 前売り
S席4000円 A席3000円

という催しがある。皆さん、けっこうTBSラジオなどを中心に現在露出が絶賛急増中であり、どこかで名前を聞いたこともある人も多いでしょう。日比谷公会堂を、単独のお笑いで公演しちゃうというのも、かなりすごい話であって。twitterはそれぞれ

サンキュータツオ@39tatsuo プチ鹿島@pkashima マキタスポーツ@makitasports


さて、彼らがブレイクしたのはどこのテレビだったか?それとも寄席?
いやいやいや。…というかそもそもの場所を紹介しないといかんね。

ウィキペディアのほうがてっとりばやいや

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%83%9D%E3%83%83%E3%83%89%E8%A8%B1%E5%8F%AF%E5%B1%80

2008年に、「屁理屈をエンターテイメントに!」を目標にして毎週更新のポッドキャスト番組の自主制作を始め、2011年に2000人収容の日比谷公会堂を満席にすると共に、ポッドキャスト登録者数が30万人を突破[1]。
また、2012年にはクリスマスイブにイベントを行い、草月ホールに500人を集めるという大成功を収めた。そして、2013年に地上波に進出するという念願成就を果たし、TBSラジオでレギュラー番組がスタートすることになった[1]。


自分は今から思えばすごい話だが、『「ポッドキャスト」はI-podがないと聞けない』と思っていたのでこれらに限らずポッドキャストのムーブメントを一切スルー(笑)。というか、今でもだいぶこっちの方面は貧弱だが、数年前までラジオを聴く習慣が無かったのだ。
町山智浩氏や水道橋博士のツイートやブログで、ラジオ、とくに「小島慶子をはじめとするTBSラジオ」で何かがある、ということは伝わってきて…またたまたま、その時間帯に車を運転する生活になる時期があり、そのころ聞いてやっとラジオ文化、そこから派生したポッドキャスト文化が分かってきた感じだった。


だが、一方で……と続ける前に、当事者の言を読んでもらうとしよう。
御馴染み、メルマガ「水道橋博士のメルマ旬報」で、この前、上イベント出演者のひとりプチ鹿島氏が「まんが道」ならぬ「ポッド道」、「ブラックジャック創作秘話」ならぬ「東京ポッドキャスト創作秘話」を書いているのでありました。というかあとの2人、サンキュータツオ氏もマキタスポーツ氏も同メルマガではそろい踏みしている。

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プチ鹿島氏は、この前、初の新書を出版した。


こちらもあとの機会に紹介するが、その前ふり的な意味でも、この「ポッド秘話」を、やや長めに引用させてもらう。メルマガは2014年6月25日号より。

 
最近TBSラジオ「東京ポッド許可局」を聴いてます、とあちこちで言われます。ありがたい。
(略) 
この番組はもともとポッドキャストで自主制作していたものです。しゃべっては勝手に流していた。
 
聴いてくださる方がジワジワと増え、登録者数が10万人を突破して「ポッドキャストの殿堂」入り。そのあと30万人を超えたことまでは覚えています。
 
2011年の夏には日比谷公会堂で2000人のライブを敢行。2013年春からはTBSラジオでラジオ番組化。
 なかなかのミラクルな展開。
 
よく、ネタにしろ仕事にしろその分野でいちばん最初にやったヤツは強いよね、とそれこそ我々は他人を見て語ってきました。
 
でも結果的に、何もなかった3人がポッドキャストという分野で「殿堂入り」という肩書をもらったことによって、あの頃から「わかりやすい肩書」ができたことになる。いまにして思えば。
 
そもそも「東京ポッド許可局」って誰が最初にやろうと言いだしたのか。
スタート時の意味合いを考えれば考えるほど大事なことに気づいたのです。
 
マキタ、タツオにポッドキャストをやろうと誘ったのは自分だとずっと思っていました。記憶も確かだ。「マキタ学級大文化祭2007」という大きなイベントが2007年10月5日にあった。
 
そこでマキタさんが「芸能とか音楽とかスポーツとか年表で語るトークコーナーをやろうと思うんだ。手伝ってくれない?」と私に出演依頼をしてくれました。
(略)
イベント数日前にマキタさんが自分が育ってきた時代の年表資料を持参して中野のロイヤルホストで2人で打ち合わせをしました。打ち合わせと言っても芸能・娯楽・スポーツがたくさん並んでる年表です。バカ話をするだけ。マキタさんが音楽のことを語り出すと私が同じ時期のプロレスや野球のことを語る。お笑い番組のこととかも。そしたら繋がりがなさそうなモノがどんどん同じ土俵で語れる。…(略)…その話が脱線して「長渕と鶴太郎の生きザマは似てる」とマキタさんが言いだしたのもこの日です。
 
ああ、こういう「おもしろい」もあるんだなと私はつくづく楽しかった。結局朝まで話しました。

自分が「世の中は『年表』で何でも語れる」「年表ブーム来るで」とか言い始めたのは一昨年から今年ぐらいだが、もうこのへんでは「ハジマタ」状態だったんだな(笑)。
ま、それはどうでもええねん。ここからが重要。
日本のIT技術が文化、社会に及ぼした影響を将来まとめるとき、重要なオーラル・ヒストリーとなるので注意をば。

帰りがけに「いまポッドキャストというのがあって、小さな機械ひとつあればすぐ配信できるんだよ。ファミレスとか喫茶店でそのまま収録できる。今日みたいな話を粛々と配信しちゃえばいい」と駐輪場で言いました。マキタさんは「ポッドキャスト?」と興味深そうでした。
 
私がなぜポッドキャストを知っていたかというと、同時期に「みち」さんと知り合っていたからです。
(略)
みちさんは既にポッドキャストのレコーダーを持っていて自分たちで番組も配信していました。その博識ぶりや切り取り方、フットワークの軽さに芸人とはちがうおもしろさを感じました。
(略)
そして「東京ポッド許可局」の構想がもちあがったとき、迷うことなくみちさんに協力をお願いしようと考えたのです。
 
 
そんなわけで「ポッドキャスト?できるのそういうの?」と言ったマキタさんに「みちさんて人がいるから今度紹介する」と言い、そして「タツオも絶対入れよう。3人でやろうよ」と私は言いました。
 
マキタ、タツオとは新人の頃からいつもお笑いライブ終わりで飲んでいた。だからこの3人の「手の合う」ことは知っている。タツオの屁理屈トークとか、それこそ小朝論も飲みの席で聞いていて感心していました。
 
で、これも不思議なことなので今でも覚えているのですが、マキタスポーツポッドキャストの話をしたその日の夕方にタツオから「鹿島さん、今度ポッドキャストをやりたいと思っているんですよ。やりませんか一緒に」というメールが来たのです。その偶然に驚いて「今朝、マキタさんにもやろうと俺言ってたんだよ」と返しました
 
そして年明けです、2008年1月中旬にマキタ邸に集合して初収録。2月から配信し…

話はこのあと、そのへんの時系列、記憶に3人で細かい異同がある、という話からサンキュータツオ氏のブログを引用し、「どうも、同時期にやっぱり、偶然ながら『ポッドキャストでお笑い定期番組』という構想を抱くようになっていたらしい」と考察されている。


その記事は

『東京ポッド許可局』4月からTBSラジオで放送:「会いにいけるおじさん」がお笑い界の第三極になる! http://39tatsuo.jugem.jp/?eid=1224

で、ここからタツオ氏の過去の「音声メディア論」にリンクも張られていて興味深い、あとでじっくり読んでみよう。

とりあえず、もう一度プチ鹿島氏のメルマガに戻る。

…いま私は「誰が最初に東京ポッド許可局をやろうと言ったか」を書いてますが、それは誰の手柄なのかということを探っているのではありません。どうでもいいもいいんですそれは。
 
ここで想像したかったのは「鹿島が芸人を辞めないためにマキタがタツオに連絡してあの日に意見が揃った」という美談よりも、
「あの頃、何か新しいこと始めようぜと3人が考えていて偶然同じ日に動いた」と想像したほうがおもしろいということなんです。
(略) 
真相を探ろうと思えばいくらでもできる。マキタ、タツオに時系列順で聞けばいいわけだから。でもあえてしてません。

「ネット音声・動画文化発展史」の一章として。

2008年にポッドキャストで始まった自主制作の”番組”が今は地上波ラジオのレギュラーとなり、4年ぶり2度目の日比谷公会堂公演、というだけで絵に描いたように明白な成功ぶりであるわけなのだけど、当然これは才能豊かな3芸人の成功ヒストリーであると同時に、新興の「ネット音声・動画メディア」の成功のヒストリーであります。


自分のこのブログ「見えない道場本舗」も2004年スタートで、おそろしいことに10周年。

youtube

http://ja.wikipedia.org/wiki/Youtube
PayPalの従業員であったチャド・ハーリー、スティーブ・チェン、ジョード・カリムらが2005年2月15日にカリフォルニア州サンマテオで設立した[3]。初めて動画が投稿されたのは同年4月23日である[4]。設立のきっかけはハーリーらが友人にパーティーのビデオを配る方法として考えた結果に作った技術を使い、「皆で簡単にビデオ映像を共有できれば」と思いついたことによる[5]。
11月7日、ベンチャーキャピタルSequoia Capitalから350万ドルの投資を受け[6]12月より公式にサービスを開始した[7]。

だから、そのさらに後発のニコニコ動画も合わせてこっちが先輩。楽屋で会えば天下のyoutubeもニコ動も「道場本舗兄さん」ですよ。なんだ楽屋って。



そんな中でこのブログは…以前からの読者ならご存知でしょうが、音声や動画の公開、アップロードがより手軽に、一般化するのを見ながら、それがどんなふうに「メディア」として発展するのだろう、とか考えてまいりました。
今現在、その考えてきた歴史は(全部ではないが)、会見や演説が、文章としても動画や音声としても「ぜんぶ」公開できるという流れと合わせて【全文革命】と命名
【全文革命】で検索すると見られるようにしています

youtubeやニコ動は、いかに言いつくろおうと(笑)、当初はテレビや映画の海賊版、あるいはせいぜい、パロディとしてのMADテープ、MADビデオの公開の場所でありました。
でもたしか、産経新聞だったかな…「アメリカの沿岸警備隊の隊員が、いかに自分たちの装備が経費不足でぼろぼろであるかをyoutubeに流して告発する」という使い方が1、2年後に登場したという記事があったりした。

そんな報道とか、規模や仕組みはまったく違うけど、ネット放送という意味では先駆者であるGyao岡田斗司夫の番組とかを考えつつ、「たぶんマイク一本で、あとはその人の語る内容次第という『トーク』の才能が、この”新メディア”の中から登場するだろう、という仮説をぼんやりと立てておりました。


おっと、今思い出した。2007年から、当時ちゃんとしたメジャーどころである水道橋博士宮崎哲弥をホストにしてネット上で始まった「ミランカ」の「博士も知らないニッポンのウラ」、これがちゃんとした、地上波やCSに負けない「番組」であったことも特筆すべきでありましょう。


…ああ、さらにその前があった。MMA界隈ではもう90年代からネットラジオ「eyada.com」というのがあり、ここが当時は「日本で聞かれてる」というイメージが登場する選手になかったもんだから、英語でぶっちゃけまくりで、スクープが入れ食い状態だったんだよ!!!



そんな背景があったから「ネットで音声を使えやすくなればなるほど、それに従って、そこから『トーク』で頭角を現す人が出てくるだろう」という仮説は生まれたんだな。



ああ、その仮説をそのまんま書いた文章を、2008年2月にUPしてるよ俺。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080223/p6

ネットトークショーのためのコストは極限まで下がった。あとは「才能」と「覚悟」のみ。


……この「ニッポンのウラ」はホストもゲストも豪華だから別格だが、実は格闘技業界はネットトークショーの試みは古い。
まだ「ネットラジオ」が限界だった頃、90年代にエディ・ゴールドマンという格闘技ジャーナリストがちゃんとスポンサーもつけてeyada.radioというものを放送していた。
格闘家のゲストを呼んで、スクープ連発だったのですよ。
 
あの当時と比べると、ネットで音声や動画を見せる聞かせる、見る聞くというののコストや需要層は問題にならないほどひろがっている
わたしゃラッシュ・リンボーという名前や、また映画「トーク・レイディオ」、さらには町山智浩ブログなんかで、アメリカの時事ラジオ、毒舌パーソナリティの一人がたりについては知るのみだが、最近捕鯨に関連して「テキサスおやじ」と称される男が話題になったことは知っている人もいよう


彼は多分、北欧的なエコ・リベラルへの反感から日本びいきになってるだけ、という面もあるんじゃないかな?とは思うが、それはそれとしてやっぱり米国の時事ラジオ放談文化もあるんだろう。
ま、これが世界的に大ヒットするなんてのはそれこそ宝くじ並みだが、ともあれ「自分の意見を、独り語りの形(北野ファンクラブのような対話型でもいいかも)で動画にして定期的にUPする」
という形で、シロート・時事トークショーというものがとりあえず可能性としてはあり得る、ということを学んだ。
匿名中心の日本のネット社会で、顔まで出してこういうことをやる人がどれだけいるかは予想できないが、格闘技評論でも漫画評論でも、あるいはテキサスおやじのように政治的な立場を打ち出し、相手をボロクソにやっつける時事的放談に関しても、しゃべりと議論の才能、あるいは愛嬌があれば、こういう部分から野心的な若者が世に出ることも不可能ではないようだ・・・・・と思いました

ちょうどほぼ同じ時期に「テキサス親父」はシーシェパード批判でデビューを飾り?話題になったなりよ。


この人の主張もだーーーいぶ偏っていて、粗雑な面はかなり目に付くが、とりあえずその賛否両論はおくとしても、何物でもなかった一介の時事オヤジが、著書を異国から出版するまでになったという状況だけは事実だ。

テキサス親父の「怒れ! 罠にかかった日本人」 (SEIRINDO BOOKS)

テキサス親父の「怒れ! 罠にかかった日本人」 (SEIRINDO BOOKS)

テキサス親父、韓国・中国を叱る!

テキサス親父、韓国・中国を叱る!


そしてこの前、「ニコ生放送中のおじいちゃんが脳梗塞の症状を見せたのを、視聴者が気付いて一命を救う」というちょっとしたほのぼのニュースがあったが、その放送って、やっぱり時事問題のひとりトーク番組だったんですってね。そこまで一般化した。

http://news.nicovideo.jp/watch/nw1024240
インターネット生放送サービス『ニコニコ生放送』で、4月3日に放送された頑固一徹さん(69)の生放送番組中、番組を見ていたリスナーらが頑固さんのろれつが回っていないなどの症状に気づき、それがきっかけで人命救助に繋がる出来事が起こっていた。

頑固一徹さんは普段からニコニコ生放送で、日本について語る番組を運営していた。この日の放送では途中、体の違和感を漏らし……


そういうのと一緒にするのも、実はちょっと違う気もするが(笑)、でもやはり最終的な結論として、「東京ポッド許可局」の3芸人が、そのままポッド番組を地上波ラジオ化し、公演で日比谷公会堂を2回も使っているという状況…これが、個々人3人の「芸人出世物語」だけでなく、「メディア発達史」に大きく書かれるべきものだということをあらためて感じた次第です。


もう少しだれかが「ネット音声・動画メディア史」をまとめてくれないかね。

たとえばラジオ番組の人気コーナーを「ポッドキャストにして他の地域も、あるいはその時間に聞けない人もきけるようにしよう」というのは、今思うとかなりの大英断で、偉いさんには「守旧派」もいただろうし、そんなにすんなりと決まったもんじゃないと思うんだ。
どこの誰が発案し、どの番組が初めて、どんな反響や影響があったのだろう…

こんな「歴史」、そろそろ取りまとめる人がいていいんじゃない?東京ポッド許可局の歴史だって、上述したように、「今なら厳密に調べようと思えばできるけど、徐々に曖昧になってきている」わけなのだから。