■満員御礼、4.29DEEP後楽園。Ust有料配信が決定!/ところが「カメラアングル固定」??
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140419/p1
くわしく
■[DEEP] ★DEEP66:UstreamでPPV生中継が決定。料金972円でカメラスイッチングなし。 19:59
https://www.facebook.com/shigeru.saeki.3/posts/609552662470773?stream_ref=1
1.USTREAM
ユーストリームHP内DEEPHPから全世界に向けてLIVE配信
・日本語/サムライTVマテリアル センターカメラPPV
・英 語/SAMURAI TV MATERIAL CENTER CAMERA PPV
http://www.ustream.tv/channel/deep-official
さーて、はじめに聞いたときはけっこう驚いた話だったのだが。
これはもちろん推測だが、サムライTVが「センターカメラPPV」をやるのは、やはりサムライTVがネット中継の動きを警戒、牽制して、本放送とすみ分けを目指しているがためのことでしょう。
やたらと格闘技ファンが「いまやMMA興行はネット生放送の時代!!生中継もニアライブもしないサムライに、MMAファンは加入する価値なし!!あるいは毎月ごとにシビアに査定して、この月は見る、見ないを決めよう!!」とかブログで煽るからだよ。
どこだそれ(笑)
しかし、VTJとかと比較するとこの展開はやっぱり面白いです。
いろいろなものが自動化されても、今のところスポーツ中継のカメラマンはやっぱり職人技が要求される。それぞれの興行を「どこ」が撮影し、映像として作り出すのか。やはりそこはサムライを中心に回っていくのか。なつかしのクエストとかはどーしてんのか。
興味はつきない。まあDEEPは、Ust中継もサムライにお願いし、サムライのカメラから「ワンアングル」な映像を流して差別化もしつつUstもやると。
ちなみに「スカパー・オンデマンド」もVTJの1stはニコ動とそれの並列放送だったのだが、今回「スカパー・オンデマンド」も選択されなかったことも記してほしい。
「一方向の画面しか見られない」は大問題か?気にならないか?カメラアングルという「20世紀の魔法」がない状態に戻って確かめる機会
さて、文明史的大問題についてこれから語るのである。ほんとか(笑)
以前から書いた話の
繰り返しであることも
ご容赦されたい。
■「カメラの構図(コマ割り)」という20世紀の魔法 〜町山智浩「鈴木先生」評をきっかけに
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130220/p3自分があらためて興奮するのは・・・、いうまでもないけど、「そうそう『カメラ割り』・・・いくつもの画面で作る映画(テレビ、漫画含む)は新しい表現技法だったんだなあ」という、その起源や進化、意味をさぐる知的興奮だ。
ネット放送は(たいてい)タイムシフトもできて、それはそれでたいへん便利で活用もしているけど、「生」である強みがある。かりに同じ時間にプロレス・XXXXXXのビッグマッチがあり、同じ日時に格闘技団体XXXXの興行があるとき、サムライTVはたとえば生枠をどっちに提供するかの決断を迫られるが、USTやニコ動を使えばその規制はほぼ無くなる。
そういう点でもアドバンテージがあるな。
「会場に行く」のも空気だ匂いだ響く音だというのもあるが、魅力のかなり大きい部分が「リアルタイムで勝敗を知ることができる」であり、その点はサムライ生中継も、ネット中継も満たしているわけだ。
しかし、もうひとつ。
カメラアングル、カット移動の問題はどうか。
これがいわゆる「20世紀の魔法」なのである。
ヴィクトリア女王が1901年1月22日に没し、19世紀から20世紀がバトンタッチを受けて、その下で「映画」「テレビ」はすくすくと大きくなり、いままでどんな人間も見たことが無い世界を見せるようになった。
相撲でも柔道でもいい、あるいはラグビーでもサッカーでも野球でも。
その会場、熱狂して前日の朝から並んだ大衆も、指定席をきっちりと買って優雅に昼食を済ませて席に着いた中産階級も。そして会場にいらっしゃると、主催者側が直立不動で尾でお迎えする王侯貴族や独裁者たちも…
「うむ、あっちのほうで木村(仮名)が寝技で攻めているようだが。牛島(仮名)よ、状況はどうか?」
「はっ、腕がらみへ向けて体勢を整えているようですが、こちらからだとあいにく見えにくいですな、反対側のほうから見れば分かるのですが」
「朕も反対側に移動して見たいぞよ」
「はっ恐縮ですが、あちらにはお席をしつらえておりませんので」
「そうであるか」
なわけです。スポーツの展開に合わせて、一番見やすいところの光景を見る、なんてことは、どんな富や権力、伝統を誇ろうとも物理的に不可能だった。
しかしベルリン五輪をレニ・リーフェンシュタールが撮った「民族の祭典」のような豪華な記録映画、そしてテレビの発展…によって、そんな夢のような光景を、どんな貧乏人でも見られるようになったのだ。そして自分もそうだが、そんな革命が起きたあとで生まれたので、それが凄いことだと本気で認識はしづらい。
プロレスも、力道山がTV中継と一緒に輸入したときからこうだったわけじゃなく、はじめはテレビはワンカメラ、スポーツ記録映画は複数アングルだったらしいと分かっているのだが、このへんの歴史は調べつくしてない。
(上にも書いていますが、当時も「記録映画」はマルチカメラだった。その映像をみて、「なんだ当時のプロレス”中継”も同じようにカット切り替えてるじゃん」と思わないようご注意を。)
どなたか研究者に聞いてみよう。
そして、カットがつぎつぎと切り替わるという21世紀の芸術は…
実は映画が長男、テレビは三男で、次男が漫画かもしれない。
だからこそ、こんな技術が共有されているわけでな。
「イマジナリーライン」「切り返し」とは何か?「20世紀生まれの魔法」カメラアングルの理論とは
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140317/p3
野球中継もどう進歩したのか、柳沢健「1964年のジャイアント馬場」では「テレビ創世記にプロレスがスポーツの王者だったのは、広いフィールドを走り回る野外競技の中継は最初困難だったから」というシンプルな指摘があったが。
で、何がいいたいかというと……
DEEPの今回の「ワンカメラアングル中継」、たしかにすごい制限、ハンデであって、せっかくの「20世紀の魔法」を自分から放棄するに等しい行為なのである。
だが、冷静に考えると、力道山の初期時代とあんまり変わらない中継方式(たぶん)であり…それより何より
「一方向からの情景しか見られないのは、会場観戦もおんなじだ」
ってことなんであります。実況・解説が無いのもおんなじだね(笑)。
まああんまりガラガラだった某興行の時は「気分を変えてこっちの方角から見るか」「リングサイドもいいかもね」と数回席を替えることとかできたけどさ(笑)
では、ワンカメラで中継が実際になされる今回のDEEPを仮にその映像で見ると
「あー、やっぱりこれじゃ興ざめだ、やはり5月のサムライ放送の、マルチカメラ映像じゃないと!」もしくは「やはり空気や匂いを体感できる会場じゃないと!」となるか、それとも「ん?そんなに変わらないなあ」となるか。
そんな文明史的実験…に4.29DEEPのUstはなるかもしれない。ならぬかもしれない。
てな
おはなし。