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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

父の死。

最近の当ブログにしては、随分と更新の間が開きました。
また長期にわたり、会場での観戦レポートがここでは無かったと思います。
このエントリの表題のような事情があった次第です。
 
自分史的な長編の執筆をオファーされた時だったかな?の司馬遼太郎が「自分の話など、自分が一番興味が無い」といったというのにならい、ここでこの話題についての詳細を記すことはしません。

実際に病気(がん)相応の本人の闘病と、入院や見舞い、宣告一時退院などをめぐる、さまざまなやりとりがあったすえに、今月逝去しました。
  
ただ、そこから、他の方にも感じたことを少し述べます。

緩和ケアの効果は大きかった

いわゆるがんの、。痛みや息苦しさを、モルヒネをはじめとする薬品でコントロールしていく方法です。この種の体験はあくまで個人差があるという前提で言えば、これによって(外部からうかがい知る範囲では)苦悶の表情が続くようなことは、ほぼ満足いく形で避けることができたように思えました。
今年は、山本七平氏の没20年でもあるのだが(山本氏への評価はいろいろあろうが、まあ話題に免じて置いていただきたい)。氏の絶筆ががんの痛みの治療に関するものであったと記憶している。
検索してみた

http://www.nhk.or.jp/heart-net/support/board/00035/00035_2744.html

少々古い話ですが、平成3年にすい臓がんで亡くなられた評論家故山本七平氏も中東を取材旅行中腹部の激痛に襲われたのが発見のきっかけでした。
直ちに国立がんセンターに入院し、まず平賀一陽先生が神経ブロックにより疼痛を緩和し、その後手術を受けられました。
イギリスの例と同じ経過です。
その後、痛みは当時発売されたばかりの硫酸モルヒネ徐放錠で緩和され、氏はこの経緯を闘病記「病床つれづれ草『幸福』と『科学』の間」(文芸春秋)に発表しました。
余談ですがこれが硫酸モルヒネ徐放錠を世に広まるきっかけのひとつになったと言われています。

この本に収録

宗教からの呼びかけ

宗教からの呼びかけ

その20年の間に、格段に普及し、対処法そのものも進歩した。というか「緩和ケア科」まで出来ているのだから制度としての進歩も大きい。その成果を十分に享受させてもらうことになった。
 
ただ、緩和ケアを選択したのは、もともとの病状の重さや、ほんのちょっとだけ試した抗がん剤の成果が上がらなかったために、流行語でいうところの「一択」であったからでした。
これが苦痛や長い治療をともなう手術や、抗がん剤投与が五分五分の選択肢として存在していたら、どんな選択になっていたかは分からない。
 
緩和ケアの措置と効果には目を見張る思いをしたが、その他の治療・手術に踏み切る患者の皆さんと家族にもどうか幸あれ。
 

「亡くなる日」と「意思疎通が難しくなる日」の境

これも個別の話である。
最終段階では一日の差で大きく異なり、今までひとつのやりとりで5、6分、フルタイムでこちらと行う会話のやり取りが、ある時期に激減し、意思はある程度あるものの、一言やワンフレーズ、うなずきなどで反応することが多くなった。
それでもいいことだし、どっちみちそれを受け入れるしかないのだがやはり意思疎通と対話ができてこそ、と見舞うこっちが思うなら、その差は出来る限り肝に銘じて、話せるうち(その話が患者に苦痛で無いうち)にいろいろ話して置きたいものだ。
といっても時々はともに会話の接ぎ穂に困ったリしたが。

 

テレビ電話は福音だった

かなり遠方に、小さい兄の息子(甥)がいて、孫との会話が患者本人には一番楽しみでした。そのため、値段や通信環境、性能の比較検討は二の次でI-padを購入、かなり苦労したがフェイスタイムやスカイプの使用にも成功、それで様子を見ながらの会話を行えた。
(といってもあっちはカメラの前でじっとしてないし、こっちはこっちで電話の話が続かないのだが)

個室・相部屋や電波環境の問題もあるが、遠方で会いたくても機会が少ない人は、その相手とも相談して双方にI−padに代表されるテレビ電話の活用を検討されてみてはいかがだろうか。
 

ブログ

とはいえ、最後近くになるまでは面会時間も制限の区切りがあり、患者本人も人がいないところでの、落ち着いての早めの睡眠を希望したこともあり、当初の自分の見立てより、病院を離れなければいけない時間が長かった。
それを利用して、明け方に更新の多いブログを、やや規模は小さいながらも書き続けられた。
この執筆は、テーマの硬軟や真剣さ、議論の応酬とは別の時点で「気晴らし」でもあり、またそれ以上のものだった。
たとえば6日の「泡が綺麗に、きめ細かく立つ」ビアマグなんかは、実は今回の見舞や故人と密接に関係していたりする(内輪受けですがネ)。
 

最後に余談

父親は、実は一般的な伝統競技スポーツの中に位置する格闘競技で、実際に県などのレベルではそれなりの実績を挙げたこともあったらしい。(もっとも、当ブログ主の格闘技好きや、その観察眼には何の影響も与えていない(笑)知らなかったからね)
地上波ぐらいはゆるーく格闘技も観戦し、いかにもな感想をテレビで政治家の話を聞いた時の「床屋政談」レベルで述べるので、実はこのブログで「庶民」氏として何度か登場したりもしている。
そんな人の死に至るまでを近くで見て、格闘技ブログらしく敢えていえば「名勝負」を見せてもらったと思っています。


簡単に記録だけしておくつもりが長くなった。明日以降から、また間が空いたりもしますが通常営業になる予定です。

そんな中……(次のエントリへ)