kamipro増刊で何やら異様に面白かったのが「1976年のアントニオ猪木」の著者として知られる柳澤健が、柔道・石井慧の格闘技転向に関して話したインタビュー。
kamipro Special 2009 FEBRUARY (エンターブレインムック)
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それが本当に面白いのだ。
あまりに取材に費用と時間をかけるタイプなので、「1976〜」以降は単行本を出していない同氏だが、編集者がこの記事を読めば次の書き下ろしは決まったというか。
聞き手は堀江ガンツ氏。、やはり彼の、面白いインタビュー記事をつくる才能は突出しているわ。
柳澤氏はいう。
(武士が滅びて職が無くなった時)柔術家はやっぱり見世物を始めるの。だけど、嘉納治五郎が始めた講道館っていうところは「あんな見世物にしちゃいけない」って最初からプロ否定で始まっている。プロを否定して、じゃあどうやって食べてくかっていうと、柔道教師として食っていくわけですね
(略)。
戦前の柔道って言うのは二つあったの。教育界の大御所にのし上がっていく嘉納治五郎が、柔術という打ち捨てられたものに手を出して教育的な講道館柔道を作ることになるんだけど、当時の嘉納治五郎の周りには落ちぶれた柔術家がいっぱいいたわけよ。そうするとどうなるか。長いものには巻かれろと「講道館の人に、なんとかウチの道場を継いでもらえないか」っていう柔術家が出てくる。でも一方では「ふざけんじゃねえ、俺は講道館に挑戦する」ってヤツもいるわけよ。その代表が不遷流柔術の田辺又右衛門って人で。
(略)
それで闘うことになるんだけど、やっぱり講道館柔道の連中は寝技でかなわない。要は柔術家と柔道家がサブミッション・レスリングをやるみたいなもんだからいくらやっても柔術家が勝つわけ。だけど講道館の歴史にはそんなことは書いていない。
柳澤氏は、
「講道館のオフィシャル・ストーリーは要は『姿三四郎』で、空手バカ一代と同じようなもの」
「田辺又右衛門は大正天皇(当時皇太子)の前で、講道館の選手から足関節でグキッと折って勝利した」
「講道館は足がらみ、膝十字、三角絞めなど、自分に都合が悪いものを次々に禁止した」
「もともと寝技は西日本のもの。木村政彦も山下泰裕も九州から出た」
「熊本の柔道は『参った』が無い。落とされるだけだ(慧舟會の故守山竜介さんの言葉だという)」
など、幻想あふれる言葉をばんばん語っている。
もちろん柳澤氏も分かった上での言葉であるのだろうが、柔道が教育効果や安全性を考えて、投げ重視にしたことはかなりの必然性があったろうし、「柔道は異なる流派が闘える、K-1ならぬJ-1だった」(松原隆一郎)「型ではなく乱取りという画期的なシステムをつくった」(堀辺正史)という部分もある。
ただ、嘉納氏が教育の場に発言力を持つことで「柔道を教えて食う」という”仕官”の道を一手に握り、制覇していった…というところに着目するとですね、この前夢枕獏氏が書き上げた「東天の獅子」とは別の裏ストーリーができるのではないかと。
つまり、卑劣にも官の世界での地位を利用し、武の実力ではなく絡め手から、柔の世界を支配しようとする悪の講道館。それに徒手空拳、武の力だけで単身立ち向かう正義の柔術家!!というようなストーリー。
いや、実際がどうこうではなくそういう見方で物語を作れるんじゃないかとね。
よく柳生家がそういう扱いされるでしょう。柳生の本流は、将軍家に取り入って大きくなったセコい存在で、それに対比して宮本武蔵や、本家から離れた柳生十兵衛こそ真の武道家・・・というストーリー。
あれを明治の柔道世界に移してもいいんじゃないかと。
夢枕獏も今後続く「東天の獅子」に書くかもしれない。また10年余計にストーリーが延びそうだが(笑)
とりあえず、FIGHT&LIFE創刊号で松原氏と柳澤氏は対談しているが、今後
柳澤健
松原隆一郎
夢枕獏
そして
増田俊也(ゴン格で「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」連載中)
の4者座談会を希望します。
まだ感想は書ききれないが、時間切れ。
補足;コメント欄より
katsuya 2009/01/14 22:29
田辺又右衛門といえばスモールタニこと谷幸雄の師匠だったとの話もありますね。
ただ柔術/柔道と官権力の関係というと学校もさることながら警察が重要ではないでしょうか。
講道館が一般人の通う学校教育に、剣術と比べてマイナーな武道である柔道を課目として取り入れさせる以前、明治中頃までの時期というのは、警察・軍関係の武術師範というのが仕官の道だったように思います。
田辺又右衛門も講道館の西郷四郎が戸塚楊心流に勝った明治19年よりも後に警視庁柔術師範になっていたはずです。
それに大日本武徳会とその武道教師育成機関である武道専門学校(武専)が敗戦までは講道館のライバルというか上位に立っていたので
(武徳会自体は武士の表芸の剣道が中心ですが武道の統括団体)あんまり講道館が権力をがっちり握っていたわけではないと思います。また田辺又右衛門自身は武徳会から昭和2年に柔道範士を授与されています。
講道館よりですけれど井上俊の「武道の誕生」は松原のものよりも歴史検討の学的水準は高いと思います。
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