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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ビラ配り逮捕事件」高裁判決当時の社説

「社説比較君」サイトの保存で、早すぎたのか二紙しか保存していなかった。
・・・と思ったら、最終的にもやっぱり主要紙では、二紙しか社説では論じてなかったみたい
http://massacre.s59.xrea.com/othercgi/shasetsu/index.xcg?event=438

朝日新聞 2007年12月13日

ビラ配り有罪 常識を欠いた逆転判決
40戸からなるマンションがある。玄関にオートロックは付いていないが、管理組合は部外者が廊下などの共用部分に立ち入ることを禁じ、その旨の張り紙をしていた。

ここに無断で入り、最上階の7階から順番に各戸のドアポストに共産党のビラを入れていった男性の住職がいた。

東京高裁は「住居侵入罪に当たる」と判断し、一審の無罪判決を破棄して罰金5万円を言い渡した。

住職の行為は、刑罰を科すほどの犯罪なのか。罰することでビラを配る人の表現の自由を侵害することにならないか。裁判ではこうした点が争われた。

東京高裁の理屈はこうだ。憲法表現の自由を無制限に保障しておらず、公共の福祉のために制限することがある。たとえ、思想を発表するための手段であっても、他人の財産権を不当に侵害することは許されない。住民に無断で入ってビラを配ることは、罰するに値する。

一方、無罪とした東京地裁はどう考えたか。マンションに入ったのはせいぜい7〜8分間。40年以上政治ビラを配っている住職はそれまで立ち入りをとがめられたことがなかった。ピザのチラシなども投げ込まれていたが、業者が逮捕されたという報道はない。ビラ配りに住居侵入罪を適用することは、まだ社会的な合意になっていない。

市民の常識からすると、一審判決の方がうなずけるのではないか。住職の行動が刑罰を科さなければならないほど悪質なものとはとても思えないからだ。

もちろん、住民の不安は軽視できない。マンションの廊下に不審者が入り込んで犯罪に及ぶこともある。ビラを配る側は、腕章を着けて身分を明らかにしたり、場合によっては1階の集合ポストに入れたりすることを考えるべきだ。

しかし、そうした配り方の問題と、逮捕、起訴して刑罰を科すかどうかというのはまったく別の話だ。

今回、住職は住民の通報で逮捕された。検察官が勾留(こうりゅう)を求め、裁判官がそれを認めたため、住職は起訴されるまで23日間も身柄を拘束された。

判決は、住職の勾留された日数を1日5000円に換算し、5万円の罰金から差し引くとした。だから、刑が確定しても住職は1円も払う必要はない。いったい、何のための逮捕、起訴だったのか。

事実上、罰金を払わなくてもいいとはいえ、有罪判決という事実は残る。乱暴な捜査のやり方も追認されたことになる。それが怖いところだ。

自衛隊イラク派遣反対のビラを防衛庁官舎で配って住居侵入罪に問われた市民団体の3人に対しても、東京高裁は一審の無罪判決を取り消し、罰金刑を言い渡している。理屈は今回と同様だ。

表現の自由への目配りを欠いた判決が高裁で相次いでいることは心配だ。いずれも被告側は上告した。市民の常識に立ち戻った判断を最高裁に求めたい。


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毎日新聞 2007年12月13日

ビラ配布 表現の自由を守る工夫も要る
 東京都葛飾区のマンション内で共産党のビラを配り、住居侵入罪に問われた僧侶に、東京高裁が罰金5万円の逆転有罪判決を下した。「住民の許諾なしに立ち入れば罪になる」との理由によるものだ。1審の東京地裁が「刑事罰の対象とする社会通念は確立していない」としたのとは対照的だ。

 最高裁の最終的な判断を仰ぐことになったが、双方の判決がビラ配りの目的自体に不当な点はない、としたことを注視したい。ビラは小さな声を多数に伝えるために手軽で有効な手段だ。民主主義社会では表現の自由の一環として、ビラ配りの自由が保障されるべきことを改めて共通認識としたいからだ。

 政治ビラに限らない。商品広告なども、人々の生活の利便も踏まえて、節度ある方法による限りは、配布の自由が認められねばならない。自分の意見と異なるビラや不要な広告を配られるのは迷惑だとしても、社会全体の利益を優先し、表現の自由を守るために受忍する姿勢が求められる。

 二つの判決はまた、表現の自由は絶対無制限に保障されるものではない、と判示した点でも共通する。結局、表現の自由と住民の「平穏に暮らす権利」のどちらを重視するか、によって結論が分かれたようだ。

 治安が悪化し、不審者がビラ配布を装って侵入することもあり得るから、2審判決のように厳しく住居侵入罪を適用すべきだとする考え方には一理がある。マンションに無断で立ち入る行為が相当性を欠く、との判断も社会常識とかけ離れていると思えない。

 しかし、法律論だけでは割り切れぬ側面もある。1、2審で判決が分かれたのもそのせいかもしれない。住民の多くが不審者に神経質になっているのが実情だから、表現の自由を盾にすれば、無断でビラを配っても許されるとの主張には疑問の余地がある。事前に管理人や管理組合の役員から承諾を得たり、誰何(すいか)されたら身分証明書を提示して身元を明らかにするといった配慮や慎重さが、配布する側に求められて当然だ。

 住民側もビラ配布をシャットアウトするより、許諾のルールを定めて受け入れに道を開く方が好ましい。少なくとも配布自体に正当性が認められる場合は、事を荒立てることが望ましいとは言い難い。警察も、住民が現行犯逮捕した場合でも、身元と目的が判明した時点で釈放すべきである。

 対立点を際立たせることよりも、調和点を見いだそうと心を砕くことが、民主主義の基本であり、生活の知恵だと心得たい。本件でも、関係者がそれぞれに寛容さをもって臨んでいれば、穏便に解決できたのではないか。政党のビラの配布をめぐって、23日間も拘置されたり、犯罪の成否が最高裁まで争われる事態は、どこか釈然としない。