http://blog.livedoor.jp/hardcore_heaven/archives/51395538.html
2月15日(金)に場所は前回と同じく高円寺のTショックにて、第2回オトナプオタを開催することとなりました。この『オトナプオタ』は自分の持つ2500時間を越えるプロレス映像から、毎回のテーマに添った試合を選んで上映し、集まってくれたお客さんと試合そのものの面白さと、プロレスの話をする事の楽しさを再確認するためのイベントです。
(略)
今回のメインテーマは『RAW15周年』。自分の持っているRAWアーカイブから選りすぐった映像を上映しますので、RAWの歴史や変貌についてを好き勝手に語っていきましょう。
2月開催ということでお送りする「2月のメモリアルマッチ」は・・・
「RAW」が15年。自分の感覚としてはもっとずーっと前からやっているような気がしますけどね。
第一回のレッスルマニアが1985年だから、それからも少しずれている。
あらためて思うと、ビンス・マクマホンJrという人は織田信長のように、父親の遺産を受け継いだ後、根本的に方針を変えて、それでまず側近、自分の与党内の反対を押さえ込んだところがすごいね。安倍晋三はそれができなかった(笑)。
イベントとか番組とか雑誌というのは、流れをずっと中にいると気付かないもので、今の状態が最初からそうだったような気がするけど、どんなもんでも本当にマイナーチェンジをしている。
まとめてみると、そういう点が分かるのはありがたい。
そういえばWWEがらみで二題。
私はGスピリッツのほうが、なつかしネタが多くて好みなんだけど、最新号でキラー・カーンのインタビューを載せている。日本の「長州出戻り」騒動に嫌気がさしてWWEに再度渡り、あっという間にトップに返り咲いたんだけど、そこでもある日突然、なんか厭になって「もう引退しようと思う・・・」とマクマホンにいったんだそうな。
マクマホンの引きとめ方が面白くて、「何を言ってるんだ、今後の予定表を見ろ!」と一枚の紙を提示。
カーンの扱いは、大会場のメインばかりだったそうだ(結局その引き止めは失敗したけど)。
このときカーンは初期の辮髪でも、日本でのスキンヘッドでもなく、後頭部にお皿のように髪を残したヘアスタイルだったのが印象に残っている。RAWとは時期が全然違うけど、アメリカでトップにすでになっているハルク・ホーガン相手に、オリエンタルかつクラシックなヒールとしてどんな戦いぶりを見せたのか、この時代・・・二回目のWWEでトップに立ったときのカーンの試合をいつか見たいものだ。
こちらは情報が無いのもやむをえないのだが・・・週プロで「WWEがいかに全米を制覇して行ったか」という年代記を書き続けていた斎藤文彦(フミ・サイトー)氏が胃がんで入院し、連載も休止してからだいぶ立つ。
連載を続けてとは頼めないが、手術成功しましたとか、今はリハビリ中ですといった近況報告はどこかに載っているのかな。最近は週プロを読めない回も多いからな。
若いし、早期発見だったというからいつかは復帰してくれると思うが・・・。
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