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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

18世紀の「人力検索はてな」。建部清庵と杉田玄白(「風雲児たち」関連)


みなもと太郎氏が画業40周年を迎えたらしい。
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2007/09/post_27d7.html
ものすごいな、こりゃ。
私は出世作の「ホモホモ7」とかは全然知らんけど、学習雑誌に連載してた「とんでも先生」というのは知ってた。
最初に何かの拍子で「風雲児たち」が載っているコミックトムを読んだ時(浅間山噴火の回だった)「あ、トンでも先生の作者だ」というのが第一印象だったな。


さて、その風雲児たちに関連して
古典的名著

を図書館から借りて読んでみた。それは風雲児たちに出てくる1エピソード、建部清庵杉田玄白の往復書簡話のディテールを知りたかったのだ。
建部は遠く都を離れた岩手(一ノ関藩主の侍医)にいながら、耳にした「蘭方医学」に関する疑問を解消するため、とっぴな方法を思いつく。
江戸に修行に行く弟子に自分の疑問を連ねた手紙を持たせ「江戸なら有名な蘭方医者の評判が聞こえるはず。その評判を聞いて誰かを探し、この質問をぶつけて来い」と命じたのだ。

そんなムチャな話が成功する確率も低く、その弟子(衣関甫軒)の最初の遊学では「誰か、そういう人がいるみたいだ」という噂を聞いたぐらいで空振りに終わる。しかし建部は諦めず、もう一度追加質問までしたためて弟子を再び江戸に送る。
弟子も弟子で、そこから丸三年のあいだ江戸を探し回り、ついに杉田玄白とめぐりあう。


建部の「はてな検索」は以下の通り。

1・日本に来るオランダ人の医者って外科ばかりですが、あの国には内科って無いんですか?
2・日本のオランダ流医学って膏薬とか塗り薬ばかりなんですが、他の治療法ってないんですか?そもそもオランダのお医者さんの弟子にならないで、本だけでオランダ医学って学べるんですか?
3・オランダの薬草の効能とかを書いたカタログってどっかにありますか?
4・日本にオランダの医学本って来てますか?


玄白の答え 「ググレカス」。
・・・・・・・・ではなく、この三年、いやそれ以上を経て届いたこの手紙は杉田玄白を大感激させた。
「千載之奇遇」「天涯相隔て、御一面識も御座なく候得共、実に吾党の知己」と返事につづっている。

返事のほうは面白い話を選んで紹介するが「2」への答えとして
オランダには「スポイト」なる道具で、薬液を肛門から注入する方法がありますよ、と玄白は教えている。
つまり、浣腸というのは漢方?にはなく、少なくとも日本では西洋から伝わったものらしいですね。

調べてみるとエジプトにもあり、ヘロドトスの本にも記述があるとか。
http://homepage1.nifty.com/midnightsapporo/mas/masp/kantyo/kantyoup/kantyoup01/kantyoup01.html


風雲児たちでは、ターヘル・アナトミアに「ポンプ(水鉄砲)」という記述があり、最初は分からんかったが、おできなどを水鉄砲で洗う道具と分かった……という話がある。これはこの杉田−建部問答のスポイトとは別の話なのか、エンターテイメントとしてあえて演出したのか、資料の勘違いなのかはわからない。


また建部は、補足の質問として「オランダにも雅語や方言ってあるんですか?」という問いに関し「アジアの漢字のように、あちらには『ラテン語』がありますよ」と教えているのは興味深い。自然とそういう事情にも通じるんだね。


こういう返事と、解剖図「解体約図」を受け取った建部清庵は、「口あんぐり、舌もひきつり、目から涙が止まりません」と大感激。
その後も書簡のやり取りは続き「オランダの本を翻訳したいのですが、私も四十歳を過ぎて・・」という杉田に対し、建部は「何をおっしゃいます、私は60歳です」と励ましたほか自身の跡取り息子、四男、また一番優秀な弟子を次々と杉田門下に送り蘭学を学ばせた。
一番優秀な弟子はのちの大槻玄沢。四男は杉田家の養子になり玄白の後継者・杉田伯元となった。

そして、二人のやり取りは本として出版され、今に残っている。
和蘭医事問答」
http://www.kohjinkai.or.jp/txt/extra_01.html

●『和蘭医事問答』(複製)
全2冊 建部清庵杉田玄白著 寛政7年(1795)刊
奥州一関藩(いちのせきはん)(今の岩手県一関)の藩医建部清庵は西洋医学にも関心を持っていたが、学ぶ師がいない。弟子の大槻玄沢を江戸に出して『解体新書』発行で有名になった杉田玄白の門に入れた。
この頃(安永7年1778)から建部清庵杉田玄白の書簡のやりとりが始まった。主に清庵の西洋医学に関する質問に、玄白が答える形になっている。
往復書簡の一部が大槻玄沢ら門人たちによって出版された

ネット時代もそのまた昔も、人が事実と知識を求めて捜し歩き、それが人と人を結びつけるという営みは変わらない。
という一席でございました。
風雲児たち」は、興味を広げて他の資料を読み、知識を広げていく「とっかかり」として大変役に立つ。
格調高い原文で読むのが本来だろうが、

話し言葉で読める「蘭学事始」 (PHP文庫)

話し言葉で読める「蘭学事始」 (PHP文庫)

こういうのも読みやすくて面白い。