INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

映画「クイーン」を見ました。

http://queen-movie.jp/

1997年8月、パリでダイアナが交通事故に遭い、帰らぬ人になった。王家においてダイアナはいつも頭痛の種で、民間人となっていたダイアナの死は本来関係のないことであった。女王はコメントを避けるが、ダイアナを称える国民の声は次第に高まっていく。やがてダイアナの死を無視し続ける女王に、国民の非難が寄せられるようになる。若き首相ブレアは、国民と王室が離れていくことに危機を感じ、その和解に力を注いでいく。


まずもって気になるのは、どこまでが事実に基づいているのだろう?というところだな。
大体の大まかな歴史の流れは、現実がそうなのだから間違いないだろう。しかし、私邸の中で女王がこう言った、皇太子がこういった、首相がこう奥さんと話した・・・というのをどこまで担保できるのか。先ほどなくなったD・ハルバースタムらが開拓したニュージャーナリズムは、徹底的な取材に取材を重ねれば「その時・・・かれはこう言った、こう動いた」と断定調の三人称で書ける(「・・・の証言によれば・・・だという」と書かなくてもいい)ということを示したけれど、この映画ぐらい踏み込んでいいというのが大したものだ。
この映画の事実との距離感は最後にテロップで表示されたけど、字幕がないので読みきれなかった(笑)

そしてストーリーだが・・・よく考えたら、女王の側に劇的なドラマがあるわけではないんだよ(笑)。王室はあくまで受け身で、最大の動きは郊外の城からバッキンガム宮殿に予定を繰り上げ戻ったぐらいだからさ。

ただし、細かいディテールはやはり面白い。
例えば、十数年ぶりに政権を奪回した労働党の党首と女王は、なかなか最初はぎこちない。
ブレアの妻は左派系弁護士で、反王室であることを隠さないし、そもそも王室のしきたりなんてなかなか貴族の中で暮らしていないとわからない。

ひとつ例をあげると、組閣というか大命降下、首相への任命は首相のほうから「就任してよろしいでしょうか?」と聞くのではなく、女王のほうから「そちに首相の任を命ずるぞよ」とやるものらしい、で、最後は首相が女王の手の甲にキスして〆る。

こういう、王権vs議会特権の血みどろ抗争から生まれたイギリスの慣習は、個人的にはひときわ興味があるので楽しめたし、ブレアの戸惑いや首相夫人のしらけもなんとなく分かる。

そして、ダイアナに関しての態度もまた興味深い。
あの離婚にどっちに非があったかはともかく、離婚して家を出て、ついでに奔放な日々を送っている元嫁が事故死。腹が立つ思いもあるが、夫にとっては愛情だって皆無ではないし、王子の母親でもある。さあどうする・・・というのはある意味ホームドラマレベルの題材でもある。「カバチタレ!」に出てきそうな(笑)。
しかし、それもことが英王室だとそうはいかん。
例えばなぜバッキンガム宮殿には半旗が揚がっていないんだ?という批判が大衆紙を中心に盛り上がると、チャールズ皇太子は動揺する。
しかしクイーンとその夫君は「庶民は何もわかっとらん。宮殿の旗は『ここに女王あり』の印で、バッキンガムに我々がいるときのみ掲揚されるのだ。何百年もそうやってきたんだ」と意に介さない。
夫君は、お母さんが死んだ王子を慰めるため「気晴らしの鹿狩りに行こう」となる。
愛情と気品あふれる祖父ではあるのだが、現代の感覚とのずれはいかんともしがたい。


チャールズは孤立感と「王室は時代に合わせて変えねば・・」という危機意識を強め、同世代でダイアナをもっと盛大に追悼せねば、という方針を持つブレアと共闘を模索するが、その動きによって「実の母親を楯に自分だけいい子になりたいのか?なんて人だ」とかえってブレアから軽侮されるという(笑)・・・このへんが、どうやって取材したのか?事実に基づいたのか?とぎょっと目を見張る部分なのだが。

こういう反応が出たのは、ブレアが半ば強引にダイアナ追悼に王室を(公式に)絡ませる動きをしつつも、心情的には女王側という立場に知らず知らずに立っていったからだ。
夫人は皮肉な口調で「男ってみんなマザコンなのねえ。亡くなったお母さんに似てるからでしょ?戦争経験者で、控えめで、義務感がある女性」・・・ブレア家の嫁姑問題まで絡むのか(笑)

ブレアは「女性に求めるべき道徳を何も持っていなかった女性」と、非公式の場ではダイアナを批判する。

・・・・つづきます(夜かな?)