http://blog.livedoor.jp/nhbnews/archives/50491125.html
経由で
SKアブソリュートブログより
http://tenshin.blog.ocn.ne.jp/absolute/2006/05/post_75a7.html
先日、ロシアから訃報が届いた。
俺が師と仰いだ人物が亡くなったのだ。
アレクサンドル・ヒョードロフさん。61歳で人生を全うした
その経歴を紹介するにはどれがいいかと検索したら、
http://www.rinku.zaq.ne.jp/nightwatch/rings/russia.htm
というのがあった。ここに触れられている「なんでも旧ソ連時代には、彼の技術が国外に流出するのを国家が恐れた」という話のほか、リングスの合宿所に寝泊りしたときは「飛んでいる蝶をわしづかみにした」とか「合宿所の近くを流れている多摩川で、魚をひょいひょいと手づかみした」などの伝説がある。
彼が有明大会に出場した時の流れはそりゃあすごかったよ。
UFCやK-1が始まった1993年を例の「シュート革命元年」とするならまだ4年め、PRIDEも始まっていないころだ。リングスも、ヘンゾ率いるバッハ系の選手との契約にブッカーKが成功・・・したんだが、なれないVT特別ルールや「引き分けは納得いかん、延長しろ!」などのグレイシー流ゴリ押しもああり、リングス勢は負け続けていた。
そのとき、あろうことかレジェンドが「わしが行く」と出向いたのだから無茶。
しかし前田日明も「ヒョードロフさんが出ると言ったら、だれもとめられるわけがない」とか煽りまくった。
今思い出したが、わたしもチケットを買ったんだよ。急な仕事で行けなかったんだよなあ。
試合の結果は技術の高さの片鱗は見せたものの、スタミナが完全に切れてしまうという、のちにアンドレイ・コピロフ、エメリヤーエンコ・アレキサンダーに引き継がれていく芸風でした(笑)
でも、その”自分の実力のカンチガイ”を含めて、立派で、美しく、愛すべき1試合だった。
今に至るも、確立されたスポーツ組織の中であれほど高い地位を持つ人間がVTに参戦した例は無いのではないか。
「お前は関節を極めようとしているが、それではダメだ。試合では逃げられる事がある。」
「ではどこを極めればいいんですか?」
「相手の体を掴んだところを極めればいいんだ。骨の途中だったら、両手で骨を途中からポキリと折れば相手は堪える事ができない。」
そういえばゲーリー・オブライトのコーチも、「確実にフォールするには、相手を失神させるのが一番だ」というシンプルイズベストなアドバイスをしていたとか。
何にせよ、まだ幻想が現実に駆逐される前の、貴重な風景を作ってくれた人だった。