ここでしばしば話題にしている、評論家・浅羽通明氏のメールマガジン「流行神」ですが、この1993年号(もうそんな昔か・・・)で、
「D坂の226事件−−乱歩を巡る昭和史幻想」
という文章が発表されている。小説ではなく一種のシノプシス。あるアイデアの概要を断片的に書いたものだ。戯曲風にしたいのか、演劇的演出を指示したト書きも書いてある。
冒頭は、浅草のミルクホール。
二つのテーブルに、偶然二つの集団が居合わせる。ひとつは小林少年らを中心に、帝都に跳梁する貴金属・美術品泥棒・・・謎の怪人について議論する少年探偵団たち。そして、もうひとつは・・・
「まず首相岡田啓介!蔵相高橋是清!」
「まだ足らぬ!まだ足らぬ!」
「内大臣斎藤実!鈴木貫太郎侍従長!」
「まだまだ足らぬ!!」
(略)
「いや、まだだ、内閣に巣食う奸賊は倒せても、それではまだ昭和維新に足らぬのだ・・・」
「では、いったい?」(略)
「畏しいことだ、あってはならぬことだ、考えてもならぬことだ。だが、それ以外に何が?」
・・・そうひとりごちるのが、磯部浅一。
そして、東京中野区桃園町−−その書斎にて哄笑する隻眼の男
すなわち、北一輝。「勝利だよ勝利だよ ついに見つけたぞ 盲点を
幾千万の節孔を欺しおおせた大トリックも、完全犯罪ではなかったのだ
ひとつの国家にふたつの仮面を使い分けさせる一大トリック・・・(中略)
・・・おまえこそ天才なり、伊藤博文!!・・・・・・完全犯罪の
唯一のほころびを逆手に取った私の犯罪、いや待て国家を乗っ取る
犯罪が成立したとき、それを罰する国家などどこにある?・・・」
ちょいと解説します。
ここで、この奇想は、松本健一や久野収らが指摘した政治論に合流するのです。
ま、私もよく理解しているわけではないのでざっくりいいます。
明治憲法と近代天皇制というのは表向きの顔・・・民衆向けの「顕教」は万世一系、天壌無窮の国を統べるカリスマの神聖皇帝。
で、ありつつ、政治・軍事エリートの奥深い「密教」の中では立憲体制に立脚した「機関」であり、既にして象徴であった。
つまり庶民や在野の壮士には「天皇様のご意志であるぞ」、「ヘヘーッ」と拝ませておいて反対や不満を抑えつつ、実際には政治・軍事エリートが理性的に判断して国を動かすという仕組み。
ある時期までは、そのカリスマと神聖さをエネルギーに、立憲的な政治決定をスムーズに行うことができた。しかし、逆に「神聖なる天皇」を盲目的に信仰する勢力を焚きつける……あるいはその”神聖天皇の大御心”を錦の御旗として振りかざし、エスタブリッシュメントどもの逆手を取る!!
北一輝が「国体論及び純正社会主義」「日本国改造法案大綱」で喝破し、そして成し遂げようとしたトリックと完全犯罪とはこれであった。
しかし、その魔王に、邸宅に単身忍び込んだ名探偵・明智小五郎が立ちふさがる。
「明治国家と天皇制のからくりというパズルを、あなたはみごと解き明かしてみせた
(中略)探偵気質 それは同じでも北さん 探偵の分際はそこまでなんです
己の頭脳がつくりあげたユートピアを実現して、世の善男善女まで幸せにしてやろう
なんて、探偵はそんなそらおそろしい自惚れを抱きはしませんよ」
「探偵も猟奇犯も 正義だけはかざさない 他人様のために殺しが
できるほど傲っちゃいない」
しかし、北一輝はモダニズムの昭和を虚栄と断じ、変革のための非常手段が必要との立場を崩さない。
明智小五郎は逆に「その虚栄の市を、護ってみせましょう あなたの狂気から
軍靴と銃剣から」と宣言、ある人物と協力して二二六維新軍に対峙せんとする。その人物とは・・・数千数百の警察、軍隊をも自らの仕掛けと体術で手玉に取れる男。
怪人二十面相、その人であった。
この概要は、ここからもう一回、意外な急展開を見せる。
当時の虚実入り混さった有名人が登場する中で、北一輝の真意が明らかになるとともに、もう一人の重要人物が彼らの巨大なライバルとして立ちふさがることになる(非常に有名な、当時の隠れたモダニストである)。
【補足】教えてくれという問い合わせが
いくつかありましたので、追加しておき
ます。最終的に北一騎に立ちふさがった
モダニストとは・・・昭和天皇、その人です
同時にこのシノシプスは、「知のおたく」「知識人と社会」という、浅羽氏お得意のテーマにも最終的には収斂していくのだが、そこまで書くのは無粋というものなのでここで終いにします。
解説的な補足で、浅羽通明氏はこう書いている。
江戸川乱歩が、初の少年向け作品「怪人二十面相」の連載を開始し、 小林少年と少年探偵団と仇敵怪人二十面相が全国の少年少女の前に 姿を表わすのは、昭和十一年一月、時しも226事件の1カ月前である
同時代の架空、実在人物を入り乱れさせて描く伝奇小説は山田風太郎、夢枕獏、荒俣宏などもお得意だが、こんな話もあるということでした。