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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

オカルト太陰暦「お言葉ですが・・・その9」より


お言葉ですが…〈9〉芭蕉のガールフレンド

お言葉ですが…〈9〉芭蕉のガールフレンド

小生の文体というのは、実は最近読んだ本にかなり左右される。それも小説、ノンフィクションのたぐいはそうでもないのですが、コラムや随筆で、しかも好きな人のものだともうバンバンひっぱられますね。
だから月初めは、けっこう諸君!の「紳士と淑女」子風になるし(笑)、短くぶっきらぼうな言い回しの時は、「ははぁ、こやつは山本夏彦を本棚から引っ張り出して再読したな」と思ってくださればまあ間違いない。
余談が、過ぎた・・・・となれば司馬遼太郎風(笑)。

しかし、ちょっと全体を再読してみると、高島俊男にかなり影響されています。ですますとであるを自由に使い分ける点など(国語教育の場では、よろしくないことになっている)。

また、意識的に選んだ一人称ですが「小生」を使っている点でもつい似せてしまうのでしょうな。



さて今回の巻。
「オカルト旧暦教」と題し、世の中の一部に、旧暦は「閏月」が存在するから、実際の気候を上手く反映する。その証拠に2001年は記録的猛暑だったが、閏月で夏が一月増えたからだ・・・などと書いてあるものがあると嘆いている。
「暦は人間が作るものである。自然が人為にしたがってくれるはずがない」と当たり前の平談俗語で、まずは一刀両断。
返す刀で旧暦を「農暦」と呼び、農業や漁業にあわせるのにふさわしいと言っている本を、「バカモノ、今の中国では農村で旧暦がまだ使われているから農暦と呼ぶようになったのだ。最近の呼び名だ」と糾弾する。
高島先生、趣味から思想、語感まで古きを重んじるが、かといって古きものをこじつけて美化するいやらしさはない。古いのが好きなら好きで、隠れた近代的意味があるとか、実は科学的などという言い訳を必要としないのである。


今回、まず旧暦話を取り上げたかというと、高島先生も大推薦の歴史漫画「風雲児たち」(みなもと太郎著)で、3、4ページを使って最上徳内に江戸天文学(とそれを支える日本数学)の現状を語らせるシーンがある。これが本当に過不足ない解説で、これを読めば太陽暦太陰暦の違いがはっきりと判るのであります。
その中に、閏月を「季節感に合わせて」幕府の天文方がどこに挿入するかそれぞれ検討するシーンがある。
人間が季節に合わせて、あとから調整するひとこまを見れば「今年は閏で夏が多いから猛暑」などという一節の胡散臭さはわかるのではないか。

読書の醍醐味というののひとつは、読んでいるうちに全く無関係のように見えた2冊の本が、ぴたりと割符のごとく合う瞬間だ。
今回の「お言葉ですが・・・」はそれを何度も体験した。

だから「おことば祭り」はもうしばらく続きます(笑)。