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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

宗教と社会、またまた。(朝日新聞5/13より)

米国はミシガン州の小さな町、ハムトラミク市。

かつてはポーランドカソリック信者が多く、町は毎朝、教会の鐘が鳴り響いていた。・・・しかし、イスラム系移民が増えたので、市議会は一日5回、礼拝告知(アザーン)の声を町に拡声器で流すことを認めたそうな。



さてさてどうすべきか。

    1. 住民の多数派は反対。
    2. 一番早いときは朝6時に鳴り響く。しかも5分も続く。
    3. キリスト教会の鐘は認められているという前例がある。
    4. 「アラーのほかに神は無し」という”排他的”?な文言。鐘の音と肉声の違い。
    5. 当然ながら、聞きたくない人にも聞こえてくる。

この種の宗教問題は、基本的には行政とかかわる際には「音量」とか「時間」とか、即物的事象に因数分解するしかないがのだが・・・

例えば音というのは「俺は聞きたくないんだよ」「俺は鳴らしたいんだよ」という問題が対立すると、これはその音量や言葉を「○○ホンまでは許容範囲」「BGMはいいがボーカルはだめ」など”さじ加減”で決めるほかない。
しかし、こういう問題になったら、その基準の決定自体がサベツだ逆差別だ、排他主義だ無節操だ、といわれる。難しい話だ。


いや、つーか日本の田舎町は、イスラムの礼拝告知が朝に鳴り響くのを許容しうるだろうか?