INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

パッション--JCかPCか?


http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/

にて町山智浩氏、というよりウェイン町山氏と言いたいとこだな、彼が近日日本でも公開される、キリスト処刑を描いたメル・ギブソンの映画「パッション」について書いている。
(4/22など。検索機能で「パッション」か「ギブソン」で検索を)

世界的には批評家の酷評を浴びつつ、善男善女の信者を動員し大ヒットした作品だ。

町山氏によると、この映画は「史実」というよりカソリックの伝統に則ったつくりで、例えば手首に釘を打ったという史実を無視し、宗教画の伝統にしたがって「掌」に釘を打つ描写をしている。
また、人種的な正確性も欠いており、町山氏に言わせると

「他のユダヤ人は中東顔ないしラテン顔なのに、同じユダヤ人であるキリストの一族だけが白人顔なんだよね。まるで古事記をハリウッドが日本ロケで映画化したら天皇だけトム・クルーズだったみたいな感じだよ」

だそうだ(笑)。
またさらには、18世紀ドイツの修道女がキリスト処刑を「幻視」して書いたという本の描写がまぎれこんでいるという。



非常に面白く、参考になる話だが、そこから小生があんまり知識のない状態でつらつらと。別の方面から。

聖書にない描写や、史実的な違いは当然つっこまれる。
しっかし、そもそも聖書に書いてることが間違っていたら?
いや、実際間違ってるのよ。彼のサイトから引用しよう

宗教改革の頃からずっと、ローマン・カソリック欽定の新約聖書のテキスト(ギリシャ語)は、どの程度、事実ないし原典に忠実なのか、キリスト教徒からも常に問われてきたのだ。
ローマ帝国内で書かれたそのテキストがローマ側の歴史改竄だという説も当然ある。
母国オランダでカソリックと政治的闘争を続けている映画監督ポール・バーホーベンは、新約聖書はローマン・カソリックが自らの罪をユダヤに押し付けるために捻じ曲げたものだと主張し、何年も前から、その説を映画化しようとしている

評論家の故山本七平氏も、無教会派のクリスチャンだが、いわゆる科学的な聖書研究、キリスト教研究に近い立場で、自身の出版社からその種の翻訳書をたくさん出版している。その際、やはり相当なプレッシャーがあったようだ。


宗教会議を何度か繰り返して、「これが正しいっす」と決めたら、あとは絶対無敵なのがカミさまの恐ろしいとこ。


「聖書は事実である、なぜなら聖書に書いてあるからだ」
これ最強。


で、今回メルギブソンの映画がヤヴァいのは、聖書という、欧米ではだれもがひれ伏す権威、良識で、「残酷描写(vsアンチ・バイオレンス)」「ユダヤ人悪役描写(vsポリティカル・コレクトネス)」という、21世紀の別の権威、良識に真っ向からガチンコ勝負を挑んでいることだ。

もちろん、この映画の反ユダヤ描写というのはわざと醜悪なメイクにしているとか片目のキャラを入れるとか、そういう過剰なイメージ刷り込み部分もあるんだそうだが、


「これは新約聖書の描写に忠実」
「この言葉はたしかに新約聖書に書かれている」


場合が問題である。アタクシのような、ゲヘナの業火に焼かれること必定な、迷える魂を持つ不信心者は、「いっそ聖書自体から、ヤバい部分をカットしたら?」なんて思ってしまうわけですが、当然そんなことできるわけがない(笑)。


残酷描写もそうで、昔から医学的知識とか戦場の悲惨さを描いて反戦を訴えるとかいって、エロやグロを見せ付けるのはお決まりの主張。
今回も年齢制限が日本でもつくそうだが、ほんとうの狂信・・・いや熱心なご信仰の方が、「地上の法は見せるなと言いたもうが、天の父は見よとおっしゃられている」と無理やりガキを映画館に連れていったら、いいトラウマになるでしょうな(笑)。

要は社会において、キリスト、聖書は善・真実であるという前提1と、反差別・反残酷描写という前提2がぶつかった時、戦線はどう展開するかが見ものです。

もちろん、ブッシュvsケリーの問題や、いまだに良識派からのプレッシャーが強いUFCの将来にもかかわってきそうな気がする。