格闘技ファンはつとに、アメリカにおけるバイオレンスと(権力、良識、宗教による)バイオレンス批判の動向については目を光らせねばならない、というのが小生の持論であります。
ゆえに、この作品が封切られたとき、NHBニュースで注意を喚起し、Dさんと共に観覧したのだ。しかし、直前が長旅で最後は不覚にも寝入ってしまったのだが。
今日がそのコロンバインの日5周年ということで、各番組が特集した。
しかし、やはりもって絶対に考えるべきなのは
「俺たちは、国(政府)を信じない。国(政府)は、民衆を隙あらば弾圧しようとするんだ。俺たち自立した市民は、いざというときは体を張って間違った政府に抵抗せねば」
という、なんか筑紫哲也が理想としそうな(笑)市民が、その政府といざというとき闘うために、銃を家に装備するという逆説(笑)。
このアメリカの素朴なる自由主義、民主主義というものを捕らえないとやはり見えてこないのではないか。マイケル・ムーアのあの映画も、連邦ビル爆破犯を追ったりしていたけど描き切ってないし。
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あと、コロンバイン事件の加害者集団は「トレンチコートマフィア」だっけ?
要は、学校で生徒会活動やスポーツで明るく明朗に目立つのではなく、大人にはちょっとわからん価値観と、おそらく偽悪的なギミックを集団で共有してほくそえむ、要は、光画部(「究極超人あ〜る」参照)だよ、たぶん・・・。
彼らが、学校の中である種の所を得る、ことは可能だったのか、不可能だったのか。5年たち、あちらでも報道や調査は進んでいるだろうし、日本にも翻訳がぼちぼち入ってくるだろう。
危機意識と、他人事ではないという痛みを持ちながら、ひとつのテーマとしたい。