ウィキペディアの「占守島の戦い」参照。
占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年8月18日〜21日に、千島列島北端の占守島で行われたソ連労農赤軍と日本軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に上陸、日本軍守備隊と戦闘となった。21日に日本軍の降伏により停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大人数もろとも拉致・シベリアへ抑留された。
そういえば「占守島」のはてなキーワードって最初は自分が作ったっけ。
これは数年前、小林よしのり「ゴーマニズム宣言」シリーズの何かで漫画化されてまずそれなりに話題になった。
【追記】調べたらここに収録。
よしりんはしばしばバランスの欠いた議論をするものの、知らないうちに戦記漫画家としてのストーリーテリングや描写力は相当なものを身につけていて、この漫画も読ませる迫力は大いにあったと思う。
そして今年は、何しろ大ベストセラー作家がテーマとして取り上げた。
将来は何らかの形で映像化される可能性もあるだろう。
余談ながら自分は、小学生のころ「人類愛に生きた将軍」という名前の、子供向け樋口季一郎伝を読んでおり、ほんのちょっと記述があったためこの北方で終戦後に起きた戦争については知っていた。
樋口の事跡もなかなか正確な資料がないし、上の本はこれも伝説が絡んで真相が見えにくい「オトポール難民救出」の話が中心だったのだが、最近文春新書から本が出た。
この本に、自分の少年時代に読んだ本の作家の話も出ていて、すごく熱心に取材もし、樋口の信頼も得たけど「自分の墓は樋口さんの隣に」と要望してそれを実現させたほどに樋口に心酔しており、「その心の交流は微笑ましいけど、そこまで心酔したんじゃ冷静に評価して書けてたかなぁ?」とちょっと苦笑した。
この占守島の戦争は、いろいろな面で特殊なものだ。
戦略上は別として戦術上は勝利といってもいい展開をした・・・いや、ここをそのままソ連軍が無血で占拠したら、北海道へ向けてそのままどんどん侵略を続け、他の例から考えるとそのまま併合したり傀儡政権が立ったかもしれないから戦略上でみても、戦後の日本にはたいへんな功績をもたらした。
そして名分論でいえば、このソ連軍は20世紀三大虐殺者の一人、ヨシフ・スターリンが領土欲に駆られて送り込んだ軍であり、それを迎え撃つ防衛戦争という点では珍しく”日本の正義の戦争”でありえた(もちろん、日本のいわゆる”昭和戦争”の大半に大義が欠けているか、少なくともまだら模様だからこそ「珍しく」という言葉を使っているのです。その島はもともとアイヌが…まで広げると違うが、ハワイの米国支配の歴史はまた真珠湾攻撃とは別だろうし)。
だが、今は日本政府も民間も「占守島の防衛戦争に立ち上がった勇士を称える」というような催しを大々的にやるというようにはなっていない。
これはまぁしょうがないですね。
そもそも8月のメディアのテーマは「反戦」。
読んで字の如くで戦争反対、そして「戦争の犠牲者を悼む」のですから「占守島で日本軍が戦闘をせずにそのまま武装解除され、戦闘は回避(※この可能性も確かにあった)されたら最悪だった。この島で戦争が始まってよかった!!」とは言いがたいフンイキ(笑)。
実際、せっかく玉音放送が流れて命拾いした直後に再び銃を取らざるを得ず、島に散った戦死者たちがいる。彼らにとっては、その後のソ連軍支配がシベリア抑留などいかに過酷であろうと、この戦闘が北海道のソ連圏化防止に貢献していようと、「自分にとってはそこで無抵抗のまま武装解除してほしかった。戦争反対」となるだろう。
A:防衛戦争であってもB:侵略戦争であってもC:ナントカ共栄圏建設の戦争であっても戦争は悲惨で回避すべきなのか。それとも最初のAだけは武器をとって立ち上がる”べき”なのか。
実は満洲国が崩壊し、居留民や避難民がソ連軍や現地民間人から略奪暴行されたことへの非難も、怒りを要約すると「満洲の関東軍は日本の民間人を保護するために、命がけでソ連軍と戦火を交えるべきだったのに、それをせずに幹部から真っ先に逃げ出した!!」というふうな方向に収斂されていく(いやもちろん、そもそも大陸に日本軍民がいるという問題は、前提としてですよ)。
その怒りは方向性としてはたしかに正しいし、当事者としては切実だろうけど、やっぱり「戦争をしてほしかった!戦闘をしないからダメなんだ」というのは8月には言いにくいよなぁ。
そんな一方で、こんな本が出てます。
日本軍から、台湾に逃げた国民党に協力した軍人がいたことは知っていたけど詳しいことは知らなかった。
この、アマゾンでの紹介文にうーんと考えさせるものがある。
昭和20年8月15日、終戦の詔勅が下された時、根本は駐蒙軍司令官として、内蒙古の張家口にいた。陛下の武装解除命令は、アジア各地で戦う全軍に指令され、ただちに実行に移された。
満州全土を守っていた関東軍も山田乙三司令官がこの武装解除命令に応じ、そのため全満州で関東軍の庇護を失った邦人が、虐殺、レイプ、掠奪……等々、あらゆる苦難に直面することになる。
しかし、満州に隣接する内蒙古では、根本司令官による「武装解除命令には従わない。責任は私一人にある。全軍は命に代えても邦人を守り抜け」という絶対命令によって、激戦の末、4万人もの邦人が、ソ連軍の蛮行から守られ、北京、そして内地まで奇跡的な脱出・帰還に成功する。
えーー?
そんな話は知らなかったよ。
だいたい、「関東軍の庇護」って字面が
書いていてもなんか不自然感を感じるし(笑)
まあ、上の記述は評価を含む問題だから確定できるかは分からないけど、果たしてこの通りの史実だったのか、この本も含めてもう少し他の資料も読んでみたい。
ただ、仮にこの本を信じるとして
「君は敗北した軍隊の司令官だ。政府は正式に降伏を決定し、武装解除を命じてきた。しかし支配地をこの後占領する軍は、各地で略奪暴行を行っている。このまま武装解除を拒否すれば武力衝突が起き、せっかく終戦まで生き延びた部下の何割かは死ぬかもしれない。だが簡単に占領と武装解除を受け入れると支配地の民間人は脱出する暇が無く、占領軍の被害を受けるかもしれない。さて、どうする?」
これはマイケル・サンデル先生でもハーバードのエリート学生でも、なかなか簡単には解けそうも無い難問だろう。ヤン・ウェンリー閣下ならどうかな。軍規・軍法には違反だよね。
この本はその後、国共内戦で金門島の帰趨をめぐって争ったときの根本の事跡が中心のようだけども、毛沢東・蒋介石二人の独裁者があい争う中で片方の味方をするのが(当事者としては片方からの恩を受けたとはいえ)はたして「義」なのかという疑問も捨てきれないところだ。
その一方で、じゃあ台湾は国共内戦の時、そのままマオの軍隊と共産党が支配していればよかったのかと言えばとてもそうは言えない。これもある意味未解決の難問だ。