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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

山本KID徳郁、レスリング挑戦も右腕負傷

下のコメント欄にも議論があるけど、自分は「KID大健闘でした」という立場ですな。
1回戦、第一ピリオドは微妙な判定の綾があったけど、2ピリオドでは豪快なタックルも成功させたし、一応並み居る強豪に伍してやれることは証明できたんじゃないでしょうか。
ただ、負傷の程度を考えるとこの後、活躍して北京代表に選ばれるとはちょっと思えない。
この後、どうK-1物語に回収できるかが谷川貞治氏の腕の見せ所でしょうか。


つい忘れがちな話だけど、
http://blog.livedoor.jp/usiwotaose/archives/51399423.html
にてこういう指摘がされている。

・・・一番言いたいのはKIDが総合や打撃で活躍しているのは70kgの世界だということ。今回のアマレス参戦を見ても骨格的には60kgがベストの選手なのだ。まるまる2階級上でいつも戦ってるわけだ。それだけに総合での活躍の仕方、あの強さは異常。

ほんま、ついつい忘れちゃうわ。
まだ日本二大メジャーは70kg、73kgが最小階級だが、60台の新階級にはまだ時間が掛かるかな。

柳沢伯夫厚生労働大臣の失言

詳細はgoogleニュース柳沢伯夫」で検索してください。
ひとつ指摘しておくなら、これは何度か書いた「医学的合理性」から導かれる話は、しばしば公序良俗が眉をひそめるような結論になる、ってやつに似ている。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/searchdiary?word=%b0%e5%b3%d8%c5%aa%b9%e7%cd%fd%c0%ad
用語に関しても同じで、例えば「リプロダクティブ・ヘルス」「リプロダクティブ・ライツ」なんて言葉があるけど、このリプロダクティブはしばしば「再生産」と訳される。子供を生むことを「再生産」って、なんか実にミもふたもないし、もう少し荘厳な言葉を使ってもいい気もするわな。
実は薬に関し「投与」というのも、投げ与えるなんて失礼といって問題になったこともあるのだ。


しかし、柳沢はそれ以前(笑)。
子供を生む「機能」が、ある一定の年齢の女性にしか備わっていない、それを離れると生む「能力」(これもまずい表現だがあえて使おう)が無くなるというのは、「一部には不愉快かもしれないが医学的な事実」であろう。

しかし、そもそも女性、男性に関係なく、人間の営みを機械に例えるのが今や、すべて蔑視的に受け取られるという根本をわかってないんだよ。

男性の勤労を「労働する機械」といったり
引退した年金生活者を「老朽化して撤去された機械」
小学生や中学生を「組み立て中の機械」
外国からの単純労働移民を「輸入機械」・・・・・・・・・・


今回の話を女性差別かどうかとか言う前に、どれを言っても、失礼と受け取られるんだって(笑)
医学的な話や人口統計学の事実を、ドンと突きつけて良識や公序良俗を挑発する方法はいくらでもあるのだが、まず、それは世間や読者を挑発するのが生業の言論人だったらある場所ではプラスだろうが、広く支持票を集める「大衆向け人気商売」の政治家はどこを切り取ってもマイナス。
それに、ある程度緻密な論理構築が必要であって、今回はそれすら出来てない。
実に無能の二重奏であった。

くじらが来るよ 。そして上野

地球上最大の動物シロナガスクジラは、これまで目撃することすら難しく、ほとんど映像記録がありませんでした。 しかし今回初めて克明にその行動を撮影することに成功しました。
直径10mの大きな口を開けてオキアミの大群に襲いかかったり、全長25mの巨体を驚くほど柔軟にくねらせて獲物に忍び寄るなど、大量の獲物を食べるためのさまざまな戦略が明らかになります。
たくさん食べて体を巨大化させることで生き残ってきたクジラの戦略に迫ります。


ジャイアント・シルバが激闘の末、日の下開山曙太郎に勝利したことで、あらためてでっかい生物の凄さがクローズアップされている。それをNHKも意識してくじらを特集しました(嘘)

何度か書いたけど、上野公園内の国立科学博物館前には実物大のシロナガスクジラの模型がある。
当たり前だが、でっかい。

ああ上野駅

その、博物館、美術館、そして動物園を擁する上野公園、そして上野駅
旧聞に属する話だが、「ああ上野駅」の井沢八郎さんが、この前逝去された。

実は数年前、この「ああ上野駅」の碑というものが、駅のすぐ近くに建立された。
ここで井沢さんは年に一回、歌を歌っていたのだ。

http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AhAh_UenoEki.htm


どこかに故郷の 香りをのせて 入る列車の なつかしさ
 上野は俺らの 心の駅だ 
くじけちゃならない 人生が あの日ここから 始まった

上野駅はすぐ「集団就職」と結びつくのだが、東北線を使う東北からの人はどもかく、西の田舎から集団就職した人もいたろうにな(笑)。それともやはり、比較的貧しく、農業の場合は冷害リスクを抱えていた東北が集団就職の中心だったのだろうか。


何にせよ、50−70年代の音楽、流行歌というのは、レコードの売り上げは今のミリオンセラーに及ばなくても、その何倍も社会に浸透している(今が、別に悪いというわけでもない。メディアが多様化したことで得るものも大きかったはずだ。柳沢みきおの漫画「流行歌」や「大市民」のようなセンチメンタルな現代音楽批判は一面的に過ぎよう)。
そういう、かつての流行歌の中でも、この「ああ上野駅」は、ある意味「高度成長」をストレートに歌い、日本の一断面を切り取った”時代の歌”として大きい。
それにまだ、集団就職で喜び苦しみを体験し、高度成長を肌で感じた世代は社会の要要に残っている。そういう人にとっては、この歌への思いもひとしおだろう。
【参考】
http://www.ringohouse.com/dramafiles/03.ueno.html

それに、ふつうに聴いても、全世代を通じなかなかいい歌だと思うのですが。
成長に倦んだ、成熟社会の今だって、自分の夢や野心を満たすには、地方ではなく首都、大都市に出てこなければいけない人々は確実にいる。世界のどこにでも。
そういう人たちが、自分なりの、21世紀の「ああXX駅」を今も歌っているのだろう。