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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 報道、記録、文化のために

すがやみつる「仮面ライダー青春譜: もうひとつの昭和マンガ史」が電書で半額。本人の読みどころ紹介がウマいな(笑)


すがやみつる
@msugaya
中学3年生のとき、担任が美術教師で、最初の授業は富士山を写生してくることでした。窓の外に富士山がひろがっているようなところでしたので。

 次の美術の時間に、全員の絵を並べて人気投票をしたら、私の富士山の絵がダントツ1位に選ばれました。富士山を背景に、黒い煙をたなびかせる製紙工場の煙突が並ぶ風景を描いたものでした。

 でも教師は、「この絵は上手いけれど銭湯の壁の絵みたいで、感動がない」と言い、別の女子が描いた、ほぼ茶色一色で、山頂付近の富士山をアップにした絵を選び、「こっちの方が富士山の雄々しさが出ていて、見える人を感動させる」とのこと。

 そのときは反発を覚え、チェッと思っていましたが、5年ほど後に、この言葉が正しかったことを実感する出来事がありました。それは上京し、アシスタントや編集プロの仕事を経て、ジョージ秋山先生の臨時アシスタントをしないか、と声をかけられたときのことでした。

 以下は、そのときのことを書いた拙著『仮面ライダー青春譜』の文章です。持参した宮谷一彦タッチのリアルな劇画調の原稿を秋山先生に見せたときのことが書かれています。

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「えらく細かい絵だなあ」
 秋山氏があきれ顔でいった。ギャグマンガには、ふさわしくない絵だと思ったのかもしれない。
「『ゴルゴ13』か、これ?」
 秋山氏の言葉に、ぼくは驚いた。たしかに、さいとう・たかを氏の絵から発祥した、いわゆる劇画集団系の劇画家の絵に似たところはあったが、どちらかというと、もう少し新しい宮谷一彦、松森正といった新人劇画家の絵を意識したつもりだった。
 ――マンガ家なら、そのちがいをわかってくれてもいいのに……。
 そんな不満が顔に出たのか、秋山氏は、こんなことをいった。
「あのなあ。ふつうのマンガの読者には、川崎のぼるの絵もさいとう・たかをの絵も、同じに見えるものなんだぞ。たとえばよお、この目が上下さかさまになっていたらダメか?」
 秋山氏は、ぼくが描いた殺し屋のキャラクターを指さした。スクリーントーンをかさね貼りしてメタリックな光沢を出した乗用車の前で、タバコをくゆらせているアイビーカットの殺し屋である。園田光慶氏の『アイアン・マッスル』あたりを意識した絵で、目尻がつりあがった鋭い目の持ち主が主人公だったはずだ。これが『ゴルゴ13』と同じに見えるといわれれば、なるほど、そんな気もしないでもない。
 しかも、この鋭い目をひっくり返したら、どんな絵になるのだろう。おそらく、あまりカッコイイ顔にはならなくなることだろう。そのうえに秋山氏は、さらにこんな追い討ちをかけてきた。
「このからだも、なんで肩から腕が出てねえといけねえの? なんで脇腹から出てちゃいけねえの?」
 ぼくは天啓に打たれたような気分になった。それと同時に、反射的に、中学三年生になったばかりの美術の時間のことを思い出していた。

 中学三年生になったとき、クラスの担任が、他校から異動してきたY先生という男性教師になった。受け持つ授業は美術である。
 Y先生は、クラスのことも、まだよくわかっていないからといって、一学期の最初の美術の時間に、「富士山を好きなように描いてみろ」という課題を出した。
 母校の中学は、校庭に出れば正面に富士山が見える。ぼくたちは画板に画用紙をのせて校庭に出ると、思い思いの富士山の絵を描いた。
 完成した絵を教室に持ち帰ると、Y先生は、教室の黒板と壁に絵を貼り出した。そのうえで、生徒同士で、どの絵がいいかを投票するようにとの指示である。
 挙手による投票で、ぼくの絵がダントツの一番人気となった。晴れた青空の中に富士山がそびえ、麓には製紙工場の煙突が林立する構図で、写実的な絵になっていた。
 ところがY先生は、
「この絵は、うまいけれども、〈いい絵〉とはいえないな。どっちかえといえば、ペンキ屋の職人が描いた銭湯の壁の絵みたいなものだな」
 とクサしたのだ。
 Y先生が〈いい絵〉の見本として見せたのは、女子生徒が茶色の絵の具だけで、富士山の頂上あたりをクローズアップして描いた絵だった。
「俺は、こっちの方が、富士山の雄々しさが出ていると思うけどな……」
 というY先生の言葉に、ぼくは納得できないでいた。納得できないどころか反発さえ憶えていた。ところが、秋山氏の言葉を聞いたとたん、五年も前にY先生のいっていたことが、一瞬にして腑に落ちてしまったのだ。
 いくらうまい絵を描いたところで、もっとうまい人は山ほどいる。それならば、技術は稚拙であろうとも、自分の思いの丈を叩きつけた方がいい。Y先生は、こんなことを言いたかったのにちがいない。
 いま目の前にいる秋山氏も、同じようなことを言いたかったのではないか。事実、このときすでに連載がはじまり、話題になっていた『銭ゲバ』などは、劇画的な作画テクニックとは無縁な作品だったが、そこからほとばしるエネルギーのようなものには、終始、圧倒されっぱなしだった。
 思いの丈を叩きつけるように描く――このとき感じたことは、後年、『ゲームセンターあらし』を描くことになったとき、あらためて思い出すことになる。
 だが、それはそれとして、いまは、秋山氏にアシスタントとして雇ってもらえるのかどうかが問題だった。ここまでの情勢だと、どうも秋山氏のアシスタントは失格らしい。
「やはり、まずいでしょうか……?」
 おそるおそる訊ねてみた。
「そんなことはねえ。これだけ描けりゃ、うちのマンガには充分だ。すぐ仕事を出すから待っててくれ」
 そういうと秋山氏は、ぼくを待たせたまま、コマ割りのすんでいた原稿用紙に下絵を入れ、ガシガシとペン入れをはじめた。下絵には三菱鉛筆のユニホルダーが、ペン入れにはGペンが使われていた。
 ペン入れは一時間もしないうちに終了した。やけに早いなあと思っていたら、ペンが入っていたのは登場人物の顔だけだった。「身体のペン入れもやってくれ」というのだ。
 作品は「少年キング」に連載されていた『ズッコケ仁義』というギャグマンガである。背景の当たりも入っていたが、驚いたのは、町内の風景に出てくる電柱が、どれも斜めに傾いていることだった。
「これを明日の昼までに仕上げて、持ってきてくれ。それからアシスタント代は一ページ千円だけど、それでいいな?」
 一ページ千円なら一日で一万三千円になる。二日仕事をするだけで、鈴木プロの月給をオーバーすることになる。
 秋山氏からは、週に一本、専属アシスタントだけでは手がまわらない作品の手伝いを頼まれていた。ということは、月に四本から五本になる。鈴木プロの月給の二倍以上になってしまうではないか。
 こんな〈高給〉がもらえるのなら、文句なんてあろうはずがない。ぼくは原稿を受け取ると、大急ぎでアパートにもどり、作業を開始した。

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仮面ライダー青春譜: もうひとつの昭和マンガ史

1960-70年代。マンガというメディア自体が「青春期」をむかえていたあの頃―。
1950年に生まれ、月刊少年マンガ誌ブーム、貸本マンガブームと、マンガとともに育ち、
上京後はアシスタント、マンガ編集者を経て、石森プロに所属。
石ノ森章太郎が「唯一の弟子」と認めたマンガ家、すがやみつるが綴る、熱い、熱い「あの頃」。
ジョージ秋山をはじめ、松本零士、本宮ひろ志、そして石ノ森章太郎など時代を代表するマンガ家たちとともに過ごした青春期。