昔はね、漫画家も小説家もプロにならないと続けるのは難しかったのよ。発表のしようがなかったからね。みんな大人になると止めちゃった。だから続けたい人はプロを目指した。今はwebでいくらでも続けられるんだから、必ずしもプロ目指す必要なんかないんですよ。
— 宮前葵 (@AOIKEN72) May 15, 2025
全くこれは正論で
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2025年5月16日
「プロになりたい・雑誌に載せたい理由?プロとして出版社から本を出さないと作品を皆に読んでもらえないから」
↓
「その問題が解決しました」※youtubeアイドルも同種
この根本がある以上、出版不況と書店減は小手先では解決不可能…その一方で(続く)https://t.co/vXnRyPPSXe
「出版物だと得られる経済的利益は、出版社や新聞社、人気作家に集約され、その資金力で大型取材や調査報道、地道な学術研究や辞書編纂もできた…それは今後難しくなる?どう代替する?」
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2025年5月16日
という問いへの答えはまだなさそう。https://t.co/vXnRyPPSXe
カラオケが無かった時代には、ギターと歌のプロ「流し」が成立し食えていた、だが今は…という話とつながるかhttps://t.co/IV4qprW9HV pic.twitter.com/zjwTjZpgdR
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2025年5月16日
最後の「カラオケが無かった時代は、流しのギターが食えていた」という話をもう少し普遍化すると、「その仕事・商品が、専門家から購入しなければならない場合は、専門家に利益が蓄積され『その利益を基にできた、特殊なこと』も生まれる。しかしその商品が普遍化され、専門家を経由しなくても入手できるようになれば専門家は衰退する。そして、かつての『その利益を基にできた、特殊なこと』もなくなる」と…
文章はこなれていないが、まあそういうことで、念頭に置いたのは、やはり大手新聞の調査報道、大手出版社の大型ノンフィクション、あるいは新人賞や、若手作家の育成、辞書の編纂、テレビ局の特大スケールのドラマ、文化メセナ…などだ。
文芸春秋の編集長に田中健五が就任した時、いきなりノンフィクションの原稿料を二倍にして「ノンフィクションはカネがかかる」のひとことで会社を押し切ったとか
m-dojo.hatenadiary.com
・本田靖春氏は読売新聞で活躍したあと、フリーのノンフィクション作家となった
・が、その時、発表の場と取材ができるような十分な環境を整え、才能を花開かせた編集者が文藝春秋の田中健五だった
そもそも
雑誌というスタイル自体がそうだった。
過去記事より
・そもそも単行本は別にして、漫画も含めた「雑誌」とは「不備のある抱き合わせ商法」なのである。大人気作品と、そこそこの人気作品と、不人気作品と(笑)、新人の研修をセットにして、数百円で月1回、週1回販売する。へんなシステムなんですよ。人気漫画が、不人気漫画の500倍(雑誌上で)読まれようとも、おそらくはページ当たりの原稿料がちょっと高い低いの違いぐらいしかない。
これは2013年の指摘。
マンガ雑誌の意味ってのは売れてる作家と売れてない作家、新人作家をパッケージングして「抱き合わせ」することに意味があるわけで、これが崩壊すると売れてない作家がどう生計たてるかという問題が浮上してくる。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) April 2, 2013
な、わけだから
かつて、物語を読みたい、ニュースを知りたい、文字に触れたい…という人の小銭…雑誌代が出版社に集約され、そのマネーでまた何かが造られる…このサイクル自体、あるいは新しい時代のこのサイクルに似たものをどうやって作れるのか。
この記事の数日後、同じことを別の方角から、ベテランのプロ作家が語った
これは自分で自分の本を出そうとすれば街の印刷屋に何百万も吹っかけられ、お粗末なノー校閲の軽装本しか出せなかった時代の話ですが……小説を書き、継続的にそれをきちんとした本として世に出そうとすればプロ作家になるほかなく、「小説を書く」ということと「作家になる」ことはほぼ等価だった。 https://t.co/3AruG2qgQO
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) May 25, 2025
以前、ある獣医さんの話に、子供のときから動物好きで、一生動物とかかわってゆくために獣医になろうと決めたが、そのためには数年間、動物と触れ合う時間を削って必死に受験勉強しなくてはならなかった。弁護士やジャーナリストも「やりたいこと」のために「ならねばならないもの」がある。だから、
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) 2025年5月25日
「作家になりたい」のか「小説を書きたい」のかというのは昔からよく言われる問いかけだけど、この二つを明確に分けられない思いが僕にはある。同人文化がこんなに栄えて即売会があって、何より軽印刷がこれだけ安くなった時代だったら、僕も作家を目指していなかったかもしれませんがね。
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) 2025年5月25日
漫画の場合、特に顕著で「載せてもらうため」のネーム地獄が無用になるわけですね。ただそのかわり、対価を払うもの(版元)もいなくなるということもありまして……
— 芦辺 拓 (@ashibetaku) May 25, 2025