前回記事の骨法・堀辺正史氏につづいて、またも追悼記事をかかねばいけないのか…
プロレスラーのハヤブサさん死去 http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/514171/
ブクマの多さも特筆される。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/514171/
自分は追悼のtogetterまとめを作った。
プロレスラー「ハヤブサ」さん急逝…追悼と感想まとめ - Togetterまとめ http://togetter.com/li/946125
FMWは、地上波テレビ放送のない団体だった。その後、ディレクTVで放送され、WWF(現WWE)の手法を取り入れて、ストーリー優先で良識派がまゆをひそめるような演出をするなどの工夫をし、エンターテイメントプロレスの日本での先駆者になったのだが、それはまた別の話。
だから自分は、数えるほどしかFMWのハヤブサの試合を見ていない…はず。
だが一方で、この時期は「週プロ」全盛期、しかもFMWは週プロと関係良好だったので、写真と記事でハヤブサの活躍をみることが出来た。
ひとつの例外をのぞいて…
ふしぎなもので、どんな小さな団体、新興団体でも、なぜか1人か2人は世界のどこに行っても通用する新人、あるいは外国人が出てくる…気がする。
FMWでは、ハヤブサがそれであったことは、一点の曇りも無くいうことができる。
ただ、そんな新人にスポットライトがあたる「場」が突然生まれる。
それが「スーパーJCUP」だった。
私の知識や記憶も多少あいまいだから、事実誤認があるかもだけど、
スーパーJCUPは、そもそも新日本が「俺たちこそが、俺たちだけが本物。他の団体の連中は素質も練習量もない、なんちゃってレスラーもどきよ」というカテエ感覚を持っていたとき、例外的にそういう意識が少なくインディに敬意を払っていた獣神サンダー・ライガーが…『ジュニア』という枠組みの中でマッチメークや、ぶっちゃけアップダウン(勝敗決定)などの権限を持っていたのを幸い、上層部がやや冷たい視線だったにもかかわらず実現させた夢の「ジュニアオールスター戦」だった。
今は廃刊された…名前もよく覚えてない雑誌でライガーやデルフィン、サスケなどが座談会に出席、そこで盛り上がった話から一気呵成に決まった。
そして、複数の団体…というか声自体はほぼ全団体にかけたんだっけかな? その結果、意外なほどに多彩な団体から顔ぶれが集まったのだが、その中で、もっとも「過去の実績」に乏しかったのがハヤブサだった。そもそもFMWはジュニア中心の団体ではない。すでにみちのくのような「ジュニア、ルチャ専門」の団体もあったなかで…1回戦の相手は、このトーナメントの提唱者にして絶対の大本命、ライガー。
自分はまだ「勝敗を決めている」という概念にはいたっておらず、ふつーに強いほうが勝つ、と思っていた。「本番は勝ちあがり後で、ライガーはハヤブサを一蹴するだけの数合わせ試合なんだろう」…と。
しかし!!!!
ハヤブサはそのリングネームどおり、「和」を意識した派手な長襦袢のようなコスチュームをまとって先に入場し、ロープをつかむとふわりと「大開脚」でジャンプしてトップロープを飛びこえてリングイン。
そもそも、彼の覆面のデザインが
「両目の穴は二つではなく、つながっている」
「髪の毛が出ている」
などもまだ当時は非常にめずらしかったし、さらには「目元にペイントし、ペイントとマスクを組み合わせる」というところも実に新鮮だった。
そして、格上のライガーもテーマ曲に乗って堂々と入場、そしてリングイン……
このとき!!!
ハヤブサはにわかに動いてリング外のライガーに…だったかな?いちど入ってから叩き落したんだっけかな? とにかくリング下のライガーに対して、その長襦袢のコスチュームのまま、一回転してトップロープを飛び越える「トペ・コンヒーロ」を敢行。この「長襦袢のまま」飛んだところが、まだ新人だったハヤブサのセンスだった。
この大会ではTAKAみちのくも、いちどトップロープにちょんと飛び乗って再ジャンプするプランチャを見せて、インディ嫌いの長州力に「こいつら宇宙人か?」と言わしめたのだが、そういう技のひとつひとつが、彼らのトップレスラーへのチケットとなったのであった。
結局ハヤブサはライガーに完敗、ピンフォールを奪われるが、ライガーは試合後コメントで彼を絶賛する。
いまの視点で考えると、このトーナメントは「勝敗の決め方」が実に絶妙であった。そもそも提唱者、大本命のライガーが準決勝でザ・グレート・サスケに敗れるという一歩退く選択をしたのだ。
だからこの大会の裏話を、バックステージ・タブー(ケーフェイ)にも触れた形で読んでみたい…とは以前かいた。
「ビフォーアフター」で大ブレイク!獣神サンダー・ライガーの人間像とは。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130604/p1
これも一説だが、一時期…まさにJカップのころ?、ライガーは新日ジュニアヘビー級におけるマッチメーク権を委譲され、選手の勝ち負けを決める立場にいた、という情報を聞いた記憶がある。(うろ覚えです)
だとしたら、かなりライガーは大胆に…そのころ新日が呼び込んだインディ・ジュニア選手に「負けて」いた気がする。さらにいえば新日の若手にも「負けさせていた」んじゃないだろうか?若手に不満の気配も見えたが、さらに率先してその若手にもライガー自身が負けて・・・結果、当時の新日ジュニアは、飛びぬけた無敵のエースはいない代わりに、誰が勝ち抜くかわからない戦国時代と化していた!ナインティー・オールジャパンも伝説だが、「ナインティ・ニュージャパンジュニア」といえばそれにひけをとらない歴史的ブランドだ。「当時のマッチメーカーはライガー本人」説の真偽はともかく、仮に違う人が担当でも、それなら当時筆頭格のライガーが、他人の決めた負けブックをちゃんとこなしていたってことだから、どっちにしてもやはり、ライガーは日本メジャー団体のトップの中では最も”負けにこだわらない”タイプなのだと思われます。
だからさっきの「スーパーJカップを再検証したら面白い」というのは…大会社の中でベンチャー的企画を立ち上げ(他団体を見下す傾向のある長州力はひややかだったとか)、外部業者に協力を求め、そこでのマッチメークでの諸要望を仕切り、肝心なところでは自分が泥をかぶり(準決勝で負け)、そしてその企画を大成功に導くだけでなく、その後の潮流を根本的に変えていく(団体相互交流と、インディー・メジャーの「格」の違いの解消)・・・。
そんなね、嫌いな言い方だが「ビジネスの参考になる」話的な売りというか・・・そんな裏話を知りたいと思うのです。
ただライガーはバックステージの公開に対しても古風だから、へたにJカップやスペル・デルフィンが参戦して準優勝した「ベスト・オブ・スーパージュニア」のアップダウン(勝ち負け)に関して直接たずねたら掌底が飛んできかねない(笑)。
このへんはほんま、G-spiritの中の人とかに期待したい。
てか、あれだ。昨日「1964年のジャイアント馬場」が始まったばかりだが、その作者にとは言わないけど、J-CUPの始まった年に焦点を当てて…
だが、今なら「1994年のライガー&ハヤブサ」とするべきだろう。
この試合を自分はTVでみたのか、その後2本組のビデオになっていたのを見たのか……
とにかく、ハヤブサはその後全日本プロレスにも登場、ジャイアント馬場とのタッグを結成したり、世界最強タッグに新崎人生と組んで出場するなどし、非常にいい試合を見せていた。
その一方で、なぜかあんまりちょっと…な「H」という素顔でのキャラクターでも戦ったりした。
そして衝撃のアクシデントから、それでも「復帰」という夢に向かってリハビリに励み、その体験を講演で語ったり、歌手として活躍したことは、なんか近年バラエティ番組で紹介されたらしく、世間一般のひとが自分より知っていると思う。
自分は、自分が語れる「第1回スーパーJCUP」の話だけにしぼって回想させてもらった。
くしくも、このスーパーJCUPがこの年に復活するという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160304-00010001-battlen-fight
木谷高明オーナーが3つの重大発表を行った。その2つ目として、ジュニアのオールスター大会となる『SUPER J-CUP2016』を8月21日に有明コロシアムで開催することを発表。
1994年に両国国技館にて第1回が開催され、団体の枠を超えたジュニアの祭典として話題となったが2009年以降は開催されていなかった。久々の復活に現時点で名乗りを上げている団体はROH、NOAH、ZERO1、KAIENTAI DOJO、鈴木軍、DRAGON GATE、CMLL、琉球ドラゴンプロレスリングの8団体。
(略)
TAKA「新日本プロレスファンの皆様、お久しぶりですTAKAみちのくです。今日は、鈴木軍ではなくKAIENTAI DOJO代表としてお邪魔しました。思えば、二十数年前、第一回J-CUPに参加させていただき、大きなチャンスをいただき、それがあったから今の自分があると思っております。KAIENTAI DOJOも今、生きのいいの選手が沢山居ます。是非そいつらにチャンスをいただけたらと思います。よろしくお願いします」
ハヤブサが、この大会に何かの形で「参戦」することはできないだろうか…
魂だけでも、名前だけでも。 「HAYABUSA MEMORIAL SPECIAL」という副題をつけるとか。