今週3/3(木)に神保町で『井田真木子と女子プロレスの時代』のちょっとした会を催します。https://t.co/RkQmyIQD7y
— WARAGAI Koichi (@warakoichi) 2016年2月29日
http://jimbo20seiki.wix.com/jimbocho20c
●3月3日(木)
『井田真木子と女子プロレスの時代』をめぐって――編集者と語る読書会
話し手:藁谷浩一(イースト・プレス)
ゲスト:清田麻衣子(里山社)
開演19:30
会費 1500円(1ドリンク付)
いま、こんな本が出ているのだよ
内容紹介
- 作者: 井田真木子
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2015/11/15
- メディア: 単行本
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『プロレス少女伝説』の衝撃、再び--。夭逝した天才ノンフィクション作家の、若き日の原稿を初めて書籍化!
井田真木子による作品群の中で、最も語り継がれている大宅賞受賞『プロレス少女伝説』の下地となったのは、20代後半から足掛け4年にわたるプロレス誌での仕事だった。いまや伝説となった長与千種、神取しのぶとの全対話を収録。雨宮まみ、上原善広、大塚英志、角幡唯介、北原みのり、木村元彦、杉江松恋、武田砂鉄、中川淳一郎、樋口毅宏、増田俊也、松原隆一郎、柳澤健、吉田豪ほかも特別寄稿。内容(「BOOK」データベースより)
『プロレス少女伝説』の衝撃、再び―夭逝した天才ノンフィクション作家の、若き日の原稿を初めて書籍化!長与千種、神取忍との全対話収録。
ノンフィクション作家は宿命的に著作の寿命が(比較的)短い。とくに作者の死後も読みつがれるものはまれだ。
だが、彼女はこういうのが最近出た
- 作者: 井田真木子
- 出版社/メーカー: 里山社
- 発売日: 2014/07/19
- メディア: 単行本
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- 作者: 井田真木子
- 出版社/メーカー: 里山社
- 発売日: 2015/03/14
- メディア: 単行本
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一番上の作品は、この著作集が売れたから、企画が通り発売されたのだという。
ん?「プロレス少女伝説」も4年前に文庫が出てるぞ。…ああ、キンドル版か。
- 作者: 井田真木子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/09/20
- メディア: Kindle版
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「心を折る」
さて、表題の「心を折る」だが、正確には井田氏と神取しのぶのタッグでの造語。
こういう記事が日系ビジネスオンラインで一度書かれたことがあったが、そのことは触れられてないので、はてブで突っ込まれていたっけ。それが資料と言うことになるのもなんだが…
心はいつから「折れる」ようになったのか? http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111209/224986/ #日経ビジネスオンライン
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111209/224986/
ここから再紹介しよう。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140322/p1
故井田真木子氏が長与千種にインタビューした「デラックスプロレス」の記事は、今書籍にする価値がある。
今回は表題どおり柳澤健氏と、格闘技・プロレス中継の実況を数多く務め、ラジオ番組「真夜中のハーリー&レイス」も持っている清野氏のトークショーだったのだが、この二人ともが意外な共通点を持っていた。
それは、「国会図書館で古い書籍を読むのが趣味」ということ。
それが仕事に直結するだろう柳澤氏はともかく、清野氏まで…だが「プロレスマニアの習性」と考えれば納得いく話か(笑)。さらにいうとかつて、週刊プロレスは閲覧に際し「別室で読むこと」が義務付けられていたという。それはあまりにも国会図書館の週刊プロレスの蔵書は、「切り抜かれる」ことが多かったため、職員の監視下でのみ閲覧させたからだと。アンネの日記よりひでーぞ!!!
で、そこでここに表題として書いた長与千種のインタビュー記事(デラプロ)も読めるよ、という話になるのだが、この時のインタビュー記事は、今でも人々が読むに値する、緊迫感のある物語だ…ということ。
それは後に大宅壮一ノンフィクション賞を(立花隆の猛反対にも関わらず)獲り、日本語に「心を折る」(by神取忍)という言葉を付け加えた不世出の作家が、これまた不世出のプロレスラーと一対一で対面し…「読み手の心を揺さぶる」、すなわち「お客をヒートさせる」プロレス名勝負を行った名勝負数え歌だった、というのだ。
もちろん、すべてのプロレス名勝負がそうであるように、厚い信頼感を基に闘いながら「この戦いで、俺はこいつを出し抜いて上に行く」「相手のこいつを、道具として利用しぬく」という意識も常に捨てていない。
だからこそ名勝負なのだ。
「1985年の〜」から一部紹介しよう千種と一緒にお茶を飲んだ、千種はこんな仕草をした、千種の顔が曇った…(略)一見、プロレスとは何の関係も無い話題が延々と続くにもかかわらず、若い読者はけして退屈することなく、逆に長与千種の言葉と井田の細やかな筆致に引き込まれ、大人の女性の会話に年下の自分がひとり加わったような気分を味わった。
- 作者: 柳澤健
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/03/07
- メディア: 文庫
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観客の心理を自在に操る魔術師である長与千種は、井田真木子のライターといての優れた資質をすぐに見抜く。見抜いた上で井田真木子の心理を操作して、最終的に読者である少女たちの心理を操作しようとする。
井田真木子もまた恐るべき書き手であり、魔術師の意図を瞬時に察する。圧して共犯者を装いつつ、絶妙のタイミングで鋭い質問を投げかけ、スーパーヒロインの本音を引き出そうとする。
長与千種と井田真木子は女子中高生を読者とする「デラプロ」誌上で、恐るべき心理戦を戦っていたのである。
(文庫版P151、152)さらに、文庫版用にあらたに加わったあとがきはまさにそのものずばりで「井田真木子さんのこと」と題して書かれている。
…「プロレス少女伝説」をお読みになった方ならば、引用以外に長与千種の発言が一切出てこないことにお気づきだろう。長与千種は井田真木子への協力を拒否したのである。
「なぜですか?」との私の問いに、千種は…(後略)
なつかしの、立花隆の「プロレス全否定論」をも”引き出した”のが彼女。浅羽通明の批評も合わせて…
これも再紹介すっか。ここからね。
大宅壮一賞、候補の1/2が格闘技・プロレスもの(柳澤健・増田俊也)/思い出す「立花隆」の選評とそれへの批判(改訂版) - 見えない道場本舗 (id:gryphon / @gryphonjapan) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120328/p2
かつて、良くも悪くも日本ノンフィクションの中心人物だった男がいた。
その男、立花隆。
彼は井田真木子の、今なお伝説のノンフィクションの一本であり、日本語に「心を折る」という表現を付け加えた「プロレス少女伝説」について、受賞に最後まで反対。その後の選評で、以下のように語っている。
- 作者: 井田真木子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1993/10
- メディア: 文庫
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「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」
あの時代、プロレス批判者の立花氏も熱かったが、ファンの側も暑苦しかった(笑)。立花氏のもとには多くの抗議・反論が寄せられ、氏は「僕はその前に、昭和天皇の戦争責任も追及していたが、そっちより反論が多かった」と回想している(笑)。
そしてしばらくして・・・わたしが、この議論への反論の決定版と思うのは
に収録された、浅羽通明のコラムである。立花隆「嘘八百」の研究―ジャーナリズム界の田中角栄、その最終真実。 (別冊宝島Real (027))
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2002/01
- メディア: ムック
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(※ここには当初、「それを紹介したいが見つからないので・・・」みたいな文章がありましたが、その後本が見つかりましたので改訂します。)
この文章の、前半要旨を箇条書き
・立花隆は話題が「知の欲求」「教養の必要」となると口調が大仰、声高となる。
・立花は「取材や執筆のため資料を読み、勉強するのがどんな遊びより楽しい」と言っている。それは本気だろう。
・しかし彼はそれを「すべての人間が知識欲を持っている。それは基本的な欲求だ」と普遍化する。
・そして彼は、例えば宇宙開発を称揚し「経済的利益があるから宇宙進出しよう、じゃなく『宇宙へ行くのは人間の宿命だ』といえばいい」と主張する。
さて、ここからが上のテーマと重なる。
ここから引用。サル学と女子プロレスを区別する知的根拠とは?
「ほとんど人間の本能」「最も根源的な欲求」「人間の宿命」・・・立花のこうした論拠の求め方は、それ自体、一つのパラドックスを孕んでいるように思われる。
けだし、食欲や性欲が人間の根源的欲求であると、声高に論じる者などいない。そして、誰も論じなくとも、人は日々、モノを食い、異性を求める。
しかし、実利を離れて、宇宙の構造だと生命の謎だのに立花隆のごとく好奇心を燃やす者は、ごく少数とは言わないまでも一部でしかなかろう。
多くの者が、純粋な知的欲求へ向かわずにいる状況、むしろ、であるからこそ、立花はいらだち、声高な訴えを随所で繰り返しているのだろう。
ひるがえって考えるならば、これ自体が、純粋な知的欲求は人類の根源的欲求で、ほとんど本能に近いなどとはまるでいえないことの何よりの立証ではないか。
とすればーーー。
一連の声高な口調、大仰な表現は、真理の強調ではなくして、立花の切なる願望を訴えたものと捉えたほうがよろしいだろう。
だが、純粋な知的欲求とは何とも抽象的である。実利に役立たぬ好奇心なら何でも、立花は以上のように賞揚するのだろうか。
そうでないことは、彼がこれまた偉く声高なものいいをした十年前の一件でもわかる。
「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関心がない。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」
91年、故・井田真木子の「プロレス少女伝説」に、大宅壮一ノンフィクション賞が授けられたとき、選考委員の中でたったひとり、最後まで反対し続けた立花隆による選評の一説である。
彼は、この作品が完成度、表現力、構成力に秀でているのを認め、井田の才能を高く評価するといいつつ、ノンフィクションは「何を」書いたかが「いかに」書いたかよりも大切であり、「プロレス〜」は世に伝える価値の無い事実を書いた典型のような作品だとする。その理由を述べたのが、右の一文なのである。
プロレスを一言の下に斬り捨てた右の文章と、ちょうど対照的位置にあるのが『サル学の現在』の前書き冒頭近くにあるこんな文章だ。
「今、サル学のことを書いているというと、たいていの人が『なんでまたサル学なんかに興味を持ったんですか』と尋ねる。このように問われること自体、私ははなはだ不満である。そのような問いに対して、私はいつも『何でまたサル学に興味が無いんですか』と問い返す。私の理解するところでは、およそ人間というものに興味を持つ知的人間であれば誰であれ、サル学に興味を持たないはずがないのである」
96年6月号の『文芸春秋』掲載「東大生諸君、これが教養である」でも、立花は教養の非実用性を強調する。彼はここでは、本能とか根源的とか宿命とかの表現は用いていない。しかし、立花が提示する教養の定義はこんなものだ。
「パンのためには役には立たないが、知的存在者でありたいと思う人がただそれだけの理由で身につけようとするもの…」
女子プロレスも、サルの生態も、それを職業とする人以外、まずパンの役には立たない点は共通する。
立花は両者を、知的レベルが高ければ熱中するわけがない女子プロレス、知的な人ならば興味を持つに決まっているサル学というように峻別する。
いったい区別する根拠はどこにあるのだろうか。
サル学は立派な「学」であり、京都大学で研究されているからだろうか。
否、立花隆はそこまで低レベルの権威主義者ではないようだ。では……?(後略)ここから浅羽氏は、立花の本がけっこう通俗的だったり、科学的なふりをして願望をサルなどに投影したりしていることを指摘し、さらに弱点を各種論じている。
そして「事実」「ジャーナリズム」が「思想」「教養」を代行できるか、という大きな問題になっていくのだが、そこまで引用できるもんじゃない。ただ、「立花隆のプロレス論」に対する反駁…というか矛盾の指摘は、上の文章で足りると思う。