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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

「マザー・テレサに祈って病気が治った」「水木しげるの霊が大川隆法に降りた」って信じられますか?だが、それが「宗教」。

くしくも、複数の宗教による超自然的現象の話題が、連続して、はてブをにぎわした。

A:

マザー・テレサ 「聖人」に加えられる NHKニュース
http://nhk.jp/N4Ml4L94
カトリック教会の最高の位で、敬けんな信仰を貫き、教えを完全に実行したとされる人に当たる「聖人」に、インドを中心に貧困や飢餓に苦しむ人たちの支援活動に当たり、ノーベル平和賞も受賞した、マザー・テレサが加えられることになりました。
ローマ法王庁は17日、脳に腫瘍があったブラジル人の男性の家族がマザー・テレサに祈り男性が治癒したことを「奇跡」と認めたと発表し、これによりマザー・テレサが「聖人」に加えられることになりました。
(略)
聖人に加えられるには、通常、死後、2つの奇跡を起こしたことが認められる必要があるとされています。(略)1997年に87歳で亡くなったあと、インド人の女性の腫瘍がマザー・テレサへの祈りで治癒したことが1つ目の「奇跡」と認められ、2003年に聖人に次ぐ位の「福者」に加えられていました…

 
B:

大川輶法が水木しげるを降臨させ妖怪ワールドを語る! ※左腕あり
http://gogotsu.com/archives/13976
  
大川輶法が11月30日に亡くなった水木しげるさんを霊言として呼び戻し、妖怪ワールドを語るという。そのCM動画がYouTubeに公開され話題になっている。
(略)
ただ気になるのが、普通に左手を使ってしまっていることだ。水木しげるさんは戦時中に爆撃により左腕を失っている。そんなことを知らずなのか、普通に腕時計をはめ、左手で首の後ろをポリポリ…

さて、皆さんはA、Bのどれを信じて、どれを信じませんか。
わたくしは正直、宗教には不案内でして、…カソリックが列聖の準備として行う奇蹟の事実認定や議論が形式的には厳密だったり、「悪魔の弁護人」を立てるなどへんてこなフェアネスがあることも、大川隆法の霊言では、呼び出された古代中国の霊が近代的な「ニイハオ」と口走る、とかも知ってますけどね。


ただ正直、A,Bどっちも、「本当に起きたか」という点では、信じられません。同じレベルで。

しかし同時に…以前から書いておりました

宗教における「見なしの自由」を擁護する…彼の為でなく、我が為でもなく。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p3

の通りであります。上にイメージキャラも登場させたように、「お前がそういうならそうなんだろう、お前の中ではな」

という話、です。
さらに言うなら、そう考えた上で、その人々の別の言動や振る舞いによって、奇蹟を本当に起こしたかとか、霊を本当に呼び出したのかとは全く別のレベルで、その宗教者を尊敬も嘲笑もできるだろう。そういう点では(後略)―――。


【追記】そんなの書いてるうちに、またあっちが新ネタを追加したよ!!早すぎるよ!!

大川隆法が今度は『火垂るの墓』作者の野坂昭如の公開霊言 野坂「幸福の科学に興味があった」 http://dailynewsonline.jp/article/1060205/

「列聖」については、いくつか以前から書いていました。

十字軍を率いたルイ9世は”聖王”、カソリックの正式な「聖者」でもある件。(〜宗教における見なしの自由) http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130816/p2
戦国乱世で弓と槍を振るった武将・高山右近カソリックは「列福」「列聖」するか…の話。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140814/p5
アレクサンドリア大図書館と共に殺されたとされる、ヘレニズムの女性学者について (キュリロス列聖)- http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150304/p5

イェルサレムまでの道を剣と弓によって切り開き、その道をサラセン人の血によって舗装しようと試みた十字軍の親玉(※実はボロ負けして捕虜になってます)
信長、秀吉の時代に成り上がり、自分の領国で寺社を弾圧したとも言われる戦国武将、
ヘレニズム文明の成果、知と寛容を一身にて体現していた女性学者を裸にして、牡蠣の貝殻(ごつごつして硬い)で肉をそぎ落とすリンチや、世界の知の蓄積・アレクサンドリア図書館を灰にする試みに関与したとも言われる司教…
(※いずれもなにぶん昔のことで、それらの言い伝えには真偽定かならぬものもあることはご了承を)

それも、「聖者」なのです。彼らはマザー・テレサと同様の存在なのです。
それはカソリックの教義上、そうなのです。


閑話休題 曽野綾子「奇蹟」とコルベ神父

ところで、列聖に関して日本人が知りたいときに、最適ともいえる本があるらしい。

奇蹟 (1977年) (文春文庫)

奇蹟 (1977年) (文春文庫)

http://melma.com/backnumber_47768_1904655/
戦後、コルベの名で奇蹟が行なわれた(病人が回復した)ということで、彼はローマ・カトリック教会によって聖人に列せられた。本当に奇蹟は起こったのか。その真偽
を探りに現地に飛び込む曽野綾子のノンフィクション作品。1972年から1973年まで『カトリック・グラフ』誌に掲載されたもの。


列聖の手続きやその意味などについても詳しく書いてある(らしい)が、それ以上にテーマ的にはすごい。
これも聖者に認定されたひとり、「コルベ神父」のものがたりだ。
彼は有名で名前を聞いたこともあるだろう、アウシュビッツで、ある人の身代わりとなってその命を捨て、その人の命を救った人である。
その偉大な行動と魂には、異郷の徒もこうべをたれざるを得ない。

wikipedia:マキシミリアノ・コルベ
身代わりの死
1941年7月末、収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった。囚人たちは番号で呼ばれていったが、フランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が「私には妻子がいる」と泣き叫びだした。この声を聞いたとき、そこにいたコルベは「私が彼の身代わりになります、私はカトリック司祭で妻も子もいませんから」と申し出た[33]。責任者であったルドルフ・フェルディナント・ヘスは、この申し出を許可した。コルベと9人の囚人が地下牢の餓死室に押し込められた。
通常、餓死刑に処せられるとその牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通であったが、コルベは全く毅然としており、他の囚人を励ましていた[34]。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツ(Bruno Borgowiec)は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言している

こちらにはイラストも
http://blog.goo.ne.jp/hanamamagon/e/d50097769b73216a66858606cdf5582e
福者に認定したヨハネ・パウロ二世
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/john_paul_ii/popeinjp/kolbe.htm

しかし、そんな偉大な人道的行動であっても、”奇蹟”というものが二つ以上どこかで起きない限りは聖者には列せられない(後述)のだ!!それこそ、宗教不信に陥らせるに充分な矛盾だと、これまた異教徒は思ってしまうのだが…!!!!
(※はてブでご指摘あったが、その死が「殉教」ならまた別だった。でも奇蹟の出現は、そういう人でも「あったほうが列聖に有利」なので、探したっぽい?/あとコルベ神父の死はたしかにキリスト的隣人愛の結実だが、いわゆる「殉教」かは多少議論もあったみたい。最終的には殉教者としての列聖なんだっけか?)


カソリックであるはずの、曽野綾子が、この矛盾に満ちた列聖や奇蹟ということに、この一件を通して迫っていく(らしい)
同書内容の一部紹介がここにある。

http://shinozaki-baptist.jp/modules/kyuyaku/index.php?content_id=796
コルベ神父がアウシュビッツ収容所で他人の身代わりになって飢餓室で処刑された話は、川下勝『コルベ』(読書録482)や遠藤周作女の一生 二部・サチ子の場合』(読書録346)で読んだ。しかしこれら二書には、助かった男がその後どうなったかは書かれていない。
曽野綾子「奇跡」は、コルベ神父に助けられた男・フランチーシェック・ガイオニチェックのその後の人生を追い、インタビューをしている。ガイオニチェックはポーランドのブジェックという町に住んでいた。しかし彼が収容所で唯一生きる糧にしていた二人の息子は終戦前に戦闘で死んだという。曽野綾子は書く「何ということだろう。これが・・・この目を覆うばかりの惨憺たる事実が・・・コルベ神父が生命をかけて贖ったことの報いだったというのか」。彼女はガイオニチェックに尋ねる「神父さまにせっかく代っておもらいになって、それで子供さんたちを失われたことを知った時、生きるに価しない世の中だとお思いになりませんでしたか」。ガイオニチェック氏は静かに答えた。「本当に、息子ではなく、自分が死んだ方がよかった、と思う時がありました」(文庫版p116)。
・インタビューの後、曽野綾子は次のような感想をもらす。「そうか、この世とは、こんなものなのだな、と私は二十歳の未熟な青年が言いそうなことを心の中で呟いていた。コルベ神父は夏の二週間を水も与えられずに耐えて、なぶり殺しにされ、しかも、その結果、たった一軒の家庭の幸福さえも守り切れなかったのだ。何という厳しさなのだろう。……(略)コルベ神父の死は、この世が、人間の善意などで救われるような甘いものではないことを教えている。神父が命をかけて、しかも事はならなかったのだ」(p117-118)。

「らしい」「らしい」と紹介文の中にかいたのは、かいてる当方も未読なんで(笑)
この本を教えてくれたのは、評論家・浅羽通明氏だ。
酒席で曽野綾子の話題になり、たぶん自分が彼女を大いに馬鹿にしたのだと記憶している(笑)のだが、何で馬鹿にしたのかは、材料がありすぎて覚えていない(笑)。
だが、それに対して浅羽氏は、「それはそうとしても、曽野の著書の中には馬鹿に出来ない良書がある」ということで、上のような話を紹介したのでした。(それはそうで、自分も「神様、それをお望みですか」は良書だと思っている)

ただし、浅羽氏の場合、紹介のトークが実物よりおもしろいことはしょっちゅうなので、イマイチこの本も確信をもっては薦められない(笑)。まあ機会があったら、自分も読んでみますよ。



再紹介「賢者ナータン」

極東にだって、無能かつ狭量、私欲深く不正な軍事指導者、政治指導者が「英霊」と認定されている国がある。
それもまた、同レベルで「宗教」。
お前がそういうならそうなんだろう、となるなる。
そのへんについて書いたのがこちら。

誰が「英霊」でも、誰の「霊言」でも、誰が「アッラー」と呼ぼうと…これぞ「見なしの自由」 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20131026/p2

そして、上の過去記事から再び「賢者ナータン」を引用します

(略)…なんで結局、どれも最終的にはあっていいかというと、実際に死後の世界に行ってみたら、ほんとに戦死者はみな「英霊」になってるかもしれないし、安重根はその功績をもって天国で永遠の安息を得ているかもしれない・・・それは結局分からないからだ(笑)。
エスは「うーん自分はただの一預言者なのに、神の子だなんて過大評価されてマジやばいわ。正直ひくわー。」と思ってるかもしれないし「あ?俺っち神の子を、ただの預言者なんておめー、俺と親父Disってんの?」と激おこかもしれない。
手塚治虫は本当に梵天界にいて「あの『進撃の巨人』みたいな話なんて、僕だって描けるんです!」と相変わらず現在人気No.1の漫画に嫉妬をしてるかもしれない(笑)。

それが絶対に違うっていうんなら、
行ってきて写真を撮ってきてくれ。
閻魔に紹介状を書いてやる(直江兼続メソッド)。

だから賢者ナータンが語る昔話で、判事はこう語った。

「私はあなたがたに、裁決ではなく、忠告を与えよう。ものごとをあるがままに受け取りなさい。それぞれが、自分こそ本物と信じるのだ…各自が本物であることを証明するように努めなさい。心穏やかに、我慢強く、神さまに気に入られる良き仕事に精を出しなさい。私は千年のちにあなたがたをこの判事席の前に紹介しよう。そのときには、たぶん、この椅子には誰よりも賢明な判事が座っているだろう」

賢者ナータンと子どもたち

賢者ナータンと子どもたち

(一部、改変し一般化しています。原文は下リンク)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20120130/p4


あー、そうそう、私は今回、特に気にしなかったけど「権力勾配」というのに配慮される方は、カソリック幸福の科学とも、現在の日本国においてはマイノリティらしいです(ただし世界全体でいうと、前者は超マジョリティとなり、後者は超超マイノリティとなります)ので、お気をつけください。

サイバラの友人であるタイのおばさん