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からの続きです。
- 作者: ボブ・サップ
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2013/03/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「K-1は運営がずさんだった。人手が足りなかった」
ボブ・サップはその一例として、2003年に「TIME」の表紙をサップが飾るという前代未聞の名誉があったものの、TIMEの担当者がいくら電話をかけてもK-1事務所は留守で、しかも留守電がなかったという。
2003年といえばメールもすでに普及していただろうし、あまりエンターテインメント会社が人員を人気が有るからって増やすのもどうかという話もあるが、そのせいかどうか新日に参戦したときもどれがタイトルマッチでどういうストーリーラインに沿っているかを把握してなかったとか。
曙戦の前、曙の練習を偵察した
そして「勝てるわ」と思ったそうだ。いや今から振り返れば当然だが「相撲最強伝説」最後の幻想があったしね…その1年後はホイス・グレイシーがMMA戦をまじめに曙とやって「私は体重が三倍の相手と戦った」と今でも自慢のたねにしてるしね。あと「あのKO状態でカウントを数えたレフリーには本当に驚いた。てか曙うつぶせだし、窒息しちゃうよ」という正論もおっしゃってる。ボブ、君は角田信朗をわかっていない(笑)。
「藤田和之戦は、フジタの反則負けじゃないのか?」
「グラウンド状態の相手の後頭部を蹴り上げるのは明らかに反則だ」
・・・あっ、そういえば。
いや「ROMANEXルール」にそう明記されているかはもう資料ないかもしれないが、VALE TUDOジャパンの流れを汲む日本格闘技で、いきなりROMANEXだけ後頭部グラウンド打撃が解禁されたとはたしかに考えがたい。なんでもサップの後頭部には、フジタのシューズの「Adidas」のロゴが逆転写されていた…というからおそろしい。
このときサップは総合初敗北ノゲイラ戦に続く総合敗北。レスリング技術の優れたヘビー級と闘うのは初めてで、後頭部打撃の有無は関係なく負けたとは思うけど、たしかにこれが「藤田の反則負け」となっていたらまたいろいろと変わっていたのかもしれないな。「映画撮影もあり、忙しさのピークで全然練習できなかった」ということでも悔いがあるようだ。後頭部打撃について、コミッションはなんと言ってたかな…ない物は何も言いようがないか(笑)。
WWE入りが決まっていたが、K-1の契約がそれを阻んだ。
サップは「5年20試合」の契約を結んでいたが、2005年に20試合をこなし終わっていた。ただ「5年」のほうは残っていた。そのため2006年、WWEが5年2000万ドル(20億円)の破格の契約を提示、サップも契約に何の不満もなく成立…のときにK-1がWWEに申し入れてご破算。日本の団体がアメリカの団体、それもあのWWEに契約で一泡吹かせるなんてのはめったにない痛快ごとかもしれない。WWE側の弁護士も「こりゃ無理だ」と白旗をあげたのでした。ここでWWEに転向していたら、たしかにどうだったかな…スター級の扱いで入る予定だったというから、当時だと誰だっけ?ロック全盛時か?・・・ちがうわ、もうジョン・シナやHHHの時代だったわ。
FBIが「オランダや日本の格闘技界とマフィアの関係」についてサップに協力を要請した。
FBIのオフィスに呼んで1日16時間根ほり葉ほり質問、アムステルダム大会には、出入りしていた人物を既に把握していた…というからおだやかなじゃない。今でも司法省には「サップ証言」の記録が眠っていて、30年後には公開されるのだろうか…
2008年、韓国芸能界で再度のブームを起こしていた。
いくらK-1人気などの素地があったとはいえ、ここに自分の需要を発見し、芸能で稼ごうと思うバイタリティと嗅覚は凄い。
「日本に匹敵する」ブームも起こし、けっこうな稼ぎをすることに成功したそうだ。たぶん、まだそれは日本と違ってそれなりに続いているだろう。
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つかれました。あと一本ぐらい考えたい話題(もちろん最近の試合ぶりと、慈善活動についてだ)があるが、とりあえず。