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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

日本初の「女子レスリング」選手は? スポーツにおける「記録」と「フェア」について(柳澤健「日本レスリングの物語」)

始まった女子レスリング、伊調馨はさすがにいい調子(※このしゃれは著作権フリーですので、自由にお使いください。)で3連覇、国民栄誉賞も視野に入ってきました。小原日登美も涙の金メダル。
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012080900048

伊調はアテネ、北京両五輪に続く優勝で、全競技を通じ日本女子で初めて五輪3連覇を達成した。31歳で初出場の小原は日本勢としてこの階級を初めて制した。
 決勝で伊調は昨年の世界選手権3位の景瑞雪(中国)に2−0で快勝。小原は北京五輪銅メダルのマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)に第1ピリオドを先取されたが、逆転した。 (時事)

そんな女子レスリングの歴史も詳しく描いているのが

日本レスリングの物語

日本レスリングの物語

この前、その女子の歴史についてのくだりを紹介できなかったのは自分の力不足でした。八田一朗の後継者、たる福田富昭が中心となってジャンルを一から作った、といっていいぐらいで、の想像力や私財を名が打つ大胆さ、メディアを巻き込んだ演出力などがいかんなく発揮された大事業だったのですがね。

「当時の福田さんは、みんなからボロカスに言われていました。『なに、女? お前、何をとち狂っているんだ』と。(高田裕司)」
「あのころの協会は爺さまばかりだから『福田はバカじゃないか』ってみんな言ってましたよ。だけど福田さんは信念を曲げなかった(富山英明)」

 
さて。話はちょとかわる。(また戻ってきます)
こちらもメダルを確定された、なでしこジャパンが途中の試合で引き分けを狙い、多少の議論があるとか。
うちのブログはよく取り扱うが、あまり普通は話題にならない「発信箱」も話題になっているし、失格が宣言されたバドミントンとの対比などもいろいろ言われている。
  
■【五輪】バドミントンでわざと負けた4チームが全員失格 
http://2r.ldblog.jp/archives/7361543.html
■「引き分けでいい」なでしこ監督指示 フェアプレー精神に反しているのか
http://www.j-cast.com/2012/08/01141561.html
■発信箱:よくあること=落合博(論説室)毎日新聞 2012年08月09日

http://mainichi.jp/opinion/news/20120809k0000m070130000c.html
 業界の常識が世間の常識とずれていることは少なくない。世間に説明するのが難しい行動を取った人への批判を和らげ、事態を沈静化させる魔法の言葉がある。「よくあること」だ。言われた方は納得したような心地になり、議論は深まらない。 ロンドン五輪のサッカー女子1次リーグの最終戦で、日本の監督は後半の途中から「引き分け狙いの試合」をしたことを記者会見で・・・

個人的には、サッカーの引き分け狙いに問題があるとは思えないが、それは各所でさんざん論じられているので、その試合を実際に見てない自分が言うまでもあるまい。


・・・さて、今回は珍しく、テーマが元にもどって再び女子レスリングに。
いまや、福田氏らの尽力と綺羅星のごとき名選手の活躍で、先行していたフランスなども抜き去り王国(女王国?)を築く日本女子レスリングですが、その第1号選手はだれだろう?
柳澤氏の本によると、少年レスリングのクラブは広まった当初から、おそらく女子も混じっていたと推測され、1974年の関東ミニレスリング大会が初の女子による試合だという。
しかし、日本レスリング協会に正式登録された女子選手第1号は特定できる。
1960年、Mさんである。スポーツ紙記者のM.M氏の長女である。(※同書では実名だが、ここでは仮名にしておきます)
本にはこうある。

拓殖大学レスリング部出身であり、家族と母校とレスリングを深く愛するM.M記者は、生まれたばかりの愛娘を日本初の女子レスリング選手とすることを思いつき、東京都レスリング協会に登録費を支払い、さらに念の入ったことに、社会人レスリング選手権への出場を申し込んだ。1960年(昭和35年)のことだ。当時のFILA国際レスリング連盟の規約には、性別については一切書かれておらず、社会人レスリング選手権の出場資格もまた同様であった。
「まだ日本にはフリースタイルしかない時代。僕はフライ級、つまり52キロ以下のクラスに申し込んだ。そのころは当日計量だったけど、計量時間になっても娘は現れない。当然だよね。一歳の赤ちゃんは、自宅ですやすやと眠っていたんだから」(M.M氏)
こうして日本初の女子選手による公式試合結果は、計量失格と記録された。

スポーツの栄光とは、スポーツそれ自体も、観客の熱狂も、語り継がれる伝説も尊いが、かなりの面で、「記録」にも宿るだろう。
バドミントンだってサッカーだって、要はひとつでも上位を狙う。銅より銀、銀より金と。
そして、というか、しかし、というか、「参加することに意義がある」とも言われる。
この”参加”というのも、つまるところは記録なのだろうか・・・。

M.M氏は性別規定がルールのない大会に申し込み、わざわざ登録費も払い(協会はそれなりに潤ったろう)、そして規定にしたがって計量失格となった。されど記録は、当時1歳のM選手が、「日本レスリング初の女性選手」であると永遠に伝えることになる・・・


サッカーは比較しようもないから置いておくとして、今回、失格扱いとされたバドミントンと比べてみると。
M.M氏は「洒脱なお遊びとしてのスポーツの断面のひとつ」なのか、それとも「何の汗もかかず、ルールの盲点をついて『初の女性選手』という栄光を盗んだ」と批判されるべきものなのか(※もちろん、「日本初の女性レスリング選手」という記録の重みが、現在こうなると当時は予測できるすべもない、という面もある。)
スポーツにおける、名誉と記録とそして『フェア』を考えるひとつの材料とはなるのではないかと思い、同書としては実に枝葉の部分ではあるが、紹介してみました。
どっちみち、、半世紀以上前の話だしね。