NHBニュース( http://blog.livedoor.jp/nhbnews/ )とダブルポストです
http ニッカンスポーツバトル(携帯サイト)10月2日付
自分がまとめ読みをするたちなので本日気がつきました。すでに話題になっているかもしれませんが・・・ニッカンスポーツバトルで連載中の川崎浩市コラム
「ブッカーKのないしょ話」より。=======================
もう時効だと思うので書く。K-1WORLD GP2002開幕戦に勝利し決勝戦へコマを進めていたセームシュルトは……ノゲイラと対戦。左肩を負傷・・・GP決勝戦を欠場した。
しかし、これはケガではなく、イベントとして……開幕戦でボブ・サップに敗北したアーネスト・ホースとを出場させ、ボブ・サップとのリマッチを組むためだった。
(略)
…開幕戦のマイケル・マクドナルド戦でも(※シュルトは)判定勝ち。下手をすると決勝戦もつまらない試合…ノゲイラに三角絞めで一本負け……ホーストを…1回戦で終わらせたままにしておく訳には……この状況をイベントに利用しない手はない。(略)…バス・ブーンとの間でセーム・シュルトを欠場させるために、多額の金を払い、ケガということで欠場させたのだった。しかしPRIDE23の翌日に行われたファンクラブイベントのボウリング大会に元気に参加していたセーム・シュルト……「ボウリングをして肩をケガしたのかなあ」なんて冗談が…
================
現在でも、同サイトに加入すればこの記事は見られると思います
当時からのファンなら、この話はみーんな覚えているでしょう。
「シュルトの天敵はボウリング」というネタは、その後シュルトが前人未到の3連覇を成し遂げた時も言われたぐらいで、当時から「なーんかうそくせーなー」と思われてたもんでしたよ。当時がっちりK-1の手綱を握っていた石井館長が1回戦の解説席で「ぼくはシュルトが嫌いなんですよ」と公言していたことも語り草だ。そんなに東孝にいやな思い出があるのか?とかこっちは思ったり(笑)。
にしても「歴史的証言」というにふさわしい…のだが、書いた川崎浩市氏はその歴史性をあまり重視していないので「自分はいつ、だれの証言を聞いた」「・・・・という証拠を見た」などの記述がない。さらに補足や検証が求められる。
にしても「いろいろ問題はあるが、K-1の優勝者が決まるまでのプロセスは徹底したガチ志向だ」といわれていた石井館長体制下での「競技性」もゆらぐ話ではある。