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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ドスカラスJr.と謙吾が、WWEで再会し、熱くハグした話。

こういう話をキャッチできるからNHBニュース( http://blog.livedoor.jp/nhbnews/ )はありがたい。そこ経由で
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/wwe_yoshitatsu/article/148

ホール・オブ・フェイムには(略)…ドスカラスJr.を隣に呼んでいっしょに見ました。
(略)ふと後方の席を見ると、日本でWWEのグッズのライセンスの管理の仕事をしてみえる方が・・・・・・挨拶を済ませ、ドスの元へ帰ると、ドスが
彼は誰?俺がよく知ってる人に似てる。
と言い出しました。

自分が「人違いだと思うよ。」
と言って・・・(略)・・・その人の過去の職業と、名前を言いました。

すると、
「やっぱりケンゴだろ!」とドスが言い、そのままその人に歩み寄って行きました。

ここのケンゴというのは元パンクラスの謙吾選手のことです。
ドス・カラスJr.と謙吾さんは2001年と2002年にDEEPという格闘技の大会で2度対戦…(略)…すごいグッドストーリーがあったのです。
会っていきなりハグから始まったのもうなずけました。

この「グッドストーリー」を私流(カジワラスタイル)でまとめると、こういうふうになる(笑)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080618#p2 
(第1戦の話ね)

2001 年8月18日・・・・横浜!!
ここで開催された「DEEP2001」の入場式のとき、男の姿をみた客はどよめいた!!
(略)
異国の会場は、四方見渡す限りみな、敵!!初のVTデビューにはあまりにも、あまりにも過酷な会場だった!!

ドスJr「ナ、ナニクソッ!!アステカの魂ここにありということを、ハポン(日本)のファンに伝えねば!!メキシコの誇りを賭けて!!」
(後略)

その後、再戦も行われ、謙吾は大苦戦の末にチョークスリーパーでリベンジを果たした。
そして謙吾は上のようにK-1に出たり若翔洋と闘ったりしながら2008年で引退、ドスJrはPRIDE武士道などで闘った。
謙吾がWWEの商品ライセンスに関する仕事をしていること(何かの会見に出てきた)も、ドスJr.がWWEでデビューしたことも知識としては知っていたが、それがつながってこんな光景を生む・・・なんてことは予想外だった。
同じように面識があり、一緒に練習もしていたヨシ・タツが少し外見が変わった謙吾に気づかないまま挨拶とかしてる(※【追記】コメント欄で指摘を受けましたが、ヨシは謙吾が元格闘家で一緒に練習してたことを忘れてたのではなく、謙吾とドスの因縁のことに気づかず「ドスが謙吾さんを知ってるわけ無いよな」という意味で「人違いだろう」と言ったとのことです)のに、2回闘っただけでその後は顔も合わせなかっただろうドスJrのほうは遠方からでも分かったというのも泣かせるではないか。

当時のkamiproが質の悪い煽りをしたり、DEEPでは太陽仮面ソラールが金的蹴りをするなど
また当時の掲示板で替え歌をしたりする人がいるなど(笑)さまざまなノイズもあったが、そのノイズが消えたあとは、拳を交えて闘った二人のハグが残ったのである。
ちかごろ珍しく、心楽しくなるMMAの話題でした。


ちなみにここでも紹介しているが、謙吾氏はラグビーよろしく「OB」として後輩の面倒を見ている。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091026#p2
そのリンク先に出てくる、謙吾がセコンドに付いた宇良健吾はその後の参戦でも勝利しウェルター級王座の決定戦出場が決まっているのだ。しかし「強いほうのケンゴ」ってド失礼だよな、俺(笑)
ドスカラスJrも、おじさんやお父さんの同じように「世界一の都市ニューヨークでの成功」を目指しがんばってください