http://d.hatena.ne.jp/Dersu/20090921#p1
船木さんの出たメインと対照的だったのが、・・・・・・超ハイレベルな平成プロレス。NOAHで言えば丸藤vsKENTAのような、超絶技巧とカウント2.9の果てしない応酬、ウワースゲー、おお返した、ウヒョースゲー、おお返したという酸欠プロレスである・・・・・・身を削った「うまいプロレス」は、2人の共同作業でリング上に試合という美しい「作品」を作りあげる。
(略)
船木のプロレスは全然違っていた。船木には、作品を作るつもりなんか一切ない。そういう意味の「作意」は全然感じなかった。船木は、ただ自分が許せる「船木誠勝」像を完遂することにしか興味がないように見えた。船木の意識の中では、観客さえ舞台の背景に過ぎない。船木が闘っている相手は、船木自身の「美学」に他ならない。船木美学的にカッコ悪いことをやる自分を、船木は許せない。
(略)
・・・よくできたハリウッド映画は、すべてのシーンに意味があり無駄な台詞はひとつもない。安心して観られるし、起こる事件のすべてが説明できる明朗会計だ。それは、カズ・ハヤシ的プロレスの目指すところだ。船木さんの感情はちゃんと提示されない(する気さえない)。ただ黙々と船木のプロレスを遂行する。だから船木さんの感情は、船木さんの行動から観客が推測するしかない。推測だけで説明がつく保証もなく、ハッピーエンドの可能性もあんまり高くない。実はこれ、すぐれたドキュメンタリーを観るときに感じるスリルだ。
船木のプロレスを見たときに感じる異物感とその魅力を、あますところなく指摘していて興味深い。
この指摘も深く、鋭く、そして笑える(笑)
http://d.hatena.ne.jp/Nakamyura/20090920#p1
・・・船木さんはプロレス復帰を果たし、ドサにも参加することを表明した。「それをやらなきゃプロレスラーじゃないでしょ」とまで言い切った。だけどたぶん船木さんには「ドサを見に来る客」は見えていない。見えているのは「ドサで戦う自分」だけだ。まぁそれでこそ船木誠勝なんだけど、でもちょっとだけ「ドサで新しい世界が見えるようになってくれたらいいんだけど」という思いもあったりする。