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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

格闘家は死なず。ただ消えゆくのみ…さよならエヴァン・タナー

昨日の夜、WOWOWUFC IS BACK!」で、今月亡くなったエヴァン・タナーのUFC最後の試合(※ではない。コメント欄参照)…岡見勇信vsタナーが放送された。
亡くなったことを知らせる、追悼テロップも表示されていました。
2Rで、岡見は強烈な膝蹴りをタナーの顔面にヒットさせ完勝したのだが、いや実際に観てみると敗れたとはいえタナー、例えば同じくMMA初期から闘っていたマーク・ケアーやケンシャムのような悲惨な戦いぶりでは全然無い。十分にUFCブランドの名に恥じないいい試合を見せてくれたし、これなら日本の団体でもまだまだ活躍の余地があったろう。


そういう点でもあらためて残念だ。
タナーは元UFC王者であるが、日本では旧ルール自体のパンクラスファイターというイメージも強い。
同団体のサイトから経歴を確認する。

Evan Tanner エヴァン・タナー (アメリカ/U.S.A.スターズ)
エヴァン・タナー
■ 183cm/93kg
■ 1971年2月11日生まれ
アメリカ、テキサス州アマリロ出身。

格闘技歴はグレコローマンスタイルレスリングでハイスクール時代にテキサス州王者に2度輝いた。
ティーブ・ネルソンがテキサスで主宰する総合格闘技団体U.S.W.F.のエースとして活躍し、1997年4月U.S.W.F.ヘビー級トーナメント王者、10月U.S.W.F.世界王者として君臨した。1998年4月エクストリーム・チャレンジヘビー級トーナメント王者となり3冠を所持する強豪として注目される。グラウンドでの抜群のバランス感覚、ポジション取りのうまさ、そして均整の取れた体格はまさにパンクラス向き。パンクラス道場留学経験あり。
パンクラス初参戦は1998年7月7日後楽園ホール大会、ネオブラッド・トーナメント一回戦の美濃輪育久戦。初の外国人優勝者としてまた全試合一本勝ちし一気に株を上げた。その後、1999年1月U.F.C.18、3月U.F.C.19。2000年12月U.F.C.-J.。2001年2月 U.F.C.30、11月U.F.C.34に出場し、今や一流ファイターの仲間入り。


もっと常連だった気がしたが、意外や6試合のみ。1998年のネオブラ優勝後、1999年にリオン・ダイクに破れている。
だが、北岡悟がかつて指摘したように「1999年の船木誠勝vsブラガがあった大会をもって、メジャーとしてのパンクラスは終わった」とするなら、まだメジャーだった時代にタナーは、パンクラスから出世の足がかりを掴んだことになる。


USWFというのは、アメリカの団体なんだが、当時のパンクラスやリングスのような掌底、エスケープルールを採用していた。当時はTKですら「ノールールは一巡したら暴力批判で廃れ、技術を見せられるこっちの形式に回帰すると思いますよ」と言っていた時代ですが、にしても珍しく、本当に初期の、別に総合格闘技が儲かりもしない試行錯誤の時代からのベテランだったのだな、と感慨深い。

いま、「USWFを主宰したスティーブ・ネルソンってだれだ?なんか聞き覚えあるなあ」と思って検索したら、なんと桜庭のUインターデビューの相手なんよ。そうかUWFに参加した、腕におぼえありのプロレスラーが総合の土台作りに関わった…という構図はアメリカでも一部あったのだな。
今、彼は何をしていて、タナーの死をどう聞いたのだろうか。

タナーと肩固め

私は純MMAになった後からパンクラスを本格的に見られる環境になったので、実際に試合は見ていないが、週プロなどからタナーに関しては肩固めという印象が強い。というか、記録を見たらタナーって計4つの肩固めの一本勝ちがある。これは日本の肩固めマスター、菊田早苗と同じ数で、そうするとたぶんMMAの中では2人が世界最多記録なんじゃないか?と思う。
これをショルダーホールドとか訳すのはシロウトで(笑)、アームトライアングルと呼ばれていた(はず)。なるほど理にかなった名将だ。
個人的に言っちゃうと、この技は私の大好きな技で(なにしろ自分が安全なのがいい)、自分でも(柔道の)練習で何度と無く試してみたのだが一度も成功したこと無いんだよねえ。柔道だとそのまま抑え込みになっちゃうし、俺は休む技かと(笑)。だから、あの難しい肩固めを極める男、という畏敬の念をタナーには持っていた。懐かしい記憶だ。


その最後は、おそらく彼にとって…

ありがたいことに
http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-257.html
に、英語の追悼記事の抜粋が多々あり、彼のパーソナリティが我々も追って知ることが出来た。
第一報ではそう取るのも状況的に無理はない部分があったが、いわれた自殺ではなく、きまぐれな冒険家気質で出かけた砂漠でガソリン切れというトラブルがあっての事故死、らしいということのようだ。

ただ、アルコール漬けの日々など、破滅的で自虐的なブログが注目されたこともあり、複雑な人生を歩んだこともたしかなようだ。


他人の人生を勝手に価値判断するわけにも行かないが、こういう人生の最後も、覚悟の片隅にあった人なのではないか、という気もする。「生きるだけ生きたら、野垂れ死にいたします」と漂泊の旅に出かけた、かつての詩人たちのように。
漂泊といえば、寅さんで知られる渥美清氏は「風天」の名で俳句を作っていたという。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080828/bks0808281038002-n1.htm

 《ゆうべの台風どこに居たちょうちょ》


 《赤とんぼじっとしたまま明日どうする》

結局、唯一の来日先だったパンクラスに要望。

私の追悼もこのように遅れたので言う資格は無いし、「ただ、来日して6試合してもらった一選手に過ぎませんから。ゴッチさんとかは顧問という特別な存在でしたので。」といわれたらこれも一言もないのだが、まだ20数人ぐらいしかいない、ネオブラッドの王者でもある。
べつにお金が掛かるわけでもないのだし、カール・ゴッチ逝去の時のようにホームページでその死を知らないファンにも伝え、ご冥福をお祈りしますと一言添えるなんてことは不可能だろうか。
また、これも参戦しなくなってから更新する義理は無いのだろうが、せめて、上に引用したサイト内データベースのプロフィルに「2008年逝去」と加えていただけまいか。


そして何より、10月1日後楽園大会でのテンカウントゴング・・・・可能なら、お願いしますと、だれか関係者をご存知なら、ブログの片隅で一ファンが言っていたと伝えてください。