「死刑制度反対」だとか「1ミニッツもったぞ」だとかさんざんネタにしていたわけだが、これはこれで勝ったり判定だったりしたら「いやー、お見それしました、すいません」って感じで次のネタにつながるわい、と思ってたのですが(佐藤光留や川村亮、所英男なんかの番狂わせでそのネタ使ったよね)、今回は直前すぎの来日とか体重オーバーだとか不純物多し。しかし、何はともあれ判定ということでそういう感じでまとめよう、と思っていたらば・・・
http://gbring.com/sokuho/result/result2007_02/0228_pancrase.htm
・・・判定負けが伝えられると、伊藤は本部席にいた尾崎社長にリング上から「もういっぱいです」と話しかけた。試合後、伊藤は「これで最後になるかもしれないし、続けるかもしれない。今は分からない」と引退を匂わし、尾崎社長は「明日は休ませて、明後日以降に話をします。ただ伊藤も35歳ですからね」と引退もありえることを示唆した。
伊藤に関しては、見事に門馬秀貴に三角締め食らって一本負けした際、それでもマイクを持ったため、船木誠勝と同じことすんのかなーーーと思って会場から声をかけたことがあった。
「引退すんなよ」
「するかボケェ!!」
そういうふうに一度直接お答えをいただいたこともあり(笑)、何度負けても、何度しょっぱい試合でも、次には根拠の無い自信とともに再登場してくるだろう、と思っていた。
しかし、そんなうちに35歳。
そんなうちに「もういっぱいです」。
ここで、この前と同じ言葉をかけようとは思わない。
時の流れは、何人に対しても平等だ、などとだれが言ったのか。
若き「エース」は若者の特権でもある傲慢と自信過剰と、冒険心をみなぎらせ「PRIDEに出たい」とこの日アピールした。
1994年07月23日、同じ場所で、伊藤崇文は、北岡が手の届かなかったネオブラッドトーナメントの頂点に立った。
聖地後楽園ホールだけが、人々の移ろいを見続けながら、なお、そこにある。
そのリングから見る風景が、伊藤の目には変わっていたのだろうか。