日本の「戦後企業第一世代」は、今は例外的な長寿の方が残るのみなのですが、その中でも伝説の人でした。亡くなったときに触れることが出来なかったのであらためて。
これは以前、コメント欄で教えてくれた資料です。アメリカ負けた!でもいいんですが、文化文明の融合とむしろ捉えたい。
http://www.cre-8.jp/column/01_04.html
ところで、この前、2005年に永谷園の会長も亡くなったが、この人も伝説的人物だったそうだ。
もうすぐネットからもデータが消えそうなので残しておく。
「お茶づけ海苔」の父、永谷嘉男さん死去
食品メーカー永谷園創業者で名誉会長、永谷嘉男(ながたに・よしお)さんが昨年12月28日午前11時40分、心不全のため東京都港区の病院で死去していたことが11日、分かった。82歳。「天才開発マン」と呼ばれたほどのアイデア力で、お茶漬けやみそ汁など独自の和風新製品を次々生み出し、国民的食品にまでヒットさせた、戦後を代表するカリスマ経営者だった。東京に生まれた永谷さんは東京市立京橋商業高(現都立芝商業高)卒。太平洋戦争から復員後、戦災で焼失した家業の製茶業を立て直すため「江戸風味 お茶づけ海苔」を開発し、52年に発売。居酒屋で頼んだお茶漬けからヒントを得て、あられを入れるなどの工夫を凝らした。53年「永谷園本舗」を設立し、社長になった。その後「味ひとすじ」を座右の銘として、居酒屋でのふとしたひらめきなどから「松茸の味お吸いもの」「おとなのふりかけ」「すし太郎」「あさげ」などユニークな和風即席食品を次々開発。「創造人たれ」が口ぐせだった。
歌手北島三郎、ザ・ドリフターズら大物芸能人を起用したCMも毎回話題になり、79年には長期間社員を自由にさせる「ブラブラ社員」制度を導入し、業界を驚かせた。「お茶づけ海苔」はこれまで累計約120億食売れ、同社は和風加工食品のトップメーカーになった。
葬儀・告別式は近親者で済ませており、「お別れの会」を執り行うが、日取りは未定。喪主は永谷園社長で長男の栄一郎(えいいちろう)氏。
[2006/1/12/08:07 紙面から]
さて、ここからが記憶なのだが、これに前後して朝日(産経?)に載った食べ物がテーマの連載企画記事で、
「永谷園には、会長(社長?)特命の社員がいる。この社員は出社に及ばず、全国各地を渡り歩き、うまいものを探して食べ歩き、「これは!」というものがあったら、会長に直接報告するのだ。それをもとに、永谷園のトップは日々新商品の構想を練っている・・・・」
ホントかどうか知らないが(記事、切り抜いておけばよかった)、実在していれば日本で最もうらやましいサラリーマンだ。
つうか
映画化決定。
出張先で彼とめぐり合って、一緒に旅するというエピソードなんかもあったりして。
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