前日紹介した北田氏のブログから。論座にブックガイドを浅羽通明氏と分担して書いてるわけだが、それと少し重なる部分もある。
http://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/20050407#p2
ここで、宮台真司氏であれば「左派的ネオコン」の徹底を提言するかもしれない。お題目的な理想主義は捨てて、現実主義的に「理」をもって右派的情緒主義に対抗せよ、と。必要なら対抗情緒を掲げてプロレスしたっていい。自称現実主義者の「現実主義」の底の浅さを見せ付けてやれ。「現実主義=情」という現実を全面的に引き受けていくということだ。
逆に、大澤真幸氏であれば、理想主義を突き詰めよ、中途半端な理想主義を捨て、徹底した理想主義を展開することによって「現実主義」の乗り越えを図れ、というだろう。左派的現実主義はどれだけ自覚的(アイロニカル)であれ、現実主義というメタ理想主義のなかに回収されてしまう。それならば、プラグマティズムに絶対に回収されることのない「理想」を世界に対して提示すべきだ…。
このへんも面白いが、さらに印象に残ったのは
・・・大量出版される新書がかつての論壇論文の役割を代行するようになったり・・
最近、自分も新書を買う(買わざるを得なくなる)量が段違いに増え、「置き場所がねえ!」とかイラ付いていたのだが、そういう流れになってしまってはしょうがない。ってことはある時期がたったら捨てないとだめなのかな。