INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

シンポジウム終える

酔って戻って、寝て起きたら朝が早いというか夜中だ(笑)。
発表を考えていただいたパネラーの皆様、煩雑な会場使用許可、事務処理や雑用を引き受けてくださった皆様、貴重な限定品やサービス品を持参してくださった皆様、そして何より暑い中、貴重な時間を割いてお集まりいただいた皆様、ありがとうございました。


2回目ということもあって事務的な作業は、「初回は準備したものの不必要だった」という部分を省略できたが、それでも多種多様で大変でした。
至らぬ点も多く申し訳ありません。


内容で感じたこと。
とにかく現在、PRIDE、K-1を中心に格闘技界全体が回っているのは否定できない。
じゃあ、PRIDE・K-1⇔○○に位置する対立概念はなんなのか、ということだ。
(「警察」とか「国税」とか入れるなよ)

ここに入るのが、アマチュア競技化、人材育成、地道な収益蓄積による継続事業としての修斗パンクラスZST的なものなのか、それともケーフェイ論議を超えた、つくりこんだ予定調和(←本来は誤用)、あるいは驚天動地のサプライズを自由自在に演出するハッスル、DRAGONGATE、WWE的なものなのか。

実はハッスルを中心としたプロレス界の2004ビデオも用意していたのだが、時間の都合でカット。というより、やっぱり最初の話題の中心だった2大メジャーの話が10の時間のうち3を費やしたとして、そこからどうつなげていくかで進行上の迷いがあったな。
客層には、プロレスと格闘技の片方しか興味がない人も厳然といるし。
1993にシュート革命が始まって以降、「プロレスを知らない子供たち」は増えている、やっぱり。
これらが今後の課題。

あとタカハシ&生首、Poet、Dr.マサ各氏の議論から思ったのだけど、結局様式美、暗黙の了解にプロレスが彩られているとしたら、今後はある・ないの議論は一般層にまかせて「いつ、どのように生まれ、どのようにしてだれが現在のかたちにしたのか?」ということを文化人類学的にというか民俗学的にというか、そういう視点から研究していくのが今後のマニアの課題だと。


ここから漫画「太陽のドロップキックと月のスープレックス」論につなげたい。
あすの武士道が「目が離せる」試合内容だったら横目で見つつだらだら書きます(笑)



うちも組織(?)としての体力は出てきたので、今度やるとしたら某氏のルートを通して大物ゲストを呼べるかも。と同時に、「こういう課題で自分もビデオを編集した、論じたい」「これについては一言ある」という人が積極的に名乗りをあげてほしいものだ。
でもまあ時間はよっぽどかかるというか、まったく未定なのであてにしないでまっててね。