【創作系譜論】
ホットエントリに
■内海が理想の上司になる社会の危うさ
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20101119/H
が入り、ブクマがにぎわった
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/toronei/20101119/H
ことで、「内海課長」のはてなキーワード作成者であるところの私もちょっと一席語らせていただきたいのである。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%E2%B3%A4%B2%DD%C4%B9
ああああ、ほかに書く予定いろいろあるのに、これを書くと予定が狂うぞ。いくらでも書いて終わらないぞ。でも書く。
ちなみに、最初の引用リンク先には、それを書くきっかけとなった複数のエントリが紹介されている。
■内海さんはいかにして企画七課をまとめているのか。: 不倒城
http://mubou.seesaa.net/article/169726524.html
■では、後藤隊長はいかにして特車二課第二小隊をまとめているのか。: 不倒城
http://mubou.seesaa.net/article/169838024.html
■後藤隊長はLeader, 内海課長は Manager - okky の日記
http://slashdot.jp/~okky/journal/519501
■後藤隊長がいるかどうかと、後藤隊長が見えるかどうかは別の問題
http://slashdot.jp/~okky/journal/519570
内海課長が魅力的で、だが…いや「ゆえに」危険な点は共通認識として
今回語られているid:toronei さんも、岡田斗司夫と「BSマンガ夜話」の出演者の語りを引用する形で論じておられるが、内海課長と、その人気に「危険さ」があるという議論のされ方は、少なくとも作者を含めての共通認識だったんですね。
昨日の夜エントリを立ち上げたけど1999年、「BSマンガ夜話」の直後に、作者本人がとあるインターネット掲示板に書いた感想(当時はこういうことは非常に珍しかった。それで保存していた。)でもそれについて触れているし、
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101201/p7
その他のインタビューでもちょこちょこ、とこれについて書いていたのですね。私は自分で「危険だ」と認識するのが先だったのか、作者がそう言ってるからそうなんだろうな、と受け止めたのか判然としないくらい。
もう発売されているはすの
は、インタビューと対談も過去のものが多数収録されているらしいから、すでに入手した人は何か該当する部分があったら教えて下さい。
で、まずは前提を抑えておきます。
系譜にあるキャラは多数ある。どこから「危険」か?(その1、ロックスミス)
自分の書いた「はてなキーワード:内海課長」の紹介文は独断した部分が多いけど
日本漫画の悪役史の中でも特異な位置を占める。
という一文は間違っていないと思う。ただ、登場からすでに20年がたつ中で、「この系譜」も確かにあるし、さかのぼることもよく考えたらできる。
自分の日記を「内海課長」で検索すると、こういう一文が出てくる。
……ロックスミスの強烈さは「大義」でもなんでもない「自分の欲望」「エゴイズム」として巨大ロケットの計画を進め、そこに対して微動もしないこと。そしてその自分の欲望、エゴイズムと常識のズレを隠そうともしないことが、少なくとも自分にとっての強烈な印象の源になっている、つうことだ。
類似品を挙げるなら、これも一部はブクマやコメントで既出だが
「へうげもの」の千利休であり、
パトレイバーの内海課長であり、
また唐沢商会や紀田順一郎が描くところの古本マニア、鉄道マニアなど各種コレクターの常軌を逸した情熱である。
これは昨年夏にはてな内でちょっと盛り上がった
「(「プラネテス」の)ロックスミス問題」で書いた小文です。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090817#p5
漫画「プラネテス」に出てくるロックスミスという人物の造型および、それがヒーロー的に描写される?ことは問題かそうではないか、というような議論でした。
で、私はそこでもいろいろ書いているけど、結論部分はこうでした。
・・・ロックスミスの悪魔的な言動も、結局はそういう意味において非政治的な、ロマンチストの妄想であり、だからこそ大きな印象を与えるんだと考える次第である。
そして、「正しい」と「美しい・すごい」はまた別の概念。一致することもあれば一致しないこともある。
ロックスミス的な人物が実際にいたときには排除されるかもしれない・・・というかかなりの確率で排除するだろう。俺も含めて。
だが、SF漫画の登場人物としてはこの上なく「すごい」キャラクターだった。
今回、内海課長に関しては上の引用部を「ロックスミス」と入れ替えるだけでそのまま適用したいと思っている。つまり作者ゆうきまさみと、id:toronei さんが共有する「内海が理想のヒーローのままで終わっていいのか?彼には何か報いがないとマズいのでは?」という視点には、自分は実は反論したいのですね。仮に内海がほほーいと、まんまと逃亡に成功、「また機会があれば遊ぼうよ!」と不敵に笑ってEND・・・・であっても、この漫画の評価は変わらないし、と同時に実社会において内海課長のような人がいたらそれはそれで「困るよコイツ」という話になる(それが健全か、不寛容かはさておいて)だろうし。
あ、たしかTVアニメとその後のOVA版では「内海逃亡成功」という展開だったかもしれない。
その点で、エッセイ漫画でも分かるとおりゆうきまさみは実のところ結構倫理を重んじ、その倫理が漫画に反映される人である。また非常に興味深いことに、今「昨日の風はどんなのだっけ?」内を検索させてもらったら
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20090331/M
■周囲で『ヴィンランド・サガ』の評判がやたら良い
同じ作者の『プラネテス』の後半が、自分としてはかなり残念な出来で、最終巻が出て買って読んだ日に、全部処分してしまったので、この本も何となく手に取っていなかったんですが
これは昨年の「ロックスミス問題」で出てきた、例えば結局ロックスミスが物語中では裁かれなかったことも関係するのだろうか?昔から続く「勧善懲悪」論なんかとも関係して気になる。
(その2)
だからさぁ、誰か止めないと話がどんどん長くなるって(笑)。
もう一回本道に戻して、内海課長の系譜は続いてるよね、という話です。
ざっと俺的に列挙すると
もともと内海課長って、「鳥坂部長が成長し、暴走するとこうなる」という、そういう流れは言うまでもなくありますね。
いま、この二つを並べて検索したらこういう文章がみつかった。
http://d.hatena.ne.jp/ityou/20041216
趣味を第一義に置く人間の完全形として、スーパー鳥坂先輩として、内海課長が世界の中にその居場所を得ていていいのか? 存在していていいのか?
オウムの話で言えば、実際に光画部が既存の秩序と暴力装置に対抗し、立てこもって武装闘争を仕掛けたわけだしね(笑)。
両者は何が違うんだろう?という自分の疑問に、自分がすでに仮説を出していた(笑)
鳥坂センパイおよび光画部はそもそも行動の動機に関して
「おもしろいではないか」
で、すべて終わらせるという特徴がある。これはゆうきまさみの次の作品「パトレイバー」で、不世出の悪役・内海課長の行動原理としても採用され、しかもあまりに暴走しあまりに魅力的過ぎたがゆえに、けっこう倫理的ブレーキも持っているゆうきは「こりゃ、この男が報いられる作品にしちゃいかん。殺さないと」となってああいう結末に・・・とつながっていく。
だが、話がギャグということもあるし、まだまだ日本が、最後の成長を感じさせた80年代の風景にはこれが似つかわしかったのかもしれない。「おもしろいではないか」が行動原理の彼らは、やはりその時輝いていた。
あとは当然、生産や社会生活から猶予を受けている学校ならまぁ許容範囲だってことも当然前提にある。弊衣破帽のバンカラも旧弊の体育会も、実社会では許されないが学校ならまぁ居場所があるようにね。80年代、日本がバブル経済に入る時期で一番元気だった、面白主義が絶頂を迎えていた…という時代性はあるようでもあり、無いようでもあり。今だってあ〜るを理想とする学生はいるはすだし、涼宮ハルヒは「鳥坂さん」の後継者であるという自分の理論からするとやはりそこは重んじないでいいのかな。
この二人に関連性や共通性があるっていうなら証明せいや、と論文審査のレフェリーに言われるなら、一発KOの証拠がある。
「手段のためには目的を選ばない。」
という、ひねった逆説のフレーズをこの両者とも自称、あるいは他称されているということです。このかっこいい表現、実は私はもう少しさかのぼれる記憶があるのだが、今人口に膾炙しているとしたらこのどっちか、であると思います。
ヘルシングの作者、平野耕太の「漫画的博覧強記」ぶりはtwitterや「以下略」
あるいは「あとがき」でご存知の通りで、彼が
パトレイバーや
内海課長を知らなかった、という可能性はまるで考慮する必要は無い(笑)。どこかでひょっとしたら書いてるかもしれないね?情報求めたい。
【追記】証拠を押さえた。コメント欄より
通りすがり 2014/04/09 22:12
すっごい今更ですがやっぱりヒラコーは内海課長好きみたいですね
https://twitter.com/hiranokohta/status/171777246430887937
平野耕太 @hiranokohta
#好きな悪役 ガーゴイル・ムスカ・カリオストロ公・デスラー・ジョーカー・内海課長・帆場暎一・ゲッコー・竹内銀次郎などの、自身が凄まじい特殊な能力や力がある訳ではなく、カリスマ性と頭脳で戦ってる人たち
で、「少佐」が悪魔的魅力を漂わせる名キャラクターであるのは衆目が一致すると思うけど、いくら部下に忠誠を誓われ、嫌な上司をやっつけて組織を把握するリーダーであっても「少佐にみんながあこがれるようになったらヤバい」とは言わないかと思う(笑)。
ゆうきまさみ氏本人を含めた「内海がヒーローになりすぎるのはまずい」という懸念は杞憂じゃないか、ってのはそういう他の例を含めてのものです。
「サマーウォーズ」で「侘助が一番かっこいい。彼が旧秩序に降伏するのが残念」という議論がある
実は1999年の「BSマンガ夜話『パトレイバー』」には、もうひとつ評判というか議論を呼んだせりふがあります。
いしかわじゅん氏が「オレ(「の世代」だったか?)には、おまわりさんがヒーローってのには違和感があるんだよね」と言いましてね。夏目房之介さんは分かるけど、あとは「うーん、そういうスタンスがあることは分かるけど、やっぱり一昔前の感覚だよね」みたいな受け止め方だったような(うろ覚えなので、雰囲気などは主観です)。まあ少なくとも、テレビの前の私はそう感じました。そもそもそれ、漫画の前提だしね。
※2023年追加。これの元資料を画像で追加します。
ところがちょうどこの前、CSでも地上波でも放送された「サマーウォーズ」で、町山智浩氏がこう作品を論評しています。
http://d.hatena.ne.jp/benitomoro33/20090906/p1
ただ、すごく傲慢な話なんだよね。普通の家族が世界を救うみたいな感じに言われてるけど、おばあちゃんは政界のフィクサーみたいなもんで、他にも警察官やら自衛官とかいて、物凄い体制側に位置しているじゃない。しかも、悪役として出てくる人はその中にいられないめかけの子っていう設定で、そこが保守的だなと。それがひっくり返ると思ったら返んないで、むしろ体制側に取り込まれるというか、体制側に妥協して降参する事で話が終わるというのが嫌だなと。「じゃあ、私たちは体制に全て妥協しなきゃいけなくて、それが大人になるってことなんですか!?」って思いました。だって、侘助が一番かっこいいじゃないですか。その彼が間違っているという風にしか描かれない。
そこでふと思うに、内海課長をゆうき氏は「こりゃいかん、ヒーローにしちゃまずいからかっこ良くない最後を」とああいうラストシーンを用意したんですが、内海は実は理念的な面で白旗を挙げず、ある意味では”名誉の戦死”とか「暗殺によって神となった」存在でもあるんですよね。
ゆうき氏は「内海は自分の(悪い面の)分身」と書いていた。その愛情が、理念の部分でも殺すことを無意識に避けさせたのかもしれない。
サマーウォーズの町山評と合わせて考えたい。
警察vs犯罪者、でもあり「反社会オタク」vs「社会の中のオタク」でもあった?
内海のカウンターパートは「後藤隊長」であったんだけど、もうひとつ「泉野明」vs「バドリナート」という対決もあった。
そこに焦点をあてて、こう以前書きました。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080804#p3
・・・彼女が自分の愛機に対して兄弟の様な愛情を持っていることは変わらない。しかしそれが当初の自分一人のための愛情でなく、共に正義と責任を遂行するためのものに変わったのである。
1巻でほんの少しの傷で「キズがついちゃったじゃないかあ!」という台詞がでたのに対し、6巻でのグリフォンとの死闘では、完全にボロボロになっても「もう少しだ、頼むよ」と彼女は機体に話しかけるのだ。愛機への愛情表現という点では同じかもしれないが、そのベクトルはかなり異なっているではないか。こういう微妙で、しかも自然な変化を作者は極めて上手に表現している。その技術と感性には脱帽するしかない。
一方、敵のグリフォンを操縦する少年、バドは野明より遥かにすぐれた素質をもっていながら、あくまでも自分の機体をおもちゃと見なし、内海と同じくゲーム感覚を捨て切れない。
善悪の判断力を持たない彼は言われるまま遊び気分で犯罪を繰り返し彼女と対決する。「義務」を背負った側と「無邪気」に行動する側。このコントラストがクライマックスで光る。
例えば町山さんは「内海」と「後藤」、「野明」と「バド」ならどっちのほうに”カッコいい”と軍配を上げるのかな?考えてみると面白いが、氏の漫画の好み的にはこの作品を論じることはたぶん無いような気がする。
ただゆうき氏もすでに紹介したリンクにあるように「この作品ではああいうふうに(内海は悪と)描いたけど、それで「小林よしのり的公」があまりに大きくなったらバランスを取る」と書いていて、一種の相対的なものだとは書いているね。
そこでid:toroneiさんも書いているように、今現在の「鉄腕バーディ」が、悪の側だったクリステル・レビの反政府テロに意外なまでの大義があり、バーディの側の政府に不正と腐敗があった・・・という展開になっていることにもつながる、のかどうか?たしか先週、その結論としてレビは「そういう政府と戦うためには、私はすべて(子供とか民間人とか)を道具として使う!」と宣言したのだが。
バーディって正直いって、今年ついにギヤが最高速度のところに入ったと思う。もっと早くこの盛り上がりに行けば、ヤングサンデーつぶれなかったんじゃないか(笑)?
あ、あとひとつ。ラストの「シャフト壊滅せず」について
id:toroneiさんは「内海は死んで報いを受けたけど、黒崎もシャフトの幹部も生き残ったラストに不満」と書いてらしたけど、僕は逆に、そこに倫理観とは別に「リアルだなぁ、こういうもやもや感が残るところが一筋縄ではいかないなぁ」と感心してました。まあ、「リアルな警察捜査を考えると、ホントはシャフト・企画七課の犯罪はあまり成立しない(すぐバレる)という指摘は以前からあり、「内海はコドモ」という造型はそういう危うい綱渡りを敢えてやっていることを説明する必要もあったんじゃないかと思っています。(あ、幹部の生き残りは仕方ない、とは既に書かれてますね)
良心を失った技術者〜「パトレイバー」から「鉄腕バーディ」へ
最初のリンクの
、自分たちの技術を試せるとか、面白そうだというだけの理由で、そういう連中の悪事に荷担している
もしくは同じ方のtwitter
http://twitter.com/#!/toronei/status/9938633855340544
@toronei おりた
読む度に思うのは、内海や黒崎よりも、技術者連中とかカップル始末する警備員とかの方が、確かに不気味に見えてくるんだよね。いまのバーディーではもっと露骨にその手の連中を描いてるように読んでる>id:Cunliffeさん / はてなブックマー
というのは、アニメのロボットデザイナーがそのまま技術者の顔になっているという趣向で印象深いシャフトの技術者たちの話なんでしょうけど(実際、ストーリー中の日常的な立ち居振る舞いはとても善人的なのだが、実務上彼らがいたから企画七課の「一心不乱の大犯罪」は成立した)。それが、言われるように「鉄腕バーディ」では発展して…
歴史に類型は数多く見出せるものの、この前後の科学者の独白と、表情の描写にはぞっとするものがある。バーディは「そのふるまいは偽悪?それとも本心?」と思わず聞き返すのだがーーー。
リアルな社会で「内海課長と企画七課」に一番近い存在は
ひところのライブドアだ村上ファンドだでもいいんだが、いま町でうわさの「ウィキリークス」って案外そういうもんかもしれないぜ。主催者は「民主主義のための情報公開」という大義を語っているし、実際にものすごいリスクをいま背負っているわけだから、内海認定は申し訳ないけどね。でも「いたずらゴコロ」ははたから見ると絶対あるように感じるし。
【追記】コメント欄より
kazuhige 2010/12/02 12:28 ボクは政治ジャーナリズムにおける上杉隆が“愉快犯”的イメージとして内海課長っぽいなぁと感じてます。
gryphon 2010/12/02 19:33 ああしまった!それは構想段階で入れるつもりだったのに、何しろこの長文なので(笑)書いているうちに入れ忘れてしまった!! 以前、”愉快犯”との見立てについては触れてましたね(元は切込隊長BLOG)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100701#p4
「…それらの報道に不思議なユーモア感を漂わせて…以前有名ブロガー「切込隊長」がそれを評して”愉快犯的”と表現したが、言い得て妙の指摘だ。TVタックルレギュラーの「笑い」とはまた別物…」
hirota 2010/12/02 22:46 今だと、googleが近い気がします。