INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

本日慧舟會が連続興行。会場と、興行と忘年会の関係(私事含む)

ヴァルキリーとケージフォース。
http://valkyrie.livedoor.biz/
http://www.g-c-m.net/
”金網の聖地”ことディファ有明で行われる。


なんでケージフォースなどはディファ有明かというと、金網を会場に入れるのにはリングと比べるとけっこう大変で、比較的それをやりやすいのがこの会場だから(それを想定して金網を作った?)という話をGCMの久保社長が以前言っていたな。


会場コストというのは、たぶん興行主にしてみれば悩みの種なんだろう。
どれぐらいの人が入って、会場費の支払いとあわせるとどこでやるのが適当か、究極のギャンブルに近い。
http://d.hatena.ne.jp/memo8/20081101/p1
に面白い話があって、その会場にしたから、来るというお客さんもいるという。ディファと後楽園なら足の差も大きいが、例に出ているのは新宿faceと後楽園という、両方都心でともに交通にはあまり心配ないところだからな。

・・・明らかにフェイスに変えたら、一般客は減ったのだ。

つまり、興行の内容をハコのサイズ(やら名前)で判断する層は、それなりの割合でいる。これが自分の結論だ。自分個人のように、後楽園より、フェイスや下北の方が熱気もあるし、面白いじゃん! と思う層は、ごくごく限られたマニアにしかいないということ。
(略)
・・・DREAMや戦極を見ていると、もうひとサイズ落として、熱気上げればいいのになあとは、自分もよく思う。思うんだが、やはり、サイズに拘るのも正しいと言わざるを得ない。つまり、あるサイズを設定したら、そこを埋めるべく、営業するのが興行としてのあるべき姿で。勿論、その営業経費で赤字がカサむなら、そこを投資とみなすべきだ・・・


小さい会場で超満員!というのの弊害にはもひhとつあって、たしかZSTは昨年、チケット完売や超満員が何度も続いたし、ケージフォースも完売が何度かあったと思う。
自分は今年に入り、その日行けるか行けないかがギリギリまでわからないことが続いたので、さて行けそうだと思ったときには券が無いこと、あってもリングサイドなど高額席しか残ってないことがあった。
そうすると、実際のところ「ああ、また売り切れてるんだろうな」というイメージが出来て、試合はともかく「実際に行ってみる」というのに必要な一連のアクション(ネットで席状況を検索したり、(最近ここで失敗することが多いんだが)その日の休暇を前月に押さええといたりコンビニで申し込んで購入するなど)を行うのを諦めることが多くなった。
今回のZST記念興行もメインが特に面白そうで興味は有るのだが。

以前、超満員札止めを含む「大人気で売り切れ」というのは「本来得られたであろう利益を何割か失った」という意味で失敗なんだと書いたが、そういうアレもある。
ただ、DEEPも昔は有明コロシアム大田区体育館など大会場主義だったが、今は後楽園をメインにそこをいい感じで埋めるようになってきた。ああいうのもいいんだろうね。

他に会場は無いか?

DDT高木三四郎だったかな、「DDTはいままでプロレス会場として使われなかった箱を発見するのが得意だった。われわれが使い始めて、その後他の団体も使い始めるようになった会場もたくさんある」といってた。
会場を貸すあちら側も商売で、使われなきゃ空気がそこにあるだけで儲からないのだから、ひょっとしたらまだ都心には会場になりえる場所ってあるのだろうか。
そのときにリング(金網)設置というのはやはりネックだという。
あのリングと金網、もう一段の技術革新や革命が起きて、軽くて丈夫で簡単に組み立てられるような新式ができればいいのにな。

関係ない話だけど、アウトドア、キャンプの「テント」って、自分の子どもの頃とくらべるといつのまにやらものすごい技術革新がされていて、居住性は良くなるわ簡単に設置できるわ値段は安いわ。あれは人知れぬ天才がいたと思う。

トークイベントとかも

http://www.fight-hihokan.com/
が間もなく始まるからふと思うのだが、当然トークイベントといえば聖地はこの「ロフトプラスワン」系列となる。
ここはいろんなシーンの「有名人」がたくさん来るのだが、仮に主催者側になった気持ちで見ると、どんな企画でどれだけの客を集めるとイベントが成立し、赤字にならないで済む(もしくは我慢できる程度の赤字で抑える)のか。
詳しい人に以前、おおまかな内容を聞いたことがあるが、なるほどそんな感じかと。

ここを、トークイベントの格的に日本武道館両国国技館とする。
私は偶然に偶然が重なって、何回かのそういうイベントに某大学を会場とすることができたのだが、そうそう簡単にやれるもんでもない。

逆に、
話を聞くためにスペースとイスとマイク、できれば映像機材をということになると、ディファや新宿フェイスのようなところはどこか?「喫茶ルノアール」には「談話室スペース」もあるそうだし、前にも何度書いたが「カラオケパセラ」は映像機材と音響は当然完璧(笑)。
体裁というか、それこそ「会場の名前」で引かせるイメージ問題を考慮しなければ、いい場所だ。だからいつも二次会徹底討論朝までトークの場所になっている。

あと、これはプロレスファンがやっていた「ビデオの祭典」にお邪魔した時の話だが、後楽園や東京ドームを見下ろす文京区のシビックセンターをそのときは借りることが出来て、ここも映像機材は大きいスクリーンも含めそろっていた。
ただ、それは開催メンバーの一人が文京区民だったから可能だったと(笑)。
でもいい場所でしたよ。

で、私事になる。12月の格闘技ファン忘年会

今年で4回目ぐらいになるのかな?
もう11月も上旬を終えるから「希望」を書いておくけど、やりたいとは思っています。
場所自体は交通機関を考えると同じ新宿でかまわんでしょ(変えてもいいかなという気持ちは有るけど)
お店をどうするかな。夏の催しの時は二次会との場所の関係で、その”乗り継ぎ”には完璧だったが(というか同じビル)、料理はまあ悪くも無いけど平均点だった。

あのへんのお店の知識があまりないので、特に食に詳しい方はご教示下さいと。
あと何回かやっているうちにすっかり催しの基本、形が出来てしまったけど、何か新しい趣向、せっかくファンが集まっている中でやってみたいことがある人もご提案ください。
12月に実際、開催できるかも含めて、
これらについてはまたおって(・∀・)/


本日はいつにも増して、格闘技の中でもさらに一般性のない話で、もーしわけない

筑紫哲也氏逝去

思想的な論評・批判はさんざんやりつくしたので、新たに語るとしたらもう少しあとでいいだろう。
今はただ、ご冥福をお祈りする。


おそらく最高級のケアだったろうし、かなりがん治療には成功していたように傍目からは見えたのだが、結局検査で発見し告白して降板したのが2007年5月。余命1年半だった。肉体年齢的には若そうだったから、その分進行が早かったのかもしれない。
がんをかかえて活動する人は著名人無名人多々いるだろうが、ご自愛し、仕事も家族の時間もさらなる充実を。いまは一件健康に見える人間もそうだろうが。

オバマ勝利翌日の新聞1面コラム、例によって読売新聞「編集手帳」が圧勝1位

勝利翌日は図書館で、普段読まない紙面も含め読み込んでみた。もちろん外報記事もそうだが、なにより題材はほぼ同じくオバマであろう、”新聞の顔”1面コラムを読み比べて見たかったのだ。
そして、何事もなくヒョードル級に実力が抜きん出ている読売「編集手帳」氏が最高だった。
実はこの夏から秋にかけて、個人的には「筆者が代わった?」と思うくらいあまり面白くないものが続いていたのだ。
だが今回。とくに冒頭。
さまざまな黒人差別の実例があるなかで、これをポンと提示できる教養の厚み(というより雑多な知的好奇心)とはいかなるものか。
掟破りの全文転載だが、どう要約引用しろってんだこれを(逆切れ)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20081105-OYT1T00775.htm

11月6日付 編集手帳

 ライルという名前のひどく凶悪な殺人犯が刑務所にいる。出所する可能性を問われて、ある男が答えた。あり得ない話さ。「ライルが出てくるよりも、黒人がホワイトハウスの主(あるじ)になるほうが先だろうよ」◆米国の人気推理作家ジェフリー・ディーバー「12番目のカード」(文芸春秋)の一節である。小説が世に出た3年前にはまだ、黒人の大統領は「起こり得ぬこと」の代名詞であったろう◆バラク・オバマ上院議員(47)が米大統領選を大差で制した。すべての人の平等をうたった1776年の独立宣言、1863年の奴隷解放宣言などとともに、黒人大統領の誕生は歴史に刻まれる偉大な1行に違いない。米国の国内はいま、「起こり得ぬこと」を起こし得た興奮に包まれている◆「変革」を旗印に掲げるオバマ氏が大統領として政策の何を変え、何を変えずに守るのかは、いまだ明らかでない。米国の一挙一動が密接に国益と絡み合う日本が手放しで祝賀熱に浮かれていられないのも事実である◆そのことは胸に留めつつ、きょうは、いまは、肌の色という壁をひとつ乗り越えた米国の人々に心から拍手を送る。
(2008年11月6日01時43分 読売新聞)

その他のコラムは順位をつけるまでも無い。「その他大勢」でよろし。
まあコラムの良し悪しはたぶんに客観性より好みだから、違う評価があっても驚きはしない。
本当にそういう評価かな?と思う人は、ちょっと手間をかけてほぼネットに掲載されている、11月6日のコラムを読み比べてください。

おまけ

11月4日付は「藤子不二雄Aさんに叙勲」が話題
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20081103-OYT1T00757.htm

藤子氏の受章についてはここを見よ。
http://d.hatena.ne.jp/koikesan/20081103


で「編集手帳」子の最期の段落

藤子不二雄を名乗る以前、「足塚不二雄」というペンネームを付けていた時期がある。「手塚先生の“手”に遠く及ばぬ“足”である」と。神のごとく仰ぎ見た手塚さんの生誕80年にあたるきのう、受章が報じられた◆赤塚不二夫さん(享年72)が亡くなって間がない。悲しみにつけ、喜びにつけ、トキワ荘から流れた歳月のしのばれる秋である。

有名なエピソードから手塚氏の誕生日(それも80年の節目)であるという情報を加えて連動させ、そして最期に季節感まで加えて締めくくる。
高阪剛ヒョードルの強さは打撃と組み、投げと寝技などを結ぶ「際(きわ)」の強さだと言っていたが、短文コラムもしかり、