ベルナール・ピカの『全世界の人々の宗教儀式および慣習』第四巻(1729年)に、Tiedebaik(ティエードベキ?)という日本の神像が紹介されてるんだが、これ一体何が元になってるのかさっぱりわからん。
— カスガ (@kasuga391) April 16, 2020
絵面だとどう見ても日本に見えないが、日本の寺院を(著者が想像で)描いた場面なんだよ。 pic.twitter.com/7TKj3mevGq
「神様を踏む」で思いついたのがこれしかありませんでした(;^ω^) https://t.co/DvPlK8EpRX pic.twitter.com/nPeifkFwMu
— Proserpina Cuore d'oro (@EMERALDJEE_re) April 16, 2020
これはヒンドゥー教ヴィシュヌ神のアヴァターラ(化身)、ヴァラーハではないでしょうか?
— トラビス (@fixbox2) April 16, 2020
インドの神様ですが、姿や持ち物など似ている感じがします。
龍の首となっているのは法螺貝を間違えたのでしょうか。 pic.twitter.com/cbKBjnqpjG
まとめはこちら
togetter.com
日本を誤解するにしても、盛大すぎるだろ
あとさ
— 山中 樵 (@kikori2660) 2020年4月17日
夕方に、やっと入荷されてて
— @もあ (@mochi_moooa) April 16, 2020
購入できましたー❗️
鬼滅の刃✖️ぷっちょ
シールは、末っ子の好きな
猪之助。#セブンイレブン先行販売#近場にセブンが1軒しかなく争奪戦#お一人様一つまで pic.twitter.com/WYGI9WghUe
これ違うだろ。
……ではあるが、ここでひとつの論点
こうやってみると「悪を敢えて踏みつける正義の神像」というものが、どうも世界各国にあるんじゃないか?という話です。そしてそれは、いわゆる並行進化、違う場所で同時に同じ発想が多発したのか、何かの様式、文化が伝播したのか。
どっちもありそうなんだよね。
正義を象徴するものとして悪をやっつける、懲らしめる。その象徴が、「踏みつける」。
にんげんの普遍的な真理だろう。世界中で、足で相手を踏んづけるのが最高の敬意を示すものだ、というような文化はないよ。あるとしたら、新宿あたりのごく一部のお店で、だろう(爆笑)
「ロビンソン・クルーソー」のなかで、主人公ロビンソンの忠実な従者になる野蛮人フライデーは、他部族に殺されそうになった彼をロビンソンが助けた時、自分からロビンソンの足を自分の頭に載せる。
言葉も通じないうちに、「これは自分に服従するという意味か」とロビンソンは理解する、という場面がありました。
and he came nearer and nearer, kneeling down every ten or twelve steps, in token of acknowledgment for saving his life.
彼は少しずつ近づいてきて、10~12歩進むごとにひざまずき、命を助けてもらった感謝のしるしを示した。
【in token of:~のしるしとして、~の証拠に】I smiled at him and looked pleasantly, and beckoned to him to come still nearer; at length he came close to me;
私は彼ににこやかな顔で微笑みかけ、もっと近くに来るようにと手招きすると;やっと彼は私のすぐそばまでやって来た;and then he kneeled down again, kissed the ground, and laid his head upon the ground, and taking me by the foot, set my foot upon his head;
それから彼は再びひざまずき、大地にキスをすると、その頭を地面に押し当て、私の片足を(両手で)押し頂くようにして、私の足を彼の頭の上に載せたのだ;this it seems was in token of swearing to be my slave for ever.
これは「永遠に私の奴隷になる」という誓いのしるしのようであった。
haruuo.blogspot.com
とはいえ!!
だからといって、「正義の神像を作る時、その踏み台みたいな部分に悪の象徴を擬人化して置いておく。」という発想は、余りに具体的過ぎて、「どこかの天才か、あるいは民族文化が発明した文化が、こりゃ面白いと他のところに伝播していった」と考えるのも、これまたあり得そうじゃないですか。
そもそも論だけど、どのへんにその文化が広まっているのか。
というかヒンズー教(その前身のバラモン教)→仏教は、当たり前のように影響はあって当然(というかほぼ十二神将とか四天王とか、混合のたまものでしょ)なんだけど、他にあったかな……「実は西洋にもこういう像はある。見かけた記憶がある」という曖昧きわまりない発想で、今書いたんだけど、具体的に挙げようとすると思い浮かばない(笑)
なんとも尻切れトンボになってしまったが、「悪を踏みつける正義像」というある種、かっこよくもエグい文化とその実例を、ちょっと調査したい次第です。
たしか、インカかアステカかマヤの秘宝を展示する博物館(どれだかぐらい覚えろよ)で、王を称える壁画が敵を踏みつける絵だったかな。
皆さんはご存知ですか?
blog.goo.ne.jp
教えてもろた ミカエルやマリアがドラゴンや悪魔を踏む
コメント欄より
ax
google画像検索レベルだと、ミカエルが悪魔・ドラゴンを踏んで、マリアが蛇を踏むモチーフがあるっぽい
occultamerica2.blog.ss-blog.jp
mementmori-art.com
labarum.ocnk.net
www.ryuss2.pvsa.mmrs.jp
…前回までに《龍の起源》と《ヨーロッパにおける竜(ドラゴン)の系譜》について私なりに整理して示した。今回はこの系譜の中で重要な位置を占める《天使ミカエルとドラゴン》に着目してみたい。
聖書の最後の文書『ヨハネの黙示録』の中で、天使ミカエルがドラゴンを退治するシーンは《写本》の挿絵、聖画像(イコン)、宗教画や彫刻に取り上げられ、多くの例を見ることがでる。
聖書で有名な物語として、大天使ミカエルが反逆したサタン(ルシファー)と戦い、地の底へ突き落した話があります。天使であったサタンは傲慢の心が芽生え、他の天使たちと共に神に謀反しました。神は大天使ミカエルを呼び、サタンに対抗させました。一説にはサタンとミカエルは双子の兄弟であったとされています。二人は激しく戦い、ミカエルが勝利をおさめます。敗北したサタンは堕天使となり、地の底へ封印されてしまいました。
このエピソードを元に画家たちは想像の翼を広げて絵を描きます。聖なるミカエルと邪悪なサタン。宗教的な影響もあり、殆どの画家はミカエルに肩入れし、サタンをこてんぱんにやっつけている絵画を描きます。それでは圧倒的戦闘力を誇るミカエルと、悲惨すぎて可哀想なサタンを見ていきましょう。
(略)
キリスト教圏の絵画なので仕方がないといえばそうですが、サタンの扱いが雑魚すぎて可哀想に思えてきます。象徴的に見れば善の勝利を意味しているので、圧勝の方がいいのでしょうけれど、余裕で微笑んでいるミカエルの方が腹黒く見えるのは、私の心が荒んでいるからなのでしょう。きっとそうです、多分。
ふうむふむ