今夜の報道ステーションの切り取りは酷い。
— 世耕弘成 Hiroshige SEKO (@SekoHiroshige) December 10, 2019
私は定例記者会見が終わった後、今日の会見が今年最後になるかもしれないという意味で「良いお年を」と言っただけなのに、それを桜を見る会をと絡めて、問題を年越しさせようとしているかのように編集している。
印象操作とはこのことだ。
あまりに酷いし、正確な理解を国民から頂くという公益性があるので、自宅のテレビから撮った当該シーンをアップします。 pic.twitter.com/sKoCO6AeU9
— 世耕弘成 Hiroshige SEKO (@SekoHiroshige) December 10, 2019
抗議の内容は、触れない。そこは、あえて踏み込まない。
自分が焦点としたいのは、発言場面を切り取りされた、と抗議する自民党の世耕広茂議員が、その抗議の正当性を世の中に訴える…氏の言葉を引用するなら「正確な理解を国民から頂くという公益がある」ことを理由にして、ニュース番組映像を自分のtwitter…SNSにアップロードした、というその一点についてである。
いままでずっと、自分はその問題を追ってきた。すなわち批評としてなら、あるいはこういう形で抗議として、なら、テレビ番組を「引用」できるのか?と。
その問題を考える材料として、まずは記録しておきたい。