まず、読んでみてほしい!!!
転がり試合 柔道と拳闘の 富田常雄
http://www.aozora.gr.jp/cards/001958/files/58935_63608.html
- 目次
いどむ仁王におう!
「日本人の柔道じゅうどうなんて、あれは小人の蹴合けあいみたいなものさ。ほんとに人がぽんぽん投げられるものか。まして、われわれアメリカ人のこの堂々たる重いからだが、ちッぽけな腕うでで投げられるはずがないよ。」
「ところが、モンクス。あの柔道の教師トミタの道場には、アメリカ人の弟子でしも相当あるぜ。」
「ふん、そりゃものずきだな。一つおれの鉄腕てつわんでのばしてやろうか。いったい日本人の柔道じゅうどうなんぞを、このサンフランシスコにのさばらしとくのがけしからん。」
「そんならモンクス。おまえひとつ試合を申しこんでみろ。」
「向こうが逃にげるよ。」
「よし、そんなら、おれが申しこんでみてやろう。」
アメリカサンフランシスコの場末の食堂で、しきりにこんな話をしているのはサンフランシスコでもきらわれ者の拳闘家けんとうかトビイ・モンクスと、その後見人のジョンソンであった。
トビイ・モンクスは、まるで仁王におうのような大男だ。
しかし!!
けんとうと柔道じゅうどうでは、そのやり方がまるで違ちがう。拳闘はなぐるいっぽうである。柔道は投げる、おさえこむ、絞しめる、逆ぎゃくをとるという技わざだ。どうして試合をしたらいいか。第一、どうあっても負けられない。日本の恥はじになる。柔道の力というものをばかにされる。だが、正面と正面に向き合って、拳闘選手けんとうせんしゅのものすごい打撃だげきを受け留めることは絶対ぜったいにできない。顎打アッパー・カット、直突ストレート、横打スイング、どの一撃だとて、それがまともにはいったらいっぺんに打倒ノック・アウトされるのはきまっている。あの電光のように早い打撃。向こうは打っては飛びのき、飛びのいてはまた打ちかかってくる。そのうえ、裸はだかでつかまえどころがないのだから、この試合は非常にむつかしい、やりにくいのだ。しかし、死んでも勝たねばならぬこの一戦! 富田六段はその翌日よくじつ、モンクスへ試合の約束やくそくを申し送った。
◎拳闘けんとうは、どこまでも拳闘の規則を守ること。
◎柔道じゅうどうも柔道の規則を守ること。
◎試合場は板の間で行なうこと。
◎死んでも一切不服のないこと。
モンクスのほうでも、よろしいと答えてきた。
そして…このあと衝撃の展開!!!
意外! ごろりと横に……
このとき早く富田六段は、ごろりと寝ねころんでしまった。まるで昼寝でもするように板の間にあおむけに寝てにこにこ笑わらっている。モンクスの方へ向けた足を組んで、それこそ鼻歌でも歌いそうに、頭の下に両手を組んで寝ているのだ。
驚おどろいたのはモンクスだった。敵の上半身をねらってただ一撃げきと思いきや、相手は寝てしまったんだ。拍子抜ひょうしぬけがして、ぼんやりしてしまった。
富田六段はにこにこ笑っている。モンクスはおこった。
「立て!」
「柔道じゅうどうは寝ていてもよろしい。」
富田六段は英語でいってのけた。
これでは突つけない。打てない。モンクスはまっかになっておこると、富田六段の頭へ一撃をくらわせようと、まわりだした。すると富田六段は、背中せなかを心棒しんぼうにしてくるくるまわり、けっして頭の方へこさせない。そのからだの動かしようのす速さといったらない。富田六段はいっこう疲つかれないが、かがみこんで相手のまわりをぐるぐるまわるモンクスのほうは、だんだん息が切れてくる。
「足を持ってなぐれ、なぐれ。」
わあ、わあという見物の中から、モンクスにこんな注文が出る。よしッ、とばかりモンクスは
なんとこれは
初出:「少年倶楽部」講談社
1935(昭和10)年1月号
だという・・・・・・・
富田常雄と代表作「姿三四郎」は、「講道館柔道の(大成功した)プロパガンダ」ともみなせる。また、これはみなもと太郎氏の説だが、実に70年代まで「青春ヒーローの典型は『姿三四郎』であり、それ以外のヒーロー造型はなかったと言っていい」とも言われる。
そんなこんなで富田常雄は非常に重要なキーパーソンなんだが、猪木アリ状態を戦前に語っていた、とは・・・・・
で、あったよ。
黒澤明 DVDコレクション 37号『姿三四郎』 [分冊百科]
- 発売日: 2019/06/04
- メディア: 雑誌