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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

北の湖理事長が急逝。白鵬との抗争劇は、これからが本番だったのに…

朝日新聞サイトの「どすこいタイムズ」などから見出しだけ紹介しよう

http://www.asahi.com/topics/word/%E5%8C%97%E3%81%AE%E6%B9%96%E8%A6%AA%E6%96%B9.html
ライバル輪島さん「本当に強かった」 妻を介し惜しむ(11/20)
デーモン閣下さん「正直な人だった」 北の湖理事長死去(11/20)
やくみつるさん「重しなくした」 北の湖理事長死去(11/20)
「大きな星失った…」 北の湖理事長急逝、角界に悲しみ(11/20)
朝青龍さんツイート「涙止まらない」 北の湖理事長死去(11/20)
亡くなる前日も観戦 北の湖理事長、横綱対決を予想

最近は
『歩くのもたどたどしく、一般人の目に触れない場所では車いすで移動していた。「腰が痛い。目も見えにくい」などと嘆くことも多く、その声には張りがなかった』
のだったという。


まことに早い、惜しまれる死だった。
というのは、62歳という年齢だけではない。

 20日に亡くなった北の湖理事長は、今場所も毎日、福岡国際センターの役員室で上位陣の取組をテレビで見ながら報道陣に解説していた。10日目の17日、横綱白鵬が関脇栃煌山戦で相手の顔の前で手をたたく「猫だまし」を繰り出すと、「横綱としてやるべきじゃあない。栃煌山が仕切っているときにガチガチだから、決めたかも知れないが、拍手も何も起こらない。稽古場のなかでやるにはいいが前代未聞じゃあないの」などと苦言を呈した。


自分も記事を書いたし、togetterにすらまとめがある。

白鵬栃煌山に猫だまし! - Togetterまとめ http://togetter.com/li/901378 @togetter_jpさんから
“猫だまし”に賛否両論の横綱白鵬が「一度はやってみたかった。」とツイート - Togetterまとめ http://togetter.com/li/902372
茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1659回【白鵬の猫だましから神さまについて考える】連続ツイート - Togetterまとめ http://togetter.com/li/902605 @togetter_jpさんから

これに対して「北の湖理事長」が批判するからこそ絵になる。
組織運営者、指導者とっしてはまったく別物なのは当然だけど、「あんた、なんぼのもんなの?」と聞かれて「24度優勝、62場所在籍、最年少21歳で横綱じゃバカヤロー」と言えてこそ説得力がある。内館牧子vs朝青龍なんかも、それはそれで見ごたえある抗争劇だったけどさ(笑)。

北の湖が語る「なにゆえに、横綱の猫だましはいかんのか」
それに対して白鵬…はともかく、肯定派が「いや、しかしだね…」とやれば、NHKスペシャルでも朝まで生テレビでも、一本番組が作れるレベルのアングルだった。

そういう、失われた可能性を云々してもしょうがないが、そんな意味で残念だった。

こういう記事しかかけないのは、自分は北の湖の現役時代の記憶がほぼないからなんだけど、輪島とのライバル・ストーリーがいい話だったのでそれを紹介しよう。

http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1568823.html

証言 当時の相撲担当、中出水勲氏(53=日刊スポーツ出版社編集長) 「支度部屋での輪島は本番前にも気軽に話しかけたし、大学の運動選手がそのままいるという感じだった。北の湖はいるだけで周りの空気がピリピリした」。

二人が千秋楽結びの一番で当たった回数22は、大鵬柏戸の21回を抜く最多記録で、75年(昭50)5月場所から78年(昭53)1月場所までは15場所連続だった。

 証言 立呼び出しの(飯田)寛吉さん(64) 「あの二人の千秋楽結びの一番は、気持ちの盛り上がり、りりしさ、迫力などで独特のムードがあった。緊張感が呼び出す私にも伝わってきた」。

 輪島の「黄金の左」に苦杯することが多かったが、77年(昭52)初場所以後は変わった。輪島の左は右の絞り、おっつけの強さがあってこそのものだと気がついた。

証言 輪島氏 「私の黄金の左は、マスコミが書き立てた伝説。本当は握力でも右の方が上だ。彼も最初はなぜ左(の投げ)を食うのか分からなかったんじゃないかな。それがばれたんだ」。

 北の湖自身の「最も印象に残る相撲」は78年(昭53)7月場所14日目。ここまで互いに13戦全勝、北の湖は徹底した持久戦法に出た。2分52秒で水入り。再開後は右上手投げの連発で振り回し、輪島が右からの気力とスタミナを失って上手を取りにきたところを、左下手を引き付け寄り切った。輪島30歳、北の湖25歳の年齢差がはっきり出た。