日本シリーズ、終わりましたね。8回まで完全試合の投手に、9回で抑えを送るという短期決戦ならではの「非情の采配」もありましたが、それもまた劇を引き立てたかもしれません。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200711010373.html
ところでこのシリーズ中、何度も流れたCMがありましたね
http://www.kizakura.co.jp/company/release/20071012.htm
あの「空白の一日」から28年。2人が、初めて言葉を交わした!!
黄桜株式会社(本社:京都府京都市伏見区、代表取締役社長:松本真治)は、この度、野球評論家・小林繁さんと野球解説者・江川卓さんを起用したCMを10月11日(木)より放映いたします。 1978年11月21日、プロ野球ドラフト会議前日の「空白の一日」に読売ジャイアンツ(巨人)と江川さんが入団契約をしたものの無効となったことに端を発し、翌22日に行われたドラフト会議で阪神タイガース(阪神)が江川さんを1位指名。紆余曲折を経て、日本プロ野球実行委員会の裁定により79年2月に巨人からトレードで阪神へ小林繁さんが移籍し、同年4月に江川さんが巨人に入団しました。この数奇な運命の当事者が28年ぶりに初めて対面
この事件を読み解くときの”第一級資料”が本宮ひろ志の描いた「たかされ」だという話は何度も書きました。
で、作品の連載当時、終了直後に自分が書いた文章があるので、UPいたします。
その後知った新知識や情報などもあるし、画像も入れたいしで書き直したい部分もあるんどあが、とりあえずほぼそのままで掲載しよう。
「実録たかされ」
本宮ひろ志だから描けた、ダーティーヒーロー伝「実録たかされ」
いわゆる青年誌で、いちばん売れているのは「ヤングジャンプ」なんだそうだ。「スピリッツ」でも「モーニング」でもない。聞く所によると、ヤンジャンの編集者自身「ウチはなんでこんなに売れるんだろう、面白くないのに」と不思議がっているらしい。確かに。ただ今はあの雑誌の中心というか、看板ははっきりしている。それは本宮ひろ志「サラリーマン金太郎」だ。あの気合と根性とハッタリで生きる本宮マンガの主人公が、普通(?)のサラリーマンになったという単純明快なコンセプトの作品で筆者はぜーんぜん読んでないが、読んでる人に聞くとやはり「読ませる」という。漫画についてトークする番組「BSマンガ夜話」での岡田司斗夫といしかわじゅんの会話。
岡「この人、単行本の後書きで『常に新しいモノにチャレンジしてる』って書いてるけど、どれもそう変わってないよねえ」
い『いや、シチュエーションはいつもはっきりと新しいんだよ、ただ、その状況に対する、主人公の行動がすべて同じなんだ(笑)』)
どうも最近前置きが長いのであるが、ようやく本題に。その本宮ひろ志が「コミックBINGO!」という雑誌で書いているマンガ、こっちが面白いと言いたいのである。題は「実録たかされ」。かつて「怪物」と称され、いまはお茶の間の人気者となっている江川卓を描いたノンフィクション作品である。
かつて「実録マンガ」といえば安食堂のテンプラのように、元の話を何倍にもふくらませたり、、純真な少年少女向けに汗と涙の教訓話に仕立て上げたりするのが関のヤマだったが、この作品は違うのだ。江川といえばその剛速球以外にも、ドラフト拒否、「空白の一日」での巨人入団、「手抜き投球」など、数々のダーティーイメージで彩られたスキャンダル男である。そのへんをこの「たかされ」では逃げずに真っ向から取り上げようとしているのだ。
これは本宮でなければ出来なかっただろう。彼はまず、ホンネで主人公を動かすドラマづくりをずっとしていた。それゆえに主人公のエゴは、彼にとってはかえって歓迎されるものだったのだ。また、彼が80年代前半「やぶれかぶれ」という実際の政治を扱った(正確に言うと「自分が参院選に立候補して、その経過を描く、というコンセプトのマンガ。結局、諸般の事情で立候補は断念したが、その過程で各政党の党首にインタビューしたり、果ては田中角栄とサシで対談し漫画でルポ、現在も残る貴重な資料になっている。またこの作品には、今や首相候補となったあの、若き菅直人が重要な役として登場している)経験が、いわゆるマンガ的ではないノンフィクションを作るのに役立っている。そして何より、本宮が漫画家には珍しいほど有名人と積極的な交際をしているお陰で江川本人とツーカーで話せる事がこの作品の前提条件となっている。
ここに描かれる江川は、現在ワインがどうとか競馬がどうとか言ってはしゃぎまくっているタレントとはまるで別人である。「俺が目指していたのは完全試合ではない、27個の三振(つまり全員三振)を奪うことだったんだ」「球にキレがあれば、それはキャッチャーに向かって浮き上がるんだ、理屈じゃない、そうなる」と言ってのける自信の固まり。今でも、「江川は高校時代こそ全盛期である」という人もいるほどの怪物ぶりがはっきりとわかる。
そして、その才能とマスコミの熱狂のゆえに、高校(栃木・作新高)では部の仲間からも浮き上がり、負けて初めて彼らと心を通わす事ができたという皮肉。「金のタマゴ」をめぐるプロ球団、大学、政界まで巻き込んだ虚々実々の駆け引き。
第一のクライマックスは、江川の作新が千葉の銚子商に準々決勝で敗れる、あの、伝説の雨中試合だ。作新内部は、江川へのやっかみで人間関係がバラバラ(このへんのことは、今だから書けるのだろう。同期の仲間が重い口を開いている)。対する銚子商は、「怪物」攻略の為にマウンドから数m投手を近づけての打撃練習をし、球筋を見極めるため帽子の被り方まで工夫していた。(銚子商がそこまで一生懸命にならざるを得ない、地元の雰囲気についても描かれているが、これが笑える)。
それでも江川は要所で最大級の剛速球を放ち、格の違いを見せ付けるのだが、雨の中、やはり微妙に江川のピッチングは狂っていく。球審の誤審にも助けられ(審判本人のインタビューがあるのが凄い)ピンチを凌ぐことはできたが、江川本人こそが、自分のピッチングに絶望していた。「このまま勝つより、『江川のピッチング』のまま終われ。」そして満塁の場面で、彼はナインをマウンドに集める……。
本宮は「江川は天才だった。しかし才能を発揮できなかった天才だった」と冒頭で述べている。その男の物語は、これからも普通の「物語」の文法では語られないだろう。Reference――「実録 たかされ」(文芸春秋)「コミックBINGO」連載中、単行本未発行。総集編1が発売中
(註:この秋、連載は終了した。結局入団までしか描けなかったのは、将来の監督・コーチに江川が意欲を見せている以上、プロ球団での率直な感想は書けないに決まっているのだからしかたがないか。)