8/7の産経新聞(8/6夕刊)で、彼の弟子兼秘書ともいうべき俳優わかぎえふ氏が追悼文を書いている。
これが追悼文史上でもまれな、笑いと諧謔にみちたもので、追悼文らしくはないが「中島らも」らしくはある。
怪我をしたと聞いた時「またか・・・」と思った。あのオヤジはよく転ぶんである。
いったい何十回、彼が転んだり、階段から落ちる現場を見ただろう。顔が大きくて足が短く、細かったからバランスが悪かったに違いない。生前本人にそういうt「うるさいなあ、足が短かったからロックスターになられへんかったんや」とマジメに答えたことがあった。
そして、ここからがプロレスファン的に見逃せないエピソード。
このブログで使われる用語「心の梶原一騎」とは、すなわちこういうものだよ(笑)。
伝説、幻想、ロマンを生む心。
事実とのギャップを暴露する時も、それをまた別の伝説として楽しむという、そのファンタジー精神・・・
15年ほど前・・・芝居の本番前日に渋谷で・・・も転んだ。・・・オヤジには転びポイントだった。
そのときは前歯が欠け鼻の下をすりむいて怪我をした・・・
「なぁ、みんなに転んだことだまっててくれへん?」と言い出した。
「ほんで、渋谷でヤクザと喧嘩したってことにしよう。けっきょくは負けてんけど、プロレス好きやから殴りかかってくる相手の手をキュッとひねって関節技を一回かけたっていう話、どう?」と目をキラキラさせながらお茶目なストーリーを作り出した。
「オヤジ、自分の理想と現実はちゃうねんで」と私は突っ込んだが「千秋楽までうそついて皆を騙そう!な、一緒に騙して」と妄想に酔ってしゃべり続けた。
結局私は芝居の打ち上げで発表することを条件に嘘に付き合った。いったんそう決めたからにはこっちもプロの役者である。完璧に騙さないと気がすまない。「そうやねん、関節技っていうか、なんか偶然入ったって感じやったけど。やっぱりプロレスも長いこと見るもんやなぁ」などとまじめな顔で劇団員に言ったものだった。
みんなが信用する顔を見てオヤジは嬉しそうに「皆、本気にしてるで。やっぱり君が言うたらイチコロや。さすがに芝居うまいな」と後にも先にもあの時だけ芝居を褒めてくれた・・・
ところが千秋楽の打ち上げでは・・・あとは直接読んでみてください。あらためて合掌。