SHOOTO NEWS
日本修斗協会広報誌 BLOG版 for All Shootors & Shooto Enthusiast
http://blog.livedoor.jp/shooto_news/archives/51722051.html
以下の、朝日昇氏の指摘・抗議活動を受けてのものとなる。
【朝日昇ブログ】
本日のアマチュア修斗所沢大会終了後の事態について
http://ameblo.jp/a-pop-tv/entry-10746044727.html
教えていただけたら幸いです。
http://ameblo.jp/a-pop-tv/entry-10747505814.html
修斗の未来のために、日本のMMAの未来のために、そして世界のMMAの未来のために
http://ameblo.jp/a-pop-tv/entry-10748170200.html
会計に関しては「不明朗」な過去の会計結果を今後協会として明らかにする作業を行うということだから、朝日氏の主張は結果的に、協会から全面的に認められたということになる。
また、過去の会計がさかのぼってみたら仮に公正なものであって、利益など微々たるものだったり、逆に赤字を氏が負担するようなことがあったとしてもだ、会計報告がなかったことそのもの、その要請に”中指”の挑発ポーズ(よりによって・・・)で応えることへの道義的な責任は論をまたないだろう。
また、この問題に対して朝日氏が論点を示した文章(上のリンクの最後のやつ)は、非常に論旨明確で体験談として報告した内容に迫真性や普遍性があり、「ただの私怨や重箱の隅をつつくような揚げ足取りではない」と受け手に感じさせるものがあった。また、組織のしがらみや事なかれの精神とは無縁に、こうやって実際に声を上げ、水面下で疑問を抱いていた人たちをまとめて、結果を引き出したという点でその功績は本当に大きい。
ただ、その点とは別に、アマ参加費を払ったりとかしてない部外者としての感想もひとつ。
若林氏が、確かに八面六臂、あり得ないような膨大な仕事量をこなし、それが修斗のアマ・システムが他の追随を許さないような質と量を誇っている一因となっていること・・・これは私は間接的に聞いたり、メディアを通じて知るだけだけど、揺るがない事実でありましょう。
だから会計がおろそかになった(のは仕方ない)、という議論は全然なりたたないと思うけど、実際に若林氏がアマチュア普及委員長でなくなったことで、大きな影響は出てくるでしょう。
それは佐伯繁氏をよく私がネタにして「彼の糖尿の数値と血圧が日本の格闘技界の運命を左右する」「これぐらい個人の健康が歴史を動かすのは、上杉謙信か金正日ぐらいだよ」と言ってるのと、軌を一にしている。あんなに仲が悪いのに(笑)。
ダナ・ホワイトも、あの規模の会社としてはあり得ないほど膨大な仕事をしている(なんと入場曲のチェックまで)。
興行会社という性質がそうさせるのか、MMAの歴史の浅さゆえなのか、ともかく、修斗やDEEP,あとパンクラスの坂本靖なども含めて、マスター・オブ・オールワーク的な「超人」が活躍する英雄時代なのだろう。正義超人か完璧超人か、あるいは残虐超人かはともかく(笑)
しかし・・・これは実は、若林氏が軽い脳梗塞を発病したという時に紹介したかった話なのだが。
はてなのホットエントリでも登場していたエントリー。
■ナイチンゲールの毒舌
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090811#p1
ナイチンゲールが実際に書いたものを読むと、実は白衣の天使というがけっこう辛らつだ、という話題なのだが(笑)、この部分を引用したい。
「責任を持っている」ということは、たんに自分自身が適切な処置を行なうだけでなく、ほかの誰もがそうするように手筈を整える、という意味である。すなわち、誰かが、故意にせよ過失にせよ、その処置を妨害したり中止したりしないように手筈を整えることなのである。それは、すべてを自分で切りまわすことでもなければ、多勢の人間に職務を分担させることでもなく、各人が自分に定められた職務を確実に果たせるようにすることを意味している。
責任者たちは往々にして、「自分がいなくなると皆が困る」ことに、つまり自分以外には仕事の予定や手順や帳簿や会計がわかるひとも扱えるひともいないことに誇りを覚えたりするらしい。私にいわせれば、仕事の手順や備品や戸棚や帳簿や会計なども、誰もが理解し扱いこなせるように ―すなわち、自分が病気で休んだときなどにも、すべてを他人に譲り渡して、それですべてが平常どおりに行なわれ、自分がいなくて困るようなことが絶対にないように― 方式を整え整理しておくことにこそ、誇りを覚えるべきである
あらためてこう引用すると、正論すぎてぐうの音も出ない。
私が、若林氏の脳梗塞の時に引用しようと思った、という意味も分かってくれると思う。
と、同時に。
この「正論」を実行するのがー−−少なくとも日本の格闘技界においては・・・・・・きわめて難しいことであろう、というのも容易に想像がつく。上のナイチンゲールの理想を実現するより、いい意味で公私の別なく仕事を自分から膨大に抱え込み、それを本当に一人で処理してしまう「超人」の出現を待ったほうが楽だったりするかもしれない。
やっぱり演劇、野球やサッカーの少年チームのコーチ、同人誌の執筆・・・などがそうであるように、比較的それをやっていること自体がエキサイティングであり、ある程度持ち出ししてでもやりたい、という人は多くも無いだろうがゼロでもない、そういう性質のものであることも事実だしね。
でも確かに、そういう方向に進まないと、いい悪いの前に結局終わりが来てしまう、というのも事実。ワンマンの欠点もありながら、八面六臂の仕事をこなしていた異能の”超人”が物理的に、あるいは社会的に消えたために、一緒に消滅していった活動や運動体だって、有名無名を含めてたくさんある。
ナイチンゲールの忠告に従った、新たな歩みが、成り立つかどうか。
だからこのエントリのタイトルを「日本MMAの今後50年を揺るがす」とした。
修斗全体のイメージダウンは
この話題で外国人とやり取りした際「これはどういう影響を与えるや?」と問われた。答え「修斗は全体的に、組織や運営がクリーンでフェアというイメージがあり、それがパワーの源泉のひとつにもなっていた。そのイメージが傷つくことは、修斗のパワーも損なう可能性はあるだろう」と。
例えばやっぱり「オールラウンダー廻」の連載が始まった時、企画会議その他で「修斗は他のスポーツと同様に、競技的にしっかりしているんですよ!スポーツとしての格闘技、を全面に出して他の漫画と差別化を」云々といった議論が出てもおかしかないと思う。四角いジャングルやカラテ地獄変のような、暗黒面ともつながる面白さとはまた別に。主人公のライバルのサイドストーリーとはまた別に。あとは一般的にはプロ興行のほうのスポンサーとかにだって影響は無いとはいえないだろうし。
そのへんのダメージも、小さいものであることを祈りたい。