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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

梅木良則レフェリーのストップについて

本日は私事ながら、この後出かけるので軽く。
最後にこれを済ませれば、個人的には多分、Dynamite!の話題が区切りが付くと思う

今回の話で、レフェリー・審判の問題というのは重層的というか論点がいくつかあるのは周知の通りだが、梅木氏自身が「ストップのタイミング」に関してはこのように答えている。


http://gbring.com/sokuho/news/2007_01/0111_k-1_06.htm

――最後のストップのシーンですが、あれは桜庭選手がまだ戦えると判断して止めなかったのか? それとも桜庭選手が抗議している状態に関して止めることをためらったのか? ご説明お願いします。


梅木「まず試合の映像を見て『なんで止めないんだ』と感じる気持ちは私自身分かりました。ただし目の前で秋山選手のパンチと桜庭選手の動きを見ていた私としては、あの時点で試合をストップするのは早いと判断しました。


 あの時、一瞬でも桜庭選手の意識が飛び、桜庭選手が完全に意識を失うようなことがあれば、私も試合を止めます。また桜庭選手が何もせずに顔面を殴られ続けている状態でしたら、それも私は試合を止めます。ただし今回に関しては、桜庭選手は全く意識が飛んでいませんでした。そして私の問いかけや言葉に対しても、反応が遅れることもなく、支離滅裂な返事もありませんでした。


 もしあそこで試合を止めていたら、私は説明ができません。自分の中では止めるタイミングがなかったのです。このような事態がなかったとして、桜庭選手に「なぜ止めたんだ?」と詰め寄られたら、私は説明する術がありませんでした。


 今までの大会でファンやマスコミの方に、ストップが遅い、早いと言われても、私は試合をストップするタイミングは自分自身で決めて、説明ができる状態でやっていました。しかしあの時点ではまだ試合を止められませんでした。


 ただしHERO'Sには審判長というシステムがあり、桜庭選手が殴られ続けているという状況は事実でしたので、審判長にこの状態は止めなければいけないのかどうかを問いかけて、HERO'Sのルールを最大限に生かしてレフェリングをしたつもりです」


「答え合わせ」ではないが、直後に書いた自分の意見は以下の通り。

・・・止めるスピードに関しては、後半は難しい。

今は意識の有無とは別に、意識がはっきりしていてもまともなパウンドを何発も連続で食らい、有効な防御をしにくい状況になったらストップする傾向にある。ことにHERO'Sでは早めにストップ取る。その点では前半、桜庭の頭がロープに出かけた時に2回ぐらい、ゴング前に止めてもいい状況があったんじゃないっすかね。

ただ一般論として、これで一番難しいのは相手が下から三角、腕十字、足関などを取り掛けて、上の人がパウンドでそれを振りほどこう、KOしようとしているときだ。

上の選手が殴ってる間に隙ができて、そこでバシッと華麗に一本が極まる(下も敢えて殴らせて隙を誘っている)場合もあるし、固定された状態でまともに打撃が何発も連続で入ることもある。前者はアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラvsセーム・シュルト三角締めで空いている腕で叩き込むシュルトのパウンドが次第に弱弱しくなり、最後にタップになるシーンは印象的だった)、後者の典型は吉田秀彦vsジェームス・トンプソン

これは本当に難しいわな。

今は消えているけどトイカツ選手も「止めても良かったが、止めないという判断もありだろう」(大意)と一時期ブログに書いていて、自分は同意してた。

だから、梅木氏の今回の説明も、自分は「さもあろう」と基本的に納得している(ストップの話よ。本人も試合後、塗布をチェックしたが(クリームは経験が無いため)見逃したことはミスとしている)。


「目ぇ飛んでたやん!」(これは橋本)「いや、目は死んでない」という部分を、試合の中で判断するには、物理的に一番近いメインレフェリーが誰よりも分かる。
実は自分も地上波で最初に見たときは、ナイス判断として言われるチェ・ホンマンvsボビー・オロゴン須藤元気vs山本KID徳郁、どっちも「もうちょっとやれたんじゃないかなあ」と思った。
しかしスローで見たら間違いなく一瞬ボビーも元気も意識を飛ばしていて、判断はごく妥当だったと。


フィクションの話だけど、

柴犬 森田まさのり短編集 (ヤングジャンプコミックス)

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に、ボクシングのレフェリーを描いた作品があり、これも究極的には「やつの目は、栄光を求めて飢えているか?」という、眼光で判断するとしている。これは文学的にすぎるが、「意識が飛ぶ」という点を重要視するのはある程度の合理性があるだろう。
(だから自分は、所英男vsアイヴァン・メンジバーでのパワーボムのところは止めたほうが良かったと思ってる)


でも、じゃあ今回の桜庭のような状況のときに続行させる状態がずっと続くのがいいかといえばとても言えない。

組み技大会のときに結構、腕十字とかアキレスとかが極まっても根性つーか、ほんとにギリギリでポイントをずらして耐え抜く人がいるじゃないすか。折られもせず、タップもしないんだからそれで抜ければ問題ない、ということを当人は言うかもしれないが、安全性を重んじるところは「要は、伸ばされてギリギリポイントをずらして耐えるしかない状況に追い込まれた時点で負けなんです。そういうルール設定にしてるんです、最初から」という論法で見込み一本を取っている(らしい)

格闘技も、芸術的グラップラーには気の毒な設定ではあるが

「いくら下から積極的に取りにいっても、あとちょっとで極まるところだったとしても、その状態で連続パウンドを食ったら負けとします。そういうルール設定にしているんです」
とあらかじめ周知徹底、両者に納得させる、そんなやり方しかないのかなあ・・・と思っています。